消えるものと残るもの

また一冊、本を読み終わった
いうて、この本は何度も読んでいるが

読みかけで最後の章が惜しくとっておいたのもあり、夜に読みきるつもりだったけど、どうしてもしごとで疲れて眠いので、少し目をつぶってしまった…気づいたら本を持ったまま朝になってた

カーテンは閉まったまま、冷たい夜の気温を残したまんまの部屋で静かに読み終えた。この本は開いて間もない頁数から「作者自体の感じる孤独/疎外や、悲しみ、そしてわずかな光への祈り」をわりと露骨に感じたので「よくある、漫画家がキャラに自分の言いたいこと言わす」みたいなのを一瞬彷彿として

違う。これは「祈り」でありそれをうちは決して人の祈りをないがしろにしない。 そう思いながら気持ちを汲んで読むことが多かった

エピローグにもしっかりと祈りが詰まっており、あとがきにもだいたい感じた通りのことが綴ってある

ネットのレビューで一番「悲しい」とされている章があるのだが、私はものすごく…言い方が変だけど…「ロックだ」と思っている
保証もなく未来もわからないなか、ひたすら身を削りながら歩くこと 帰る場所さえないまま何度も道を転げて戻されても必ず決めた場所へ向かう様が、うちの感じている「ロック観」そのものだったから

自分にはどうにもならないと思うことがあってそれで拗ねたり当たり散らかしたりすることがある
寂しいし、一番はやっぱ、悲しいから

この作品は終始、全てのものは儚いが、想いがある限り  わすれないかぎり  わすれるひとがいないかぎり  形が消えても「わすれないように、わすれずに残していく、いずれそんな私が消えてしまっても」ということをかいている
そのことで素敵な登場人物が傷心したりしながらも日々のきらめきをひろいながら永い永い毎日を生きている

素敵であるが故に傷つくことがあり
素敵であるが故に得られぬものもある
孤独をだれしもが感じる

さんざん言ってるけど私は不安がちだ
すべての物事はずっとは続かない
それでも口だけでなく本当に「今を愛せる」か?
ずっと不安だったし考えなくていいんだといろんな人に言われるまいにち

実際起きてないことに頭を使いすぎていて、それで少し体調も変になったりしてるが、それはこの異常な季節の都合もあるとは思う

考えることを捨てるのがもったいなかった
大人……たとえば親から見たらゴミまみれの子どものズボンのポケットみたいにたくさんの言葉や考えが砂利を帯びたみたく軋んでて、もうなにかを拾うのをやめたいといつもかんがえているし、さすがにポケットの砂利の軋む音に疲れてきた
太陽による体調より先に、頭の熱にバテた

そりゃあゴミだとか、忘れた方がいいこともある
考え「続け」ない方がいいこともある
ただ感情が何かで動いたことは忘れないでよくて、それは誰に知られなくても自分のあかしになっていく

振り返った時に何もないのは悲しすぎる
忘れなくていい、思い出せばいい
忘れずに生きていくことが魂をおおきくする
誰が忘れても自分がおぼえていこう

きっと自分も「おぼえられるはず」だった
うちは、おぼえてくれる人がいたことを「わすれない」で毎日を拾いながら生きる

悲しさやむなしさが満ちていることを忘れなくていい、でもそこにずっと居ずに何かを見つけに

そう、形は消えてもいいじゃん。
ずっとなんてないんだよ。
ケイクスが8月にサービス終了を発表して「やっぱ自分のコンテンツを外部に任せるのは良くないですな〜」というひとがいたけど

もともと物はきえていってわすれられていくものだから それでも忘れず背負ってもらえることにほんとの価値があるなとおもっているから

それでnoteを再開したっていうのも、ある


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