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「真実の終わり」を読んで

著者のミチコ・カクタニのことは、2016年の大統領選挙をツイッターで追っているうちに知った。米国で最も著名で信頼され、かつ辛辣な文芸批評家、NYTで何年も活躍されていること、父君は数学者であったことなど、wikipediaを見ると色々書いてある。もちろん会ったことはない(笑)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%81%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%8B

その彼女が外題のような本を書き、2019年6月に集英社から翻訳が出た。奥付も含めて200ページに満たない著書。目次を書き出してみよう。

第一章 理性の衰退と没落
第二章 新たな文化戦争
第三章 「わたし」主義と主観性の隆盛
第四章 現実の消滅
第五章 言語の乗っ取り
第六章 フィルター、地下室、派閥
第七章 注意力の欠如
第八章 「消火用ホースから流れ出す嘘」
     -プロパガンダとフェイクニュースー
第九章 他人の不幸を喜ぶトロールたち

ああ、その話ならもう間に合ってます、というような項目の羅列。
しかしながら彼女の書く内容は、日本の〇〇評論家の書きそうなそれとはまったく別物だった。

第一章の書き出しは、若きアブラハム・リンカーンの1838年の演説で語られたある懸念を示すことから始まっている。

独立戦争の記憶が過去へと薄れるに従い、建国者たちが残した市民権と親交の自由を守る政府機関への軽視が、米国の自由を脅かしつつある。法の支配を維持し、「我々のなかに突如出現」するかもしれない圧政者になり得る者の台頭を阻止するためには、落ち着いた理性ーー「冷静で、慎重で、感情的でない理性」が必要だ。彼は観客に忠告した。「最後まで自由」であり続けるためには、理性が米国人に受け入れられなければならない。「健全な倫理観、特に憲法と法律に対する敬意」と共に。 (同書P.17より)

リンカーンが280年あまり前に示したこの懸念は、残念ながら現実のものとなって米国の美徳を侵しつつある。そしてそれは世界各地へと悪い形で飛び火していっていると言ってもいいだろう。

こうした世情を鑑みて真っ先に思い浮かぶのはG・オーウェルの「1984年」であろう。ビッグ・ブラザーに完全に情報をコントロールされた世界をオーウェルは未来小説として書いたのだが、予言された1984年を35年経過した今起きている出来事はもう少し複雑怪奇だ。

第一章から第三章にかけて、著者はポスト・モダンの現代思想の潮流が唯一の真実よりも自分がどう思うか、という主観に重きを置く方向に加担してきたことを丁寧に説き明かしている。そうして専門家の間で練られてきた話法が一般化されていく中で、悪用する者も出てくるのである。第四章と第五章では、悪意を持った者たちがポスト・モダンの知識人が得意としてきた話法を乗っ取ることにより、その言説を無力化し、民衆を惑わせる言説を産みだす道具に変えてしまったことが語られている。

第六章以降は一般人にもおなじみの風景であろう。検索エンジンやSNSが自分の特性に応じ選択的に与えてくれる情報の洪水によって、同じ志向を持つ仲間同士の結びつきが強まるとともに、その輪から一歩外に出た社会全体への注意力はどんどん削られていっている。そしてそこに供給される大量の偽の情報と大量の偽アカウントによる組織的な行動により世論が形成されているかのような印象を人々に与え、実際の投票行動にも影響が及んだことがその後の捜査で明らかになっている。米国で起きた事実関係を丁寧に取りまとめた本書は第八章で、こうしたかく乱作戦はロシアが長年にわたる世論操作で磨き上げた一流の技術を駆使していることにも触れている。

私の雑駁な理解と舌足らずの文章力ではこの程度にまとめるのが限界だし、まとめてしまうには惜しい短いけれども濃密な本である。ぜひ手に取って、その雰囲気を味わってほしい。

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