(エルデンリングDLC考察)黄金樹信仰〜磔のマリカ〜
どもども。今回は、かつて狭間の地にあった宗教である黄金樹信仰について考察していこうと思います。
1.磔のマリカ
まず、エルデンリング本編における最後のボスである”黄金律、ラダゴン”のムービーで、マリカが磔にされているシーンを見てみましょう。
このシーンから分かることは、マリカが磔にされており槍のようなもので刺されていることです。この描写、多くの方がイエス・キリストを連想したのではないでしょうか。私は連想しました!(俺も!俺も!)
イエス・キリストは、神の子でありメシア(救世主)であると自称した罪により磔刑に処されました。磔後、イエス・キリストの死を確認するためにロンギヌスの槍と呼ばれる槍で脇腹を刺したと言われています。明らかに意識していますね。
しかし、エルデンリングのディレクターである宮崎氏は、マリカをイエス・キリストに見立てて何を伝えたかったのでしょうか?それは恐らく、キリスト教が様々な地域において強大な影響力を持ってきたことと、マリカが体現した黄金樹信仰の宗教的支配が狭間の地において色濃かったことの類似性を示したかったのではないでしょうか。ということで、その辺りについて考察をしていこうと思います。
2.一神教
キリスト教と言えば一神教というイメージが強いと思います。一神教とは、簡単に言えば、複数の神を信仰することを禁じ、唯一人の神を信仰することです。
エルデンリングをプレイしていると、”神”という言葉が多く出てきます。それにも関わらず、狭間の地や影の地で出会う神はマリカとミケラしかいません。これはどういうことなのでしょうか?
この疑問への回答は、マリカもキリスト教同様、一神教を実際に実施した為だと考えられます。具体的に言えば、自分以外の全ての神を殺したということです。このジェノサイドとも言うべき行いの残骸として、狭間の地の各地には大小様々な墓石が無秩序に置かれていると考えられます。
これらは、”マリカが狭間の地を支配する以前に存在した神たちの墓石”ではないでしょうか。意図的に墓石を置いたにしてはあまりにも無秩序に感じます。恐らく、死者は一度墓石に宿るのではないでしょうか。ここで、影の地の透明な墓石の近くで取れる素材≪霊墓石≫のテキストを見てみましょう。
”墓石が古くなると霊になって消えていく”ことが分かります。このことは、”死んで霊になる前に一度、墓石になる”と捉えることができるのではないでしょうか。
さて、このことが正しいとすると各地で神が殺された訳ですが、いつどういった時代に神たちは殺されていったのでしょうか?それは、かつてエルデの王であったゴッドフレイが身に着けている≪エルデ王の冠≫のテキストに書かれています。
このテキストは、”黄金樹の始りとは、マリカを唯一神とした宗教を実現する始りで、ゴッドフレイは各地の強者である巨人や嵐の王を討取っていた”と解釈することができると思います。粛清が黄金樹の始りだった訳です。しかし、この解釈はおかしいですよね。巨人や嵐の王と戦ったのであって神ではありません。一神教を目指すのなら神を討取る必要があります(火の巨人に関しては黄金樹が燃やされる可能性があるので神とは別の問題である可能性が高いですが)。この矛盾を、ケルト文化から生まれたアイルランド神話を参考にすることによって紐解いていきます。
◆ケルト文化との共通点
エルデンリングはケルト文化の影響を色濃く受けているように感じます。ケルト文化は、古代ヨーロッパで栄えた民族であるケルト人の文化で、主にアイルランド、スコットランド、ウェールズ、ブリテン、ガリア(現フランス)などで発展した文化です。考察を進める前に、その文化とエルデンリングの類似点をいくつか見ていきましょう。まあ、ここでは、唐突にアイルランド神話(ケルト文化)について引用した訳じゃないよ!ってことが言いたいだけなので軽く読んでもらえたらと思います。
ゲーム内では様々な文様が見られますが、ケルト文化で見られる文様と似ているものが多くあります。”呪剣士”や”王都ローデイル外廓で見られる旗”を見てみましょう。
これらは”ダロウの書”の文字装飾に似ています。ダロウの書とは、アイルランドにキリスト教が伝えられた7世紀頃に制作されたアイルランド様式の装飾写本で渦巻文様が特徴的です。
