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ぼくの秘密の家庭教師③

そんなぼくが風邪をひいたのは、二月のとっても寒い日だった。
「お母さん。気分が悪いような気がする。」
「寒いから学校ズルしようって魂胆じゃないの?」
「子どもは風の子だ。学校に行ったら気分が悪いことも吹っ飛ぶぞ。友だちと遊んだら元気になるさ。」
お母さんもお父さんも少しは一人っ子のぼくのことを心配してもいいようなものだ。しかし、日頃から自分の意見を言えないぼくは二人に押し切られて登校するはめになった。気分が悪いような気がしているからだろうか、ぼくのことを四頭の犬たちが心配そうに見てくれているように見えた。いや、お留守番になるからふてくされているだけなのかもしれない。
 学校に向かって歩いていると、どんどん気分が悪くなってきた。(気分が悪いのは本当だ。ぼくズルじゃなかったんだ。)
自分が自分を信じられないっておかしな話だけど、ないないずくしのぼくには、自分に自信がなかったんだと思う。
 校門まで来た時だった。
「3組の栄さん。おはようございま~す。」
百メートル以上は通る声で校長先生が朝の挨拶をしてくれた。ぼくは2組だけど訂正するよりも、挨拶をして早く教室のイスに座りたかったから、
「校長先生、おはようございます。」
と、いつもよりていねいに挨拶をした時だった。
「栄さん、栄さん。どうしたの?お顔が真っ赤ですよ。ちょっといらっしゃい。」
ぼくのおでこに手を当ててくれた校長先生は、今度は一キロメートル先にも聞こえるような大きな声で、
「すごい熱じゃないの。保健室に行きましょう。」
校長先生の声が脳みそに突き刺さるよ。痛いよ。
「校長先生、お母さんがまだ家にいるので、帰っていいですか?」
「お母さん、お家にいらっしゃるのね。わかった!今日はお家でゆっくり休みなさい。校長先生が担任の先生に伝えておくから。大丈夫?一人で帰れるかしら?」
事件好きの子どもたちが、校長先生の声に吸い寄せられてどんどん集まってきた。早くこの場を納めなくっちゃ。
「そんなに遠くないので大丈夫です。一人で帰れます。」
 もう、お母さんもお父さんも仕事に行ってしまっていることは知っていたけれど、とにもかくにも校長先生から解放されたかったし、これ以上、人だかりができても恥ずかしかったからね。ぼくはほんの小さなうそを言ってお家に引き返した。
 お家につくとやっぱり誰もいなかった。でも、大丈夫。ゆっくり寝るだけだから。夕方にはよくなっているはずだ。そう思いながら電気の消えた薄暗い静かな家に入った。
 いつもお母さんがしてくれるように、冷蔵庫から熱を出した時におでこに貼るシートを貼り、熱さましの薬を飲んでベットにもぐりこんだ。
(おでこが冷たくて気持ちいいなあ。体がベットに沈み込むみたいだ。)
 いつの間にかぼくは熱にうなされながらも眠りに落ちた。
「さっきよりは熱は下がってきたな。冷蔵庫から新しいシートをとってきてくれ。」
「おいおい、ボールを枕元には置くなよ。遊べないんだからな。」
「泣かなくても大丈夫だ。もうしばらくしたら熱も下がって元気になるから。お前が泣いたらゴロクが目を覚ましてしまう。」
(誰?顔に鼻息がかかる。どろぼう?えっ?どうしよ)
(あっ熱さましのシートを替えてくれた。気持ちいい)
(さっきまで寒かったけど、足先に湯たんぽをおいてくれたのかな?温かいや)
「クイミ兄ちゃん、おかんやおとんに連絡しておいたほうが良くない?」
(ん?)
「おもちゃだけじゃないんだなジッチは。気が利くな。」
(んん?)
「クイミ兄ちゃん、ぼく・・・おかんとおとんの電話番号覚えているよ。」
(・・・)
「まじか!さすがだなあジュナ。」
(な、なん・・・)
「クイミ兄ちゃん、ぼくはここでいいの?」
「ウニヨン。おまえは一番大きいから、温める役割はお前が最適だ。最高だぞ。」
(夢だ・・・そんなことあるはずない・・・ぼく、頭がどうにかなっちゃったんだぁ)
(寝よう。寝るしかない。いや、夢ってことは今はぼくは寝ているんだ。起きるんだ。夢から覚めなきゃ)
恐る恐る目を半分開けてみる。見慣れた天井。ぼくの部屋だ。半分開けた目をぐるっと回してみる。全身の力が抜けた。
「はぁ~びっくりした~やっぱ夢だ~。誰もいないし~。」
「いやいや、いたら逆に恐いよな。どろぼうだったら大変だし。」
その時、
「あっ、クイミ兄ちゃ~ん、ゴロクが起きたよ~。」
(ゴロク?誰?えっ?ぼく?)
