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お金について~感謝本位制という提案~


https://note.com/quirky_sorrel746/n/na4f9509b6270

↑の記事を書いてからちょっと考えてみました。

 さて、なんとなく「お金は信用」とか漠然と考えていたのですが、まあ嫌いではないのですが、いくらあれば満足するのか、となるといくらあればいいんだ?と極めてあいまいな回答しかできない自分に気づきました。

 ゲームのハイスコアを競うぐらいの気持ちでいくら稼いだぞ、なんて事を考えてみても何億人も相手にまわして勝てるわきゃないんですね。ゲームの全国大会出るためにどれだけリソースを裂いたか、とか言われなくても思いつく事ですよね。

 禅宗のお寺なんかに行くと、「吾(われ)ただ足ることを知るのみ」と書いたものがあります。これは、簡単に意訳すると「わたしゃ悟りの境地なんて大それた事からはとても遠い身分ですけど、ただ、こんぐらいで満足しておくって事だけは知ってるんですよ」くらいですかね。

 どれだけ稼げば満足か、というのは非常にむつかしい設問ではありますね。じゃ、ちょっと視点を変えて考えていきましょう。
 前の記事で、お金は投票券なんだ、って書きましたね。社会全体にお金を上手にまわしていくための投票券なんだ、と。

 その投票券はどう使われれば一番幸せなんだろう、しっかり仕事をしてもらった人に対する感謝、ありがとうの気持ちを込めて使うのがいいんじゃないかな。提案ですが、金本位制ならぬ「ありがとう本位制」なんてどうでしょう。

 となると、もらう方もありがとうの気持ちが乗ってないお金なんて大した価値なんてないってことになるのかもしれません。ちょっと乱暴だけど、確かに盗んだ金を社会福祉にまわした人とか詐欺で大金を得て貯金した人とかあんまり聞かないな。ねずみ小僧くらいか。

 人間と言うかココロのプライマリーバランス的にも、気持ちの入ってない稼ぎ方や使い方をしてはいけないものなのかもしれませんね。
 稼ぎすぎた分は時々寄付するくらいで丁度いいのかもしれません、多くの宗教で寄付が推奨されているのは、そういう事なのかもしれません。

 楽して稼ぐ、よりは現場「ありがとう」の見えるところで楽しく稼ぐ方がいいのかも、ですね。

ありがとう本位制はちょっと名称が長いので 、感謝本位制の方がバズりそう?

バズらないかな

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