フロレンティア6 フィレンツェ ドォーモ そして語学学校

これがあのドォーモだ。ジョットの鐘楼だ。
圧巻だった。バスを降りると直ぐにこの街の
メインシンボルと言われるドォーモが現れた。正直学校に行くのを後にして、ずっと眺めていたかった。
これから語学学校に行く度にこれが眺められる。確かに素晴らしい境遇だった。
憧れの街を歩いた。ドォーモの前を横切り
ジョットの鐘楼を見上げて、ポンテベッキョの方角に進む。
そして、橋を渡る前に学校は直ぐに見つかった。

さて、勉学というと学校ではまったくついていけなかった。あたりまえといえば あたりまえの事だがいくら初級でも先生はイタリア語で授業するし、日本で一切勉強しておかなかった報いである。計画性なんてあったもんじゃあない。とりあえず行く事を決めたらお金を貯めようと、時給680円のバイトに入れるだけ入る。
それだけだ。そして、貯めたお金はイタリアに到着した当日に盗まれるという有り様だ。
行動力だけで突き進むとこうなるという典型的な駄目な見本だった。しかし、この方自分はイタリアなんか来るんじゃなかったなんて一度も思った事は無い。来て良かったと数十年経った今でも心の底から思っている。

さて、ここイタリアの語学学校ではイタリア語ができるものが、いばっていた。長く住んでいるからといっていばっていた。今思えば 海外生活がいっぱい いっぱいになっての自己防衛だったのだろう。
また、イタリアにきて間もない奴は、助けてもらいたいばかりに
長年住んでいるものに従っていた感もいなめない。
同じイタリアに住んでいてもイタリア独自の陽気さは見受けられずにいた。

学校に通いはじめて数日後のことである。
俺はある日本人にパスポートを盗まれた話をした。
『それで 日本大使館にはすぐに行ったの?』
「え?いやまだ・・・。」
『ど、どうしてすぐにいかないの(笑) そりゃあおかしいでしょ』
「・・・。」
『すぐにいかなくっちゃあ やばいって(笑)』

実際 彼女に言われるまでパスポートを再発行する為に日本大使館に行くことをすっかり忘れていた。
でもなんだか俺には 俺を心配してくれているより 彼女が嘲笑しているように感じた。

次の日は学校を休み ローマの日本大使館までパスポートの再発行の手続きを行いにいき、その後ローマには何度か足を運んだ。

相変わらず 学校では落ちこぼれていった。次第に勉強ができないとわかると日本人には軽視されるよう感じられた。それでも 外国の友人ができたのは 救いだった。

後に俺は日本人のいない Universita di Firenze per stranieri (フィレンツェ大学 外国人クラス)に移っていくことになるのだが、彼らとの友情は続いた。



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