キノコ

日々の記録

キノコ

日々の記録

最近の記事

手放して、受け取れたギフト

子どもの事で、握りしめてきたことを夏前に手放した。 私は、それまでも手放している風にしていた。 何度も小さな手放しはしてきたが、何年もお金と時間を費やし、結果を出せると信じていたこともあり、結果、子どもを縛り付けていた。 そのことを考えると気が重かった。 今になり、それに関わる人、皆が幸せでなかったと感じる。 そして、私自身の窮屈さ不自由さ、体調不良なども重なっていた。 子ども自身も限界を迎え、丁度良いタイミングが訪れて、決めたのだった。 そのタイミングが来るま

    • 自分軸に戻れ〜わたし

      毎日たくさんの気持ちが溢れるから。 それに点を打たないと無かったことになる。流れていってしまうことも悪くは無いけど。折角、自分の想いを綴れる場所があるから、まとまらなくても書いておこう。 最近、思うのはこんなにも一つのことに関して、感じて考えて、悩んで色々試行錯誤して。 どんだけこだわっているんだ?と思う反面、私はその人(こと)が大事で大好きであるから、私の中の大部分を占めるわけで。 でも、やはり、自分軸で居続けることはなかなか難しい。好きな人(こと)に関しては、私はそ

      • 外側に求めるのではなく内側を整える

        対等、平等という言葉が最近、私の見つめ直すポイントであるなと感じていました。 対人関係で、私がいつも引っ掛かかる部分。 例えば、仲良くしていても 『使われた〜』 『損をした』 『マウント?』 など、反応する人間関係。 そして、きっと自分も同じことを誰かにしているのだろう。 昨晩は、夢の中で、『ある肩書き』を使って優遇してもらい助けて貰うシーンがあり、嫌だわ〜自分 って、突っ込んでた。 年齢、立場関係なく、対等でありたいと願うけれど、全てにおいて対等と言いきれる関係は

        • 牛歩で進んでいく

          昨日は、良美さんのテハナシのオハナシ会に参加しました。 皆さんのシェアがあり、 テハナシを続けての変化のシェアも聴けて、改めて皆さんの存在に感謝する。 同時に あら?私は? と、自分で自分に質問をすることができる。 そして、私のテハナシの足りなさに気づく。 オハナシ会が終わった後には、自分の恥ずかしさと情けなさと、まだ全然ダメじゃん!と、なっていました。 比べるモノでも無いのは百も承知! そして、二元論で生きている私は確実に私の中に存在しまくりです。 オハナシ会に

        手放して、受け取れたギフト

          『終わらせる』は『始める』よりもエネルギーを使うのかな?

          始まる、始める時のエネルギーは前向きに進むことなのでそれほどエネルギーは、使わない。 エネルギーは使うけど前に進むエネルギーは流れていくままにいれば良い場合もある。(すべて、時と場合による) 昨日の夜に1人やたらと落ち込んでいるというか、悶々としている自分に気付いた。 それは朝まで続き、午前中にもお掃除ワークをした。 そのお陰か?空気が変わって、 あら?また前向きなの?って言う状態になり、一旦終わりにすることは、かなりエネルギーも消耗していたのかもなと思った。 日々、

          『終わらせる』は『始める』よりもエネルギーを使うのかな?

          好きな世界を通して私のパターンに気付く

          いつものパターンでいくと私は疲弊する 『好きだから!!』という、エネルギーは私を強くさせるし行動力も抜群なのだが、 毎回動くまでに、ネチネチグチグチ ひとり悶々と考えていたことに気付いた。 『あっ、これ不快。そして、毎回やってくるこの悩み時間ってなんだろう? あっ、私のパターンね』と‥。 でもそれを、お掃除することなく放置してまた、同じような繰り返し。 そう、そこまで止まり。 それ以上にはいけないの。 もっと自分に問いかけたい。 それはやりたいという純度100%

          好きな世界を通して私のパターンに気付く

          震える感覚

          昨日、嬉しさで布団に突っ伏して喜んでたけど、あの感覚は魂が震えて喜んでいるんだなと感じた。 怒りで震えるは、思考が刺激されて、身体が脳が震えるイメージなのかな? いや、わからないけど。 この魂の喜ぶ感じはたまらなく良いものだなぁ。 今までだったら、魂が喜んでいたとしても、思考のおしゃべりがとにかく激しかった気がする。 あの人はあんな気持ちなのかな? ホントはどんな風に思ってるのかな? この為にこんなこと言うのかな? 試されている? など、素直じゃない受け取り方過ぎ

