泣き声 なにもない未来へ

ほとんど思考に黒いとばりが降りてる中で
深呼吸、2回ほど深呼吸してnoteを立ち上げた

昔、近所の占い屋さんに占いをしてもらった
前から気になっていた名前の占い屋なのもある
円盤みたいなものの上にさまざまな文字があって
生まれだとか、そう言うのを聞き取りながら占っていく(今少し調べたけど、紫微斗数というもの)

その時は自分の心が不安定なこと…とにかく安定についてを見てもらったような記憶があるのだが
「あなたの人生においてどこかに長く落ち着くことはありません」
「あなたにとっての、主に心の安定は何かに打ち込んだりすることでしか得られないでしょう」
「もし仮にパートナーができても長くはないです、その場その場のあなたの目的で一緒にいる人は変わっていきます」と

全く………求めていないことばが雨あられに返ってきてあらためて……当時私は筆を折るか、もう一度取るかなども含めて悩んでいたから「やはりそうしかないのか」と頭ではわかっても心底分かりたくなかった。アドレナリンとかノルアドレナリンのことにもあるけど、人は行動を起こさないと不安が募る生物だってのはわかってるんだけど

じゃあ聞くけどさ、その「何か」ができない時はどうするの?心の充足を得るために動けない時はどうするの?どうしてそんな辛いことでしか安心したり安定した気持ちになれないの?

何で無条件な安心が手に入らないの?
幼稚なのはわかってるけど本当にこの一言に尽きる。そうおもったところで、本当に嫌になってしまい、そばにあった布団におもわず抱きついてしまった。

どうにかならないかなコレ、と「無い物ねだり 人生」で検索をして、出てきた記事は自分の体型や体質についてのブログだったんだけど、ないならあるものを活かそうとあってもうブラウザを閉じてしまった。

だから、なんにもないんだって言ってるじゃん…
ないからさがしてさがして、つくってつくって、それも本当にめんどくさくてやりたくなくてなんでこんな呪いじみたことしてるんだって思ってるって。

泣き声である…あーこれ、きっと冷静な時に見たら「なにいってだこいつ」と思うだろうけど…何で生涯通して安心感が一ミリもえられないの?
というか、どうやって安心感を得ていけばいいの?(そこが問題な気もするけど)

自由になきわめく子どもが心底鬱陶しいし心底羨ましい。
勿論なんだけど彼/彼女たちにも
「わからない」
「わかってくれない」
「どうすればいいかわからない」
整理できないきもちが喚きになって叫ぶつらい気持ちがあるのがわかる。

人生のうち絶対に得ることのできないものをねだって、自分にないそのそれを持っている人に攻撃的な言葉や態度を示す…癇癪を起こして…

泣きわめく子供のようなことはやめて、もう本当の覚悟をもってして、安心もなにもない世界で堂々と生きれるような…どうすればいいんだろう、例えば極論ひとのことなんかどうでもいいとかおもえるようになればいいのか?
わからないけど覚悟のような何か諦観ではない強い意志をいい加減持たなければいけないというのがこのnoteを開いたきっかけだった。

あのね、なにもないところから未来をつくるっていうのは、作ったあとに何かが出来て残っても自分が立つそのさらに先には同じくなにもない未来しかなくて、つくりつづけることでしかなにも残らないんだよ、そして残ったものは大切だけど拠り所にするほどこだわり倒せると思えない………

未来をつくる、そういう生き方を心から楽しいと思えるようにならない限り「アーユー、ハッピー?」の問いには答えられないのでは、というところまで考えがたどりついた。もう朝じゃん、今日は早く寝たかったのに…

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