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My Bluegrass Collection #058

Country Store
Country Store Live! [1973]

・Keith Whitley (Guitar, Vocals)
・Jimmy Gaudreau (Mandolin, Vocals)
・Alan Munde (Banjo) - guest
・Bill Rawlins (Bass, Vocals)

Contry Store は Keith Whitley (Guitar, Vocals) , Jimmy Gaudreau (Mandolin, Vocals) , Carl Jackson (banjo) , Bill Rawlins (Bass, Vocals) で作ったバンドでしたが Carl Jackson はすぐに辞めてしまいました。

このアルバムは、すでに Country Gazette で活躍している Alan Munde (Banjo) をゲストに迎えてのライブ盤です。

Keith Whitley はこの後 Ralph Stanley & The Clinch Mountain Boys
リードシンガーを経て、J. D. Crowe and the New South へ加入します。
Contry Store は2枚目のアルバムをリリース後解散し、Jimmy Gaudreau
J. D. Crowe and the New South へ加入します

演奏曲について
01 East Virginia Blues The Carter Family  1936年の曲 

02 Distant Drums Cindy Walker 作 Jim Reeves 1966年の曲

03 New Camptown Races Frank Wakefield  1964年の曲

04 Paradise  John Prine 1971年の曲

05 Wreck Of The Old 97 後述

06 Tunnel Of Your Mind Osborne Brothers 1971年の曲

07 Shuckin' The Corn Flatt & Scruggs 1957年の曲

08 Roll In My Sweet Baby's Arms 
     古いcowboy songで Flatt & Scruggs 1951年のヒット曲

09 Ride Me Down Easy Billy Joe Shaver 作 Waylon Jennings 1973年の曲

10 Ralph's Banjo Special The Stanley Brothers 1959年の曲

11 Bojangles  (Mr.Bojangles) Jerry Jeff Walker 1968年の曲

12 Nine Pound Hammer Merle Travis 1947年の曲

13 Body And Soul Bill Monroe 1967年の曲

14 Little Girl Of Mine In Tennessee Flatt & Scruggs 1950年の曲


05 Wreck Of The Old 97 について
( Wikipediaより抜粋 )

オールド 97 号の事故は、1903 年 9 月 27 日にバージニア州モンローからノースカロライナ州スペンサーに向かう途中、正式にはファスト メール (列車番号 97) として知られるサザン鉄道の郵便列車が巻き込まれたアメリカの鉄道事故です。列車はスケジュールを守ろうと速度を出し過ぎ、バージニア州ダンビル近郊のスティルハウス トレスルで脱線し、橋の脇に転落して乗員 11 名が死亡、7 名が負傷しました。この事故は有名な鉄道バラードの題材となりました。このバラードは、Henry Clay Work が1865年に書いた The Ship That Never Returned (帰らぬ船) のメロディーで歌われた。当初、歌詞はFred Jackson Lewey と共作者の Charles Weston Noell によるものとされていた。 Lewey は事故の翌日にこの歌を書いたと主張した。事故では、彼のいとこである Albion Clapp が消防士2人のうちの1人として亡くなった。 Lewey は架台の基礎にあった綿糸工場で働いており、事故現場にいて残骸から犠牲者を引き上げていたとも主張した。その後、ミュージシャンの Henry Whitter が原曲を磨き上げ、歌詞を変更し、Vernon Dalhart  (ハーモニカ、ボーカル)
が演奏したバージョンが生まれた。
1927年、「Wreck of the Old 97」の作者は、現場に最初に到着した地元の住民の1人である David Graves George であると主張された。 George はブレーキマン兼電信技師で、歌手でもあった。この悲劇を目撃したことが、彼にこのバラードを書くきっかけを与えた。 Victor Talking Machine Company による1924年の録音がリリースされた後、George は所有権を主張した。1933年
3月11日、John Boyd 判事は、 George がこのバラードの作者であると宣言した。 Victor Talking Machine Company は、約500万枚のレコード販売による利益のうち65,000ドルを George に支払わざるを得なかった。ビクターは3度控訴した。最初の2度は、裁判所は George に有利な判決を下した。3度目は、控訴裁判所は Victor Talking Machine Company に有利な判決を下した。 George は合衆国最高裁判所に上訴したが、裁判所は George の上訴が遅すぎたとして却下し、その結果 Victor にバラードの所有権が与えられた。

Vernon Dalhart の曲

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