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麦畑と夕暮れ —— ブルジェ/ドビュッシー 「Beau Soir 美しい夕暮れ」

沈みゆく夕陽に川面が薔薇色に染まり
麦畑の上を暖い震えが駆け抜けるとき
幸せになれ ! の声が物皆から飛び出し
苦しく乱れた胸に迫ってくるようだ。

Lorsque au soleil couchant les rivières sont roses,
Et qu'un tiède frisson court sur les champs de blé,
Un conseil d'être heureux semble sortir des choses
Et monter vers le coeur troublé,

クロード・ドビュッシーの歌曲《美しい夕暮れ》(詩、P.ブルジェ)の第1節。この麦畑、それが何を意味するかは、文化的文脈を共有している者にとって、痛切にか漠然かの程度の差はあれ、たぶん直感的に理解されるものがあるだろう。

この「麦畑」はここでたまたたまそこにあって描写された単なる風景ではなく、はっきりした連想を伴なっている。身も蓋もなく言ってしまえば、それは、男女、それも思春期の男女が愛を交しあう場所の連想だ。麦畑を田舎に育つ男女の愛の交歓の場所とするクリシェが、歴史的にどう成立してきたかはなかなか難しい問題だが、それは今も確固と存在している。雑誌・ネットなどで、フランス人の性的ファンタジーを問う「調査」との触れ込みの記事で「愛の行為を一度してみたいというような場所はどこですか」のベストテンの中に「麦畑」は、「エレベーター」とともに最強の常連として登場する。

参考記事: Les 10 endroits préférés des femmes pour faire l’amour …女性の好きな…10の場所」 https://www.femmeactuelle.fr/amour/sexo/endroits-preferes-femmes-faire-l-amour-45367
ここであがるベスト10の中で7位に自然(典型的には麦畑)。3位がエレベーター(他の順位はわりに新傾向のものもある。知りたい方はご興味に応じて。ただし、女性向けのサイトとはいえエロが好きでない方はやや閲覧注意。好きな方は大いにお楽しみあれ) 。

「エレベーター」と違って、麦畑のばあいは、さらに「若さ」「思春期」というイメージがついてくる。数十年前まで、そしてたぶん何世紀にも渡って、田舎に育つ —— あるいは田舎でヴァカンスを過ごす——少年少女にとって、そこは遊び場であり、また性的なイニシエーションの場所であり、そして納屋よりも安全で気持のよい、逢引の場所となってきた。大人になった男女、実際にそれを経験していない者たちにも、それは若い明さに溢れた幸せな性愛の象徴となり、ファンタジーの主題となる。

夕暮れどきになって、「麦畑の上を暖い震えが駆け抜ける」とき、それを前にした詩人に、そして彼の視線を共有する読み手に、若い愛の記憶とその喪失の思いが蘇える。日が暮れ麦畑の上を風が駆け抜けるときは、恋人たちにとって、もう家に帰らないといけない時間として、幾度と体験されたものだろう。光はまだあり風も生暖いが、これからみるみる暗く冷たくなる…そういう残酷な束の間の時間を、麦の穂の震えを自分たちの心の震えとして体験する。そして今、それらの記憶を前にして、物皆から発せられたように聞こえる「しあわせになれ」という声が、すでに、かき乱されてざわざわとしている心のなかにぐいぐいと迫ってくる。

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隠れんぼしたり、はじめて愛しあったり、ひざまくらして語りあったりという少年少女から大人への思い出、あるいは自分でそれはなかったとしても、そられの一連のことがらが「麦畑」の語から文化的にクリシェとしてでも思い浮かぶかどうか、そして、封じ込められていた記憶の蘇生を、「物物」から発せられる声として、そして肉体的への侵入として、ほとんど共感覚のレベルで記述しているその痛切さが、運動として感じとれるかどうかが、この詩への理解の大きな鍵になるだろう。もっとも私にもその体験は個人的にはない。私の生まれ育った島にあるのは、麦畑ではなく、サトウキビ畑だが、あれは茎が堅すぎてそうそう簡単には中に入り込めない。

ちなみに、詩人のポール・ブルジェ Paul Bourget (1852-1935)は、この詩をいつどこでで書いたのか、というより、この夕陽はどこの光景かが、やや気になったので調べてみた。この詩を収めた詩集の初期版にその答がある。

この「美しい夕暮れ」の詩は、『告白 Les Aaveux 』という1882年に出版された詩集に収められている。
https://archive.org/details/lesaveuxposies00bouruoft/page/104/mode/2up

