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流産した子への思い、男女でこんなに違うなんて

流産した子の母子手帳をめぐって

 娘の家に行った時のことです。
 娘の夫が子どもの母子手帳を探していました。
「あ、これ?」
 手に持った母子手帳は、娘が1年前に流産した3人目の子の物でした。
「3人目の子の?」
 夫さんはとてもやさしい人なのですが、その時はさんざん探してイライラしていたのでしょうか、
「捨てちゃえば」
 そう軽く言いました。
「捨てられなくて」
 言い方に感情はこもっていませんでしたが心の中では、忘れられない、捨てられるわけがない、そう思っているはずです。
 私は娘の気持ちがよくわかります。私も流産の経験があるからです。5人目の子でした。妊娠が分かってわずか1カ月、子どもはお腹の中で死んでしまいました。母子手帳もまだもらっていませんでした。
 4人子どもがいればじゅうぶんと思いますか?
 とんでもない。私は悲しかった。
 思い描いていた未来がスパンとなくなってしまうのです。よく泣きました。
 そしてそれからです。5人目の子が生きて産まれてきたら、今何歳かといつもいつも考えてしまいます。
 それは16年たった今でも続いているのです。産まれていたらもう高校生だと思います。
 
 ところで娘の夫さんのことがあって、ふと自分の夫はどうなんだろうと思いました。
 それで先日夫に聞いたのです。
「私が流産したの、覚えてる?」
 夫は言いました。
「覚えてるよ。どうしたの?」
「思い出すことある?」
「それは……」
 全くないでしょう。しかしそれはしかたのないことだと思います。1か月妻が体調不良だったくらいの認識だと思います。
 女は妊娠して母になり、男は産まれた赤ちゃんを見て初めて父になるということでしょうか。
 
 娘の母子手帳騒動を見て、そんなことを考えてしまいました。
 
 
 

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