アイルランドにあるケルト十字は組紐文様が特徴で、≪黄金樹の聖印≫にも組紐のデザインが組み込まれています。
また、アイルランドには約紀元前3000年に建設されたニューグレンジという遺跡があります。この渦巻文様は、指遺跡にある”指のような物体”や”追憶を複製できる首のない身体を乗せた石台”の文様に似ています。
アイルランドには、キリスト教が入ってくるまで世界創造の神話が存在しませんでした(確認されていない)。ですので、このニューグレンジ遺跡の渦巻文様から指の指紋を関連付けて、ジョージ・R・R・マーチンが神話を創作した可能性があります。
更に、焼炉のゴーレムは、「ガリア戦記」に出てくるウィッカーマンがモチーフだと考えられます。ガリアとは現在のフランス地域辺りを指し、ケルトの一部でした。この巨大な人型の檻の中に家畜や人間を閉じ込めたまま焼き殺す祭儀が描かれています(史実でない可能性が高いらしいです)。
これらの例から分かる通り、エルデンリング(特に影の地)においてケルト文化はある程度意識されていることが分かると思います。
◆王権
さて、話を戻しましょう。なぜゴッドフレイが神ではなく巨人や嵐の王と戦ったのか。答えは、ケルト文化から生まれたアイルランド神話にあります。アイルランド神話には王権(flaith)という概念があります。その概念を簡単に言ってしまえば、王という立場はどういった条件のもと成立するのか、について説明したものです。私が、X(旧ツイッター)や富士山の山頂で「俺が王だ!」と叫んでも(投稿しても)誰も王として認めてくれません。何らかの方法で王という立場を確立しなければならないのです。その王権(flaith)について記事にしてくれている方がいたので引用します。
(引用元の王権の解釈が間違っていましたので一部修正しました)
トゥアスとは国や部族のことですね。大地女神とは、大地に宿る女神大ですね →大地女神とは、大地そのものが女神で、その大地そのものです(女神が大地に宿った訳ではない)。簡単に纏めると、領土には女神が宿っており、その領土の王となるにはその大地に宿る女神と結婚をする必要がある、また、神から授けられる黄金の杯は王権を象徴する、と言えます。 →簡単に纏めると、領土の大地自体が女神であり、その領土の王となるにはその大地女神と結婚をする必要がある、また、神から授けられる黄金の杯は王権を象徴する、と言えます。これ、そのままエルデンリングの設定に当て嵌めることが出来るのではないでしょうか。神は王を伴侶とし、王へ雫を授けエルデを統べる行為と一致します。
そして、このことから言えることは、”黄金樹以前、各地に、大地女神に相当する女神(木の女神)が存在し、各々、王と結婚して小国がいくつか存在していた”のではないでしょうか?また、王と大地女神の結婚により、大地を満たし豊潤にするとの話も、ハイト砦を取り戻した後の”ケネス・ハイト”の発言から信憑性が伺えます。
王が納めていない土地(大地女神と婚姻をなしていない土地)は、大地の恵みが受けられないことが伺えます。ハイト砦周辺は自然豊かに感じますが、大樹からの雫があれば、更に繁栄をもたらすものなのかもしれません。
さて、王と神が統治していた一例として、ゴッドフレイが攻め入ったであろうモーン城を見てみましょう。
モーン城入口で気になるのは木の意匠ですね。黄金樹の始りにゴッドフレイがモーン城に攻め入ったことを考えると、黄金樹以前から木が特別な存在だったことが分かります。
モーン城内部は特に言及することがないので省略しまして、最南端奥のボスのエリアを見ていきましょう。
ここの入り口にも木の意匠が見られます。そして中は、、、
目を引くのは”大きな墓石”と”枯れてはいますが立派な木”です。先ほどの考察から考えると墓石は神ですね。そしてこの木は何でしょうか。
この木は恐らく、墓石となった神が宿っていた木(或いはモーンの大地に宿っていた神を象徴する木)ではないでしょうか。モーン城周辺地域は、この木に宿る女神と王が結婚をし、木からの樹液(雫)を受領することによって統治されていたと考えることができます。
エルデンリングの世界では、”大地に宿る女神が存在しており、その女神と結婚して雫を受領することによって王権を授けられる”、というシステムがエルデンリングが無くとも元々あったのではないでしょうか(星の雫など色んなバリエーションも考えられますが、その話はまたの機会に)。