          震える感覚

          振り幅よ

          嬉し過ぎて悶絶しそうになること 怒りで血管きれそうって思うこと の繰り返しで、私ってすごい振り幅があるけど、なんかそれも豊かだなぁと思った。 怒りはお掃除ワーク(テハナシ)して、徐々に無くなっている部分もあるけど、子供を目の前にすると、現実で伝えなければならない時がある。 これは誤魔化したらダメなヤツっていう。 その時はもう全て出しきる。 でも、3次元の、怒りって疲れるね。 お掃除しよ。 とても嬉しいことがあって (連絡の内容だけで喜んでるんたけど) 布団に突っ伏し

          母に

          少し前に子ども達と介護の話になった。 子どもなのに『リアルな問題さ、お母さんは介護施設に入るの?』と聞いてくる。 えっ?私の介護?なんだけど。 そして、『お母さんは、おばあちゃんを介護するの?』と聞かれて うーん、それでも良いかなぁ〜 と、思った。 と、同時にそんな自分に驚いたんだ。 ラスボスは母であったことに気づいてから、祖母の介護なんかも含めて色んなところから、ズレが明らかになったから、私は絶対に面倒看ない!宣言してたんだよなぁ。 それが、まぁいいかな??

          もっと奥へ

          https://note.com/quirky_falcon137/n/n585d666794ab?sub_rt=share_b 何かを強要された。 このことで、私が子供の頃より大量に抱え込んでいたアレコレが噴出した。 幼稚園の時に、来ていた実習生とお昼に階段で話していて戻ったら、担任に怒られて立たされた。 →八つ当たりしてる。学生が悪いよね?と子どもながらに思っていた。 お弁当は残してはならない →お弁当に入っているミートボールに吐き気を催すのに母に入れないでとも言

          もっと奥へ

          あぁ〜まだまだあったわ

          今日は子どものことで謝罪を強要されることがあった。 ↑大袈裟な表現だけど、私が一番嫌なことなのだ。 そう、私から発動ではなく、何かを強要されること。 本当に不愉快なんだな。 社会的にみて、謝るのは当然なことなんて分かってる。 けど、それをこちらに選ぶ権利を与えられず、『謝ってよね』って本当に無理。 しかも、悪意があり起きた事ではないのは関わった人、全員が理解してること。 謝る行為ではなく 『やれよな』な圧が嫌で、またこれだよと 気付いた。 けど今日は珍しく胃が

          あぁ〜まだまだあったわ

          統合とやらはどんなもの?

          人は両極を体験することによって初めて統合するのかなぁと思った。 それって、もうあらゆることに当てはまるから、簡単に統合しました!な話にはならないね。 振り幅が大きいほど、真逆に行くのにはとてもとても大変で‥。 なかなか軽やかには飛べない。 だって真逆なんだもん、怖いよね。

          統合とやらはどんなもの?

          祈り

          1年前に、とても悲しいことが起きてしまった日 あの日から考えない日はなかった 彼女を更に想う1日 私は、忘れないよ オカシナ世界もまだまだあるけれど 貴方を想い続けて発信している人もたくさんいた その想いがきっと届きますように

          寝るだけの休日

          近頃の休みは楽しみな予定以外は何もやらずにひたすら寝ています。 お弁当の仕込み、家事がなければ、もっと寝ていたい。 子どもが小さい頃は一切こんな時間は持てなかったし、最近までも何をやってたのかな?というくらい休日も動いていた。 子どもが、成長するにつれて自分に集中できるようになったのもある。 そして、家族から沢山の気づきをもらえたのもある。 私が真逆で頑張ろうとしていたのに、家族はまるで反対なアドバイスをくれて。 主人に言われれば、そんなこと言ってもさ!!と反発心

          寝るだけの休日

          世界に見捨てられる

          と、いうなんとも大袈裟なタイトル。 ですが、そんな初めての感覚があった。 幸せな夢をみて こちらで夢日記を書いて。 楽しみにしていた1日だし、色々連絡取ったり、会ったり、こんなに充実しているのに、何だか世の中に見捨てられる感。 孤独感とも違う。 この1年、好きな世界で色々な事が起き、それに合わせて自分の変化もあった。 同じ共通の趣味での出会いと別れもたくさんあった。 『次はこれを叶える』って宣言した事が実現し、日常となり、では次は?という、継続状態になっていくこと

          世界に見捨てられる

          夢日記

          昨日の夢。 大切な人を心から愛おしいとおもっている。 疲れきっているその人が寝ていて腕を広げてる。 私は頭側からその人の二の腕をさすっていた。 場面が変わり 二人で歩いていて、仕事の合間に3日できた休みをその人は、私の家の方まで来てくれて過ごしたいと当たり前のように言ってくれた。 私はそれを受けて過去最高に愛されるって幸せ‥と心から安心と向けられた愛を感じていた。 目覚めても幸せだ。