竹藪の仙人

去年の春に心を悪くして3ヶ月ほど入院をしました
心を悪くしたキッカケがあることはありますが、どちらかといえば小さい頃からストレスを溜めやすく
溜めたまま苦しむ質だったので、遅かれ早かれ入院をしなくてはいけない身体だったように思います
お陰様で順調に回復し退院後も月に一度の通院と毎日のお薬は、欠かさないようにしています
最近ではアルバイトもしていまして、少しずつ社会復帰が出来ていると感じています
アルバイトのない日は町の図書館に行って読書室で過ごすことが多いです
夏休みや冬休みの期間は若い学生さんが沢山いますが、普通の平日はちらほら、おじさんがいるくらいで伸び伸びと本を楽しめています
ただ一度だけ奇妙な出来事がありましたので、皆様にお話しようと思います。あの時は、もしかしたらまた心を悪くしてしまって幻覚や幻聴が起こっているのかと疑いました。もしくは、これはすべて夢の中の出来事なのかもしれないとまで思いました。月に一度の診察の時に先生に話してみようかどうか、迷いましたが、また気が違ってしまったと思われ再入院なんて事になっても困ります。
だから、まだ、誰にも話していない出来事なのです。

例年通り2月の平日に大雪が降り関東地方の交通機関が麻痺した日のこと。私はいつものように朝7:00に妻と息子に「行ってきます」と言って家を出ました
その日はアルバイトはない日なのですが、妻の両親と暮らしている為、平日の昼間から家でぐうたらとしているわけにもいかず、妻とよく相談して入院前と変わらず平日はお勤めをしている事になっているのです。
なので大雪であっても沢山厚着をして、長靴を履いたクマのようにノシノシ歩きながら図書館を目指しました。図書館が開くまでまだ一時間ほどあるので近くのマクドナルドで一番安いコーヒーを買って時間を潰すことにしました。大雪だと云うのにいつも通りの入で驚きましたが、私もその一人なので偉そうなことは言えません。皆さんも私のように居場所を探しているのかな、などと思い妙な連帯感を一人感じます。ちびちび飲んだコーヒーが無くなったところで図書館へ向かいました。外はまだ上から下へ無数の雪の綿が降り続けています。長靴の雪を落としながら玄関を入ると図書館は大雪のせいか、誰もいませんでした。朝早いのもあるのかもしれないなと思い、気にせず江戸川乱歩を数冊掴んで読書室で、温かい暖房にうつらうつらしながら過ごしていました。
 江戸川乱歩の蟲を読んでいたところに、一人の老人が私の隣なりに座りました。まだ私しかいない読書室で私の隣なりに座ったのです。
私がなるだけ、何気なく隣を向こうとすると、先に声をかけられました。それも部屋いっぱいに聞こえる大きな声で「子供が笑うと良いのにねぇ!子供が泣いているのは良くないねぇ!」と言われました。
ぎょっとして隣を振り向くと老人がこちらを向いて座っていました。片手には杖の代わりでしょうか竹を一本握っていて顎には長くちりちりの白髭、上の方に巻き上がった鼻毛に禿げ頭に淋しく残った白髪が穴の空いた水風船から水が漏れたように一本、また一本とこれまた長く伸びています。大きく笑った口には数本の歯が残っているだけでその歯も黄色く汚れていました。私はこの老人を知っていました。私の実家は今住んでる妻の実家の隣町にあるのですが妻の実家と比べると山寄りになり子供の頃はまだ田畑が多くのどかな所でした。夏になると小学校の帰りなんかは友達とザリガニ取りなんかをして泥んこになって遊んでいました。そんな子供が沢山いました。当時、そんな子供達の間では怪談話も盛んでよくある学校のトイレにまつわる話や、山の中にある洞穴に住む妖怪など今思えば怖くも何ともない話なのですが、子どもの自分はそのような話を思い出すたび心臓が飛び出るほどドキドキしていた記憶があります。その噂の中の一つに"竹藪の仙人"というものがありました。町外れの山の側に大きく広がる竹林の一角がありました。そこは昔から大屋敷があるのですが、その立派な大屋敷は広大な敷地の中に、よく手入れされた庭と、これまた立派な蔵が有りました。また歴史ある日本家屋に度々増築を繰り返したようなのですが、増築された所は何故か洋風建築のため、一見とてもアーティスティックでお洒落な建物に見えるのですが、日の暮れた頃に遠目に見える御屋敷は暗がりに凸凹した巨大な生き物のように見え怖ろしいと思ったものでした。そしてその隣の鬱蒼とする竹林の中に小汚く今にも崩れ落ちそうな家がありまして、いえ、あれは家というより小屋と申したほうが良いですね。その小屋に一人きりで住んでいる老人がいました。彼は子どもの間では"竹藪の仙人"と呼ばれていました。噂の中では竹藪の仙人は子供を喰うだとか女の血を吸って生きているだとか夜になると庭で火を起こし奇声を発しているだとか言われておりまして、それはそれは子供たちには恐れられていました。その竹藪の仙人が今、私の隣に座っているのです。
 
僕は竹藪の仙人を見たまま固まってしまい「ああ…」だとか「うう…」だとか言葉が出ずにいると
「まだ、生きてるねぇ!まだ一人生きてるねぇ!」
とまたしても大きな声で言うのです。
私は、いくらか気持ちを落ち着かせて何を伝えたいのか考えてみました。私の見たところこの竹藪の仙人は少々知恵遅れなのだろうと分かりました。
そんな彼が見ず知らずの私に何かを伝えたいのだろうと。いくぶん強い意志を持って伝えようとしているのではないかと考えました。
よく見ると竹藪の仙人はやせ細りしわくちゃで、来ている服などはこの大雪の日に外に出るにはあまりにも軽装で、薄い生地のかつては白かったであろうシャツは鼠色をしていて、無数のシミや穴がありボタンも所々取れかかってこの命綱を離すものかとブラブラと必死にぶら下がっています。羽織っているのは薄手のジャンパーのみで綿など入っておらずペラペラのビニールを着ているようでした。足元はいわゆる便所サンダルで足が赤くなっており、見ているこっちが寒くなりました。そんな様子を観察しながらもう一つの頭では子供、泣く、生きている、等の竹藪の仙人の言葉が響いています。落ち着きが戻るに連れ、その声は大きくなりました。子供?泣く?生きている?
「あ、あの、子供がどうかしたんですか?怪我でもしているんですか?」と質問をしてみました。
竹藪の仙人は笑顔のまま「あ?」と言いました。


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