”啜り泣きの半島”という地名は、モーンの大地の女神が、同族であろうマリカにより命を奪われ、そのやりきれなさで啜り泣き、モーンの大地に止まぬ雨として顕れているのが由来なのかもしれません。
また、嵐の王も大地に根差した女神との婚姻を経て、ストームヴィル城周辺を統治していたのでしょう(ストームヴィル城の例も複雑そうなのでまたの機会に…)。ということで、王と神(女神)は、切っても切り離せない関係であり、王(その土地の有力者)を倒すこと=女神を殺すことであったと考えられます。
しかし、マリカはどうしてそのような大虐殺を行ったのでしょうか?角人に対しては壺の件(考察記事壺と巫子の正体参照)があるので動機は理解できますが、神に対してはなぜ恨みがあったのでしょうか。それについては、マリカの出自が関係しているのではないかと考えています。
3.マリカの出自
さて、マリカはどうやって生まれてきたのでしょうか。影の地にいるユミル卿の話を聞いてみましょう。
ユミル卿曰く、”マリカとマリカを導いた指が壊れていたのだが、真に壊れて狂っていたのは母である”と言っています。”母”とはマリカの母を指していると考えられます。母が壊れていたこととマリカの出自は関係ありそうです。
ボ二村には、蛇の抜け殻と巫子の村にあった女性の木像らしきものがあります。この木像は前回の考察から木の神霊ではないかという話でした。しかし、ここの木像、頭部がありません。
これは一体何を示しているのでしょうか。他にも蛇についての情報を見てみましょう。ゲームオープニングにおいて蛇とライカードの挿絵が出てくるので見てみましょう。
恐らく、ライカードが蛇に喰われている瞬間の絵でしょう。ライカードの体は無く、頭部しかありません。ボ二村の頭部のない木像と合わせて考えると、蛇は頭部を好んで食べるのでしょうか。これだけでは分からないので他の情報も見てみましょう。
他に頭部が関係するものと言えば歩く霊廟ですね。周りには頭の無い兵士たちがうろついています。そして中には、頭部のない身体が安置されています。
一体歩く霊廟とは何なのでしょうか。この霊廟について啜り泣きの半島の巡礼教会にいるの霊体が言及しているのでセリフを見てみましょう。
霊廟が、マリカの醜い落とし子である魂無きデミゴッドを抱いてさまよっていると言っていますね。ということは、”中で安置されている頭部のない身体は、マリカの子供で魂が無いデミゴッド”であることが分かります。”頭部のない身体”は、”魂が無いデミゴッド”であると…これは、魂が頭部に宿っていることを示唆しているのではないでしょうか?
そして、先ほどの”頭部を好んで食べる蛇”は、”魂を喰らいたいが為に頭部を喰らった”のではと考えられます。蛇は、巫子の魂、ライカードの魂を喰らったということです。しかし、どうして魂など喰らうのでしょうか。腹を満たすのに理由などいるか!という話ではなく、理由がありそうです。ここで、≪蛇人の遺灰≫のテキストを見てみましょう。
”大昔から、ゲルミア火山の老蛇は、デミゴッドを喰らい、蛇人どもを産み落とした”ことが分かります。頭部を喰らう蛇と合わせて考えると、”蛇はデミゴッド(神)の魂を喰らうことで蛇人を産み落とす”と解釈できるのではないでしょうか。
これらのことから、ボ二村の頭部のない木像が巫子だとすると、蛇は巫子の頭を喰らって蛇人を生んだはずです。そして、その蛇人はマリカだったと推測できます(或いは蛇人の娘)。このことから、なぜマリカが他の神々にも恨みがあったのかも分かってきます。蛇がデミゴッドの魂を喰らうということは、当然神々の魂を喰らっていたと考えられます。そうであるなら、神々は蛇のことを相当忌み嫌っていたはずです。木の神霊と蛇のハーフなんてものは受け入れ難いもので、迫害の対象だったでしょう。角人から迫害され、神々からも迫害され、マリカはこの狭間の地を呪い、否定し、全てを真っさらにしたいと思ったはずです。それが、黄金樹の時代を始める、神々を虐殺する動機だったのではないでしょうか。
ということで、初めに見ましたユミル卿の言葉の中の”壊れ”とは蛇のことだったと推測できます。また、マリカも神の魂を喰らうことで子供を産んだ可能性もあります。例えば、ゴッドウィンは太陽神を喰らうことで産まれた子、メスメルは火の神霊を喰らって生まれてきた子、なんてこともあるかもしれません…妄想が尽きませんね。そういった妄想はとりあえず置いとくとして、神々との戦いで一番大事だったのは”太陽神”じゃないかと推測しています。そして、エルデンリングは太陽神から奪ったものではないでしょうか。この辺りの話も考察が進めばまた…