ぼくがぱっちり目を開けると、クイミ、ジッチ、ジュナ、そして涙目のウニヨンがぼくを覗き込んでいた。
「ゴロク、大丈夫?ぼく心配で泣いちゃったんだよ。元気になってうれしいよ。」
間違いなくウニヨンが言った。
「ゴロク、早く元気になれよ。遊んであげるからな。」
ジッチが年上の子のように言った。
「ゴロク、お腹すいてない?何か作ろか?」
キラキラした目でジュナが言った。
「ゴロク、驚くのも無理はない。心配するな。俺たちが守っているから安心して休みなよ。熱が下がったらゆっくり話そう。」
落ちついた声でクイミが言った。
「わかった。少し寝るね・・・。ってわけないだろっ?夢なんだからぼくは今寝てるんだっ。夢に決まってるじゃないか、犬がしゃべっているんだよ。あぁ~ぼくはどうかしている。熱のせいで頭が変になっちゃったんだ~。」
一気にまくし立てたら少し落ち着いてきた。まわりを見渡すと、我が家の4頭の犬たちがぼくを囲んでお利口さんにちょこんと座っていた。
「なんだ。驚かすなよ。やっぱ夢じゃん。まだ熱があるんだな。夕方、お母さんが帰ってくるまでには熱下げなきゃいけないから、もう少し寝よ。」
ぼくは、信じたくないことから逃げるように独り言を言っていると、
「ゴロク、不思議だなと思ったことは、とことん追及することで何かを学べるんだぞ。今起こっている不思議なことを知りたいとは思わないのか?」
まぎれもなくクイミがまっすぐな目でぼくに言い、そして続けた。
「普通に考えると変じゃないか?人間のゴロクと俺たち犬が喋れるなんて。そうだろ?何でそうなったかは俺にもわからないけれど、
おれはゴロクとしゃべれることにすごく興味がある。」
他の三頭もうなづいている。
「おれはゴロクが生まれる前から、この家に住んでいるけれど、今日のようなことは初めてなんだ。」
クイミの優しく落ち着いた声と、他の三頭のかわいいまん丸いまなざしに負けてぼくはやっと口を開くことができた。
「ぼくの名前は野比っていうんだけど、どうしてみんなぼくのことゴロクって呼んでるの?」
「えっ?ゴロクは自分の名前を知らないのか。しょうがないなあ、おれが教えてやるよ。」
ガキ大将のような元気な声でそういったのは、ジッチだった。
「クイミ兄ちゃんがここの家の家族になったのは九月十三日。だからクイミで、おれは十月十一日に家族になったからジッチ。そしてジュナは・・・。」
「十月七日?」
「そうそう!よくわかったじゃないか。もうわかっただろ?おれたちはみんな家族になった日を名前にしているんだぞ。」
「もう一頭忘れているよ。ウニヨンは四月二十四日だろ?」
目をまん丸くして、ウニヨンは大喜びで、
「え~?ゴロクはなんでぼくのことは知っているの?うれしい。」
そりゃあ知っているさ。ウニヨンが家族になった日にはもうぼくは生まれてこの家にいたんだからさ。
「ぼくがこの家の家族になった七か月後に、ゴロクが家族になったんだ。小っちゃくてミルクのにおいがしてたよ。」
ジュナが懐かしそうにぼくのほっぺをクンクンしながら言った。
そうか!ぼくの誕生日は五月六日だ!だからゴロクなんだ。
クイミがぼくの額に手をあてて(正しくは足だ)、
「ゴロク、まだ少し熱があるから話はまた後だ。今はゆっくり寝ることだよ。わかっただろ。おれたちは兄弟だ。お前が苦しかったらおれたちが助けてやる。そばにいるからゆっくり眠るんだ。」
「もっと話したいよ。みんなと。眠って今度起きた時にはまたしゃべれなくなっているかもしれないじゃないか。」 
ぼくは、もっと聞きたいこと話したいことが山ほどあるのに、熱のせいで起き続けることができなくて、瞼が閉じてしまうことを恨めしく思った。
「大丈夫だ。心配するな。」
クイミの優しい声とガサガサした肉球を感じながら、ぼくは悔しいけど眠りに落ちた。
 眠っている間にも、何度かジュナがスポーツドリンクを少しずつ飲ませてくれたし、クイミは熱さましのシートを取り替えてくれた。ジッチはボールにフリスビーといったおもちゃを枕元まで運んで励ましてくれた。そして、ぼくの弟ウニヨンはぼくの足元でずっと温めてくれていた。ぼくは早く元気になって、みんなといろんなことをおしゃべりしたいというワクワクした思いと、見守られているという安心感でゆっくりと眠りに落ちていくことができたんだ。おかしいことが起きているということはすっかり忘れていた。
(何かすごく良いにおいがする。お腹すいたな。そっかお母さんが帰ってきてくれたんだ)
 熱は下がったみたい。体も楽になっている。目を覚ますとすっきりしていた。