この『告白』また、1887年に彼の詩作全集の第2巻として出版された『ポール・ブルジェ 著作集 詩作 1876 - 1882 Oeuvres de Pau Bourget Poésie 1876 - 1882 Edel - Les Aveux』の中にもう一つの詩集 『エデル Edel』とともに収められた。
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k272207w

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『告白』には100編弱の詩からなるが、「第1部 愛 Amour」「第2部 ディレッタンティズム Dilettantisme」「第3部 憂愁 Spleen」に分かれており、「美しい夕暮れ」は第2部に位置する。この第2部は37編の詩から成るが、そのうち18編が I - XVIII の通し番号をつけられた連作のグループを形成しており、「美しい夕暮れ」はその第7編である。

この連作の部分にはそれを統括する「旅の途上で En voyage」というタイトルが与えられている。そして、そこにちょっとした軽い驚きの事実があった。そのタイトルを記した中扉にの下のほうには「アイルランド、スコットランド (1881) Irlande, Ecosse (1881)」記されているのである。この夕暮れが1881の光景であるのはいいとして、光景はなんとフランスの風景ではなく、異国のものであった。

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この連作のタイトルは1887年の版では「Souvenirs du nord 北の想い出」になっていて、中扉も「アイルランド、スコットランド (1881)」の記述も削除されている。これだけだと、一般に北フランスのことか、ベルギーとの国境付近にあるノール県であるというように受け取らないこともないが、旅の始めのところに、船出やアイルランドの記述があり、中身を読めば、最初のタイトルを裏切るものではない。実は、ドビュッシーの参照した版が、1882年版であるか1887年版であるか分からないので — 私は後者と推測している — ドビュッシーがこの夕暮れの光景についてどちらのもたらす情報に基づいているのか確定的なことは言えないが、少なくとも、彼自身、これがフランスではなく、イギリス海峡の向こう側の光景だということは知っていたことは確実であろう。考えてみれば、夕暮れのあとにやってくる冷たさ、厳しさに関しては、そのほうが効果的かもしれない。そして、その一瞬の「美しさ」についても。

これに曲づけしたドビュッシーの《美しい夕暮れ》の音楽について、書き出すときりがないので、ここでは、作品の成立年代にについて、最小限の事実の確認を注記しておきたい。

日本語で検索すると、この曲の成立を1880年ごろと、ドビュッシーの若書きの作品として、それについての賞賛も込めて、記してあるものがちらほら見られる。1880前後の作説は英語のWikipediaの記述(1877/78)を含め、かなり行き渡っているが、原作の出版から見ても1880年の作曲はあり得ない。いちばん早くても1882年。この曲の出版は1891年で、そして現在では、作曲はこれに少しだけ先立つことが分かっている。1970年代に、初期歌曲が研究された際に、ドビュッシーがブルジェの詩に曲をつけた、1880年代初頭と年代のはっきりしていた他の作品群とともに、根拠なくそれと同時期と推測され、そして断定にもなっていったようだ。ルシュールの最初の作品カタログ(1977)にも、1880年頃の作品として作品整理番号 L.6が与えられた。しかし、Lの改訂版(2003)では1890年から91年をまたぐ時期のL.84に移動されている。New Grove2 (2001)年では1891年に。

そして、なにより、2018年6月に、オークションで浮上してきた自筆譜には、Janvier 1891 を示す J. 91の書き込みが見られる。
http://www.collections-aristophil.com/lot/92149/8924020?npp=150&

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ブルジェがこの詩を書いたのが29歳、ドビュッシーが曲をつけたのもやはり29歳。若いころの失われた幸福な愛への諦念を呑み込み、痛みと美しさを一体のものとして歌うためにはやはり、このくらいの歳である必要があるようだ。

第2節のテクストと訳。

Un conseil de goûter le charme d'être au monde,
Cependant qu'on est jeune et que le soir est beau,
Car nous nous en allons comme s'en va cette onde,
Elle à la mer,nous au tombeau.

声は言う。この世に生きている魅力を
味わえ。若く、夕べが美しいあいだに
ぼくらはこの波と同じく去り行くから、
波は海へと、ぼくらは墓場へと。

ここまで読んで、お腹いっぱいの方がいると思うけど、もうちょっと軽く短い違う方向への続きがあって、それはまた次回

[初出 FaceBook 2018年10月]

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