3.巡礼
宗教儀礼の一つに、巡礼というものがあります。宗教的な聖地や聖域に参詣する儀礼です。現代でも、アニメや映画の舞台となった場所に行くことを”聖地巡礼”と言い、割と馴染み深い言葉だと思います。
啜り泣きの巡礼教会の存在から、エルデンリングの世界にも聖地巡礼のようなものがあったと推測できます。世界各地には街道のようなものがあり、その街道を構成する石畳の敷石をよく見ると、黄金樹信仰の意匠が施されていることが分かります。
おそらく、巡礼者はこの街道を歩き、各聖地に対して、巡礼して回っていたのではないでしょうか。強制的か自発的なのか分かりませんが。
王都ローデイルに帰還できる舞い戻りの塔を発見し歓喜しています…嫌々だったのかな…。フィールド上で見られる亡者たちは、正気を失ってもなお、巡礼を強制された貴族たちなのかもしれません。或いは、強い信仰心がなければ耐えられない苦行だったのかもしれません。行きの転送装置も作ってやれよ!と言いたくなりますが、まあ、帰りの転送装置を用意してくれているだけ優しいという考えもあります。
さて、巡礼をしていたことは推測できますが、黄金樹信仰における聖地とは一体何なのでしょうか。キリスト教ではイエス・キリストの所縁の地などが聖地になっています。そう考えると、各地の小黄金樹などが聖地に当たりそうですが、他に注目すべきは殉教者ではないかと思います。
殉教者とは、簡単に言えば、自らの信仰のために命を失ったとされる人のことです。黄金樹信仰を絶対的なものとするため、各地の神々や王との戦いの中で、マリカ側の軍勢にも多大な被害があったと予想されます。キリスト教においても、そういった殉教者の墓所を詣でることが巡礼の一つでした。恐らく、黄金樹信仰においても同様だったのではないでしょうか。
ゴッドフレイは、褪せ人の祖先の戦士たちと共に戦いました。この軍勢に、壺にされた巫子たちもいたのではないでしょうか。各地の小黄金樹の周りには大壺の残骸が多く見られます。初めから小黄金樹はあったのか、それともボロボロになった巫子たちが集まって小黄金樹になったのか、不明ですが。
マリカにとって壺の巫子たちは、黄金樹信仰を広めるために戦った功労者であり、更にはかけがえのない同胞であったため、定期的に弔いを行っていたのかもしれません。
今回の考察は以上です。
他にもイエス・キリストを象徴するものは聖杯と茨の冠があります。聖杯に関しては、中に入ったぶどう酒をキリストの血に見立てたものであり、黄金樹信仰においては、黄金樹の雫(樹液)をマリカの血に見立てているのだろうと思います(マリカが木の神霊であるなら、見立てるというかそのものですが)。そして、茨の冠はキリスト教においては”受難”の象徴とされ、エルデンリングでもかなり重要な立ち位置だと思いますが…これもまた機会があれば
4.参考文献
「ケルト/装飾的思考(鶴岡真弓)」という本を考察の参考にさせてもらっています。固い内容の本ではありますが、読みにくい本の中では読み易い方…だと思います。中身は実質エルデンリング2.0でした…という冗談は置いとくとして、ケルト文化に見られる文様に込められた意味について考察がなされていて、エルデンリングの考察を楽しむノリで読めるのかな、と思います。興味のある方は是非。中古しかないですけど。
個人的にこの本が読み物として好きですが、恐らくアイルランド神話の話を読み込む方がエルデンリングの考察には役立ちそうかなと思います。もし考察の参考資料を探してる方がいましたら、アイルランド神話の情報も確認してみてください。
5.おわり
読んでいただきありがとうございました。街道沿いを歩き、遠くの巡礼地の小黄金樹に想いを馳せる…今回の考察で、エルデンリングがオープンワールドに挑戦しなかったら実現できなかった表現が駆使されてるな~としみじみ思いました。あ~また初めからやりたくなってきたぜ~!
次回こそは神降ろしか竜餐か人蝿関連です(たぶん
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