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(主に)ミッドナイトスワンの感想・解釈

めんどくさがりの出不精なもんで、日曜日に2本まとめて見る。さすがに疲れる。ミッドナイトスワンからのヴァイオレット・エヴァーガーデンという流れは泣きに来てんの?って感じですが、泣いたでしょうか。周りは鬼滅見に来てる人だらけ、そっちはもうちょっと空いたら行こうかな。

ミッドナイトスワンは泣くかはさておき考えさせられる話だった。

最も印象深いのは「なんで私だけ」の泣きの演技だった。主人公のトランスジェンダーのナギサはどんなに服装や生活を整えても周りからはマトモに扱われないし、TVに出るタレントやショーパブの同僚みたいに道化にもなり切れず、かといって鈍感にもなれず傷つきながら「強くなるしかない」と心がけている人で、外はなおのこと一人になった部屋の中ですらゴミ一つの乱れも許せない張りつめた精神状態で暮らしており、ギリギリな感じが出てた。

===以下ネタバレあり===

主人公に感情移入して観ている最中はバレエの先生が言う「お母さん」は救いのあるシーンのように思えたが、数日考えたときに実は逆の役割を果たしたのではないかと、思い当った。

というのも、その時点までは相手を思いやる純粋な愛情だったところを、「母性」と定義づけられたことで、「女性」であるために必要な条件という意味でイチカに執着してしまい、母親の座をイチカの実母と争い破局をもたらす羽目になってしまったように思えたからだ。

この物語のモチーフである「白鳥の湖」のヒロイン・オデットというのはいろいろあって呪いが解けず最後は王子と心中して死ぬ(死んで救われる)姫なので、お涙頂戴と言われてもナギサがああいうラストになるのは物語上決まっていたことだと思うが、イチカの踊りの助けを得て朦朧とした意識の中母親になることへの執着を忘れ、子供の時から抑圧していた部分とともに昇天したと捉えると、きれいな終わり方だなと思った。

ところで、ロットバルト(オデットに呪いをかけた悪魔)は今の社会ということになるのだろうか...

トランスの人達が姿を隠したり道化にもならずに自然体で普通に暮らせるようになるのはいつの日か。



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