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本日の気付き

松本良美さんの
水瓶座満月のオハナシ会に参加しました。

オハナシ会が終わった後に外に出て、満月を見ました。


今朝に感じた母親に対しての違和感。
そして、私の中にも同じものがあるという気付き。

それから深くは探れてなかったけど、我が子にまで必死な母。最初はそれが本当に嫌で子供達を巻き込むなと伝えていたけど、何も変わらず、最近ではその不快を子どもたちと共有することが当たり前でお互い感じた本音を吐き出していた。

一瞬、子どもにそんな思いをさせてしまって‥という思いが浮かんできたが、子どもは子どもの責任で実家で発言をしているし、自ら処理方法も見つけている。

心配する必要は何もなかった。

そして、2年前に体調を崩してから気付いた様々なこと、それを通して隠すこともできずに家族の前で全部出したこと、家族が子ども、父、母という役割ではなく、個として支え合えた、支えてもらったことを思い出した。

その後に、子どもたちを不妊治療してまで授かったことは、私のエゴだったのか?まだ、私は自然妊娠に拘っていることもずっと気付いていたけど、それも浮かんだ。

そして、治療までしたのに私の妊婦生活は、世の中の芸能人や、よく聞くマタニティーハイもなく、「この愛おしい命を〜♡♡♡」なんてのとは、真逆であり、何度もの入院、妊婦なのになんだかお腹に寄生されている感覚。

入院した先での隣のベッドの人の言葉
担当医の態度
看護師のアホな対処
エゴ丸出しな自分の母親の言動

色々思い出していた。

次には、私の理想の母親像ってなんだろ?

いや、それよりも私の理想の女性像ってなんだろう?と思った時に、私の好きなカタチではない、一般的に良しと言われている女性や母親像を、最初から到底無理なのに、私が勝手に求められてる気がして、できない自分に藻掻いて一人芝居してたんだなという所まで行った。


この親は私が選んだのかもしれない。
いや、覚えてないんだけど。


でも、私は自分の母親を愛おしいとこの先に思えなくても、いいんだなと思えた。


愛おしいなんて、そんなのキツイ〜ムリムリ。
でもそこまで行けたら奇跡だなとは思っていたけど、それは結局、今の私を苦しめる。



私は私を個人として扱って欲しかったし、親の分身として、操り人形でなんかいたくなかった。
勝手に私がやってたたけたけどね。


親の求める一般的な常識や優しさを演じることはしていたけれど限界がきて、体調に出たんだった。


そして、現在、再びなんだな、体調が。
というか、それにプラスされている部分もあり、そもそも、構ってちゃんな母親に気を配る事ができない。

そして、絶好のお掃除(テハナシ)の時である。


私が素敵っ!と感じれる人
大切だなぁ〜と、感じれる人
愛が、溢れます〜って思える人
そんな存在がいてくれるからこそ、無理に親を愛そうなんてしなくて良いかと思えた。


まだ、どういう変化かあるか分からない。

けど、私の中で反応する好きが、私のモノだけでオリジナルで良いなぁと思えた。

まだまだ人間やるんだな。
とことん人間やってみよーか。
いつか、あっちの世界に近づくし、行くのだから。

泥臭く生きよう。
大好きな人にたくさんの愛を伝えよう。


オハナシ会、こうやって普段、出会えない方々とシェアできる貴重な時間、たくさんの気付き。

ありがとうございます。

またまだ、テハナシすることが大量だな!と、思えた本日のnoteです。