ぼくは、あの夢のような出来事を確かめたくて飛び起きて大きな声で呼んでみた。
「クイミー、ジッチー、ジュナー、ウニヨーン。」
すると、お盆にお粥をのせてジュナが部屋に入ってきた。
「お腹すいたでしょ。もうお昼時間だよ。ゴロクは今日の朝ごはんも全然食べていなかったから。」
お盆を受け取りながら、
「このお粥さん、ジュナが作ったの?」
「うん。美味しいといいんだけど。」
「いただきます。」
本当はぼくはお粥が嫌いだった。お母さんのお粥はいつもレトルトパックでなんだか嫌だったんだ。でも、ジュナが作ってくれたお粥さんは驚きの美味しさだった。ぼくは夢中で食べた。百杯でも食べれるほど美味しかった。
「すごくおいしいよ。ジュナって料理の天才だね。」
「そんなことないよ。じっくりコトコトお米から作ったからだよ。きっとおかんも時間があると作ってくれるよ。おかんはいつも仕事が忙しいから大変なんだよ。本当はぼく、お手伝いしたくてうずうずしているんだ。」
なんだか心を見透かされているような気がした。
 すると、薬とスポーツドリンクを持ってクイミとジッチ、そしてウニヨンが入ってきた。
「ゴロク、おかんとおとんにはおれたちのことは内緒だぞ。これはおれたち五兄弟の秘密だ。いいな。」
クイミがウィンクをして、いたずらっぽく言った。しばらくして、
「ただいまー。野比?いる?大丈夫?」
お母さんが心配そうな声を出しながら部屋に駆け込んできた。
「ごめんね。朝もっと野比の言うことを聞いてあげればよかったのに、ホントごめんね。きつかったでしょ。一人で不安だったよね。
 ごめんね。」
「お母さん、謝るのはぼくの方だよ。仕事も忙しいのに心配かけてごめんなさい。はっきり言わなかったぼくが悪かったんだよ。もう大丈夫だよ。」
驚いた顔のお母さんは、
「野比!どうしたの?まだ熱があるのかしら。それとも熱でどうかしちゃったのかしら?」
ぼくは慌てて、
「お母さん、どうしてぼくが熱出して家にいるってわかったの?」
「覚えていないの?あなたから電話で『おかん、熱出て苦しいワン、学校から帰ってきたワン』って。そしたらそのあと学校から電話
があったのよ。」
誰がかけてくれたのかな?ぼくはクスクス笑いたくなるのをこらえるのに必死だった。
「野比っ!自分でお粥まで作ったの?作り方知っていたの?」
やばい。詳しいレシピをジュナから聞いていないぞ。え~とえ~と
その時、ぼくの脇に待機していたジュナが、
「お米一に水七でコトコトだワン。」
「ワン?・・・」
「『ワンダフルなお粥のつくり方』って本に書いていたのを思い出して。学校の図書館で読んだんだ。だから、作れたんだよ。」
「野比って、お母さんが知らないところでしっかりしているのね。何だか見直したわ。ねえ、夕ご飯何か食べたいものある?」
「お母さん、レトルトのお粥にして。お母さんが早く帰ってきてくれただけでうれしいから。」
お母さんがにっこり笑って、ぼくを優しく抱きしめてくれた。
(あぁ~お母さんの匂いだ。いい匂い。)
 その日はお父さんもいつもより早く帰ってきてくれた。
「野比、お父さんが学校に行きなさいって言ったこと、悪かったな。お母さんから聞いたぞ。自分でお粥もつくって、薬も飲んで休んでいたんだってな。えらいぞ!野比、お前すごいな。」
「野比、熱もだいぶ良くなっているけれど、用心のために明日は学校お休みしたほうがいいと思うんだけど。一人でお留守番できる?お昼ご飯はお母さんがお弁当作っておくから。お父さんもお母さんもお仕事休めないんだ。大丈夫かな?」
お母さん!ホントにホント?なんて素敵な提案なんだ~うれしすぎるよ~。
「風邪こじらせてもよくないもんね。ぼくは大丈夫だよ。でも、お母さんお弁当作るの大変だよね。ごめんね。」
ぼくは嬉しさを必死にかくして、できるだけ冷静に言った。何てったって、明日は学校休んで一日中家にいられるんだ!こんな嬉しいことある?遠足よりもうれしくてもう眠れないかも・・・。早く明日になってくれー。さっそく、ぼくは四頭のベットに駆け寄って話かけた。
「クイミ、ジッチ、ジュナ、ウニヨン。明日もぼくのそばにいてね。ぼくの兄弟たち。」
その様子を見ていたお父さんが、
「こうしてみると、確かに五人兄弟だな。長男のクイミ、野比のこと頼んだぞ。」
というと、クイミは「任せてよ」と言わんばかりにグゥーと思いっきり、そして力強く伸びをした。

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