アニメにおける「色褪せ」

およそ15年前。「らき⭐︎すた」というアニメがあった。京都アニメーションの名作である。
ここでの「名作」とは、
一般大衆に評価された作品のことを指す。
……………。
上記から悪意が滲み出ているだろう。
僕はあまりこの作品が好きではない。
「この作品の出来が悪いから」ではない。
「この作品がもはや自分にハマらない」からだ。そんなの自分のせい…………?
こんな事を言うのにも理由がある。

(ダンディ様より引用)


こんなの、今の世代に誰が分かるんだ…?
当時としては、最新であり、一級のネタ。
作品のレベルを引き立てたのだろう。
今となってはどうだろうか。
何人がこの全てを知っているのだろう?
更には、何人が半分以上知っているのだろう?
ハッキリ言って、もはやギャグとして無理なのだ。もはや古典を見ているようなのだ。

しかし、同じ京アニでも、良い作品がある。
「涼宮ハルヒの憂鬱」だ。
このアニメは、明確なパロディが少ない。
(堕ちろカトンボ!とか言ってたな)
しかし、自分からした時のこの作品は傑作だ。
これは、このアニメが「素で」面白いこと
を意味している。
素で面白いと、色褪せない。


アニメには様々な魅力がある。
勿論パロディにだって。必ず心に残る。
しかし、パロディは色褪せる。
色褪せない作品こそ、傑作であるべきだ。


僕の友人に最近らき☆すたを見た奴がいる。
(A君ではない。A君は雪歩にメロメロだ。)
ソイツは一体何を見て気に入ったのだろうか。

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