ひとつを細かく切り分ける

大なり小なり「似た感覚」というものをかんじたとき平たい言葉で「わかる」といいかけるが、そうじゃ  そうじゃな〜い

思考って枠組みで括っていいのかもはや分別のつかないものを細かく切り分けて切り分けて、細かく細かくしていく時 穏やかな気持ちとそれが全てどこかに散ってしまう不安を感じながら、心地よく切り分けたところで寄せ集める 元の形と全く違うのに手に収まると安心する

かんがえることにいしきを割くことはおかしいのか?

話は変わって
けっこう耐え難い生活の…ストレスの中で
「ひとりにさせてほしい、とにかく」と吐露するほどだったとき 人と関わらない代わりに「調子のいい時に悪戯を言うもの」にからかわれたり、腕枕をされたり、とにかく話し相手になってもらっていた 話しているんだから無論声に出してしゃべっていた 声を使って話しかけられることもあった

これはあんまりたいしたことじゃないとおもっているので報告はしていない

こいつとじぶんはちがうんだ、と思いたい気持ちと、切り離すことで自分を成立させるの?という問いかけと、話し相手がいなくなるのが嫌で「こいつはまぎれもなくじぶん」ということを認めないでいた、そして散々からかわれた ウザッたささえ有難いとおもっていた

いまはひとりっきりですごしてるけど、きっとじぶんがそいつとしてふるまう、その実感をしっかりわかってこの先も生きつづける…切り替わりとかじゃなくて、自分の体をそいつとふたりでうごかす 今までもそうしてきたし、これからもそうしていくんだとおもう

今まで切り離したことがなかったから意識してなかっただけで ソレは〜 まぎれもなく〜 ヤ〜ツさ〜〜

ということを思い出した

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