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25卒 日東駒専の就活体験記


初めに

※「後悔」と「終わりに」が書きたいことでした。

就活体験記ってなんだろう。
私が出したESの数や面接通った企業を書いたところで、そんなものに関係なく、やる気がある人は当然のように量をこなすし、自分が行きたい企業には全力で書類を出すのではないか。
と思うと、具体的な数値ではなく自分の体験談を思いっきり書いてみようかなと思いました(当然、私が提出したESの数は目安にはなると思います)

この記事はひと言で言うと「備忘録」です。
あの時、やり切れなかったと思う感情や悔しかった感情を留めておきたくて、自分でメモを作成したものを修正して公開しています。
具体的には、私の就活スケジュールと就活に関する後悔、みたいなものを書きました。

無料ですし、自己満なのでじっくり読む価値はないです。サラッと流して、企業のエントリーに時間をかけてください。
「どうしても読んでみよう」という変わり者の皆様は、「後悔」と「終わりに」だけ読んでくれたら嬉しいです。


何者なのか

「何者ですか?」とたまに言われます。大々的に内定実績を公開しているわけでもないですし、業者っぽくもない。「25卒の大手垢がフォローしている人だし、業者ではないのかな?」程度に思われていそうですね。

鈴 25卒

学歴:日東駒専文系
性別:女
内定先・就職先:非公表(選考フロー軽いので期待せず)
志望業界:総合コンサル・専門商社(主に鉄鋼、年収重視のため)・総合商社・リース・通信(1つだけ受けていました)・SIerなど
資格:TOEIC700程度
サークル・部活:なし
ボランティア:ゆるーくやっています(外部の団体)
その他:なんとなく就活成功した風を装っている(笑)
最近、「徳川埋蔵金発掘ツアーはいつですか?」とDMで真剣に聞かれました。ちなみに、5人以上参加してくれるのなら開催しようと思います。


1年間の就活記録(月別)

5月:そもそも就活する気がなく、3年次編入を受けようかと考えていた


実は、当時、編入留年してでも3年次編入を受けようかと悩んでいました。
3年にもなると、学歴コンプレックス(正直、私の場合は違う種類のコンプだったと思うけれど)自体はなかったのですが、単純に就活での学歴が心配でした。
「日東駒専という学歴自体が不安」というよりは、若干特殊な経歴だったので、「他人から見た時にどう思われるのか」を気にして、編入したいと思っていました。
そんな時、直属の大学の先輩から話を聞き、その方が大手に内定していることを知りました。
「就活って、やり方次第なんだな!」と思い、就活垢を作成。最初は見る専でしたが、当時はアカウント規模が小さかった、とある日東駒専の方に連絡を取り、お話を聞きました。
後にその方に長期的にメンタリングを依頼するのですが、決め手となったのは「自分に性格が似ていそう」という点でした。
最初にお話した際、「僕は2週間に1回、友人と会えればいいと思っています」と言われ、私も基本的に引きこもり体質(というか1人の時間が多く必要なので、必然的に人と会う機会を減らしがち)なので、「性格が合うな!」という直感でお願いしました。他のメンターさんと比較してはいませんでした。

6月:大手企業のサマーインターンにエントリー!とにかく年収だけを見ていた


1番最初の方に出したのは、某SIerでした。卵を持つとか自販機を蹴るとかそういった質問意図のわからないテストを受けさせる企業です。私はあの企業のSPIで爆死したところから大手のインターンを受け始めました。
「インターン全落ちだったらどうしよう」と怯えていた私は、業界のトップに出すというよりは、3~5番手を意識して出していた気がします。
当時は、「日東駒専だし、大手に行くには何か譲歩する必要があるだろうな」という安易な考えから、「ずっと地方に行きたいと思っていたし、全国転勤ありの企業にしよう!」と思い、金融を中心に証券のリテールや銀行、リース、保険(少しだけ)などを見ていました。
ちなみに、今考えるとこの選択肢は失敗でした。
後に、東京勤務確約を前提に探すこととなります。

7月:メンターに「今日したこと」を毎日送りつける狂人ぶりを発揮


タイトルの通りです。この前後に長期インターンを始め、サマーへの熱量が下がっていたので、「今日〇〇をしました!」というものをメンターに毎日欠かさずに送っていました。
最初の頃は、「頑張ってるね!その調子だよ!」と応援メッセージをくれたメンターも、1週間後には「いいね」だけの返信になっていました。当然の対応ですね。この狂人ぶりは、本当に謝罪したいです。日常の人間関係は全然マメじゃないので許してください。

お詫び代わりに、機会があれば、美味しいご飯をご馳走させてください。

下旬には、とあるインターンに参加しました。初めて3日間のインターンに参加した私は立ち回りが全然分からず、自分の考えていることもまともに言えませんでした。挙句の果てに、他のメンバーに「何か意見ある?」と申し訳程度に話を振られる始末。酷いですね。でも、「このインターンに参加してよかったな」と今は心底思っています。自分の不甲斐なさや相手に意見を伝える難しさを痛感しました。

8月:若干記憶が曖昧だったりする


この時が2番目に忙しかった気がします。長期インターンでテレアポを週2で行い、空いている日はサマーインターンに参加。大学は週1で朝から晩まであり(大学は7月中まででしたが)、土日は、ESとwebテストを捌く生活でした。
今思うと、若干記憶がないんですよね。8月後半にはルーティンワークになってきて、何のためにサマーインターンに参加しているのか分からなくなっていました。Twitterを開くと、多くの人がインターンに参加しているし、「私も参加しなくては!!」という焦りが募る一方でした。「就活をしているという安心感」を得るためだけに、闇雲にサマーに参加していました。
もし、今インターンに参加するのであれば、「今日は○○を理解できるようにしよう!」と明確な目標を立てますし、終わった後には「この企業、感覚的に合わないと感じたけれど、なぜそう感じたのか」を言語化し、自分の自己分析や企業を絞るための材料として使っていたと思います。
なんとなく日々を消費して、上辺だけで「就活した感」を得るのは危険です。それは、時間と就活した感を等価交換しているだけで、何にもなりません。

9月:就活市場では、夏と秋には境目がないらしい


これを書いている時に、そういえばサマーインターンと言うけれど、オータムインターン・ウインターインターンとは言わないなと思いました。
そんなどうでも良い話は放っておいて、私は夏と秋の間には明確な境目があると思っていました。「ここから秋インターンですよ!」みたいな感じに。ハッキリ言ってなかったです。企業によっては、冬インターンの募集をしているところもあり、「夏インターンに参加しながら、秋・冬インターンのESを書く」という季節感が全く分からない生活を送ることになります。
この時期(9月後半から)は秋インターンのESを書いていました。

10月:インターン面接が好調!!ベンチャーの早期選考で落ちを経験


秋インターンの書類の結果が返ってきて、大半の企業に通過していました。
面接やGDがある企業が多かったのですが、9月から始めた模擬面接のおかげで大半の面接に通るようになりました。唯一落ちたのが、某メガバンクの面接なのですが、他の選考を優遇して貰えることに。
夏に比べると結構良い成績を残せたのではないかと、自分をほめたたえていました。

調子に乗った私は、この勢いで内定を貰えないかなと思い、ベンチャーの本選考に挑戦します。1dayインターンに参加した人のみが受けられるものだったのですが、2次面接であっさり落とされました。ただ、本社での対面面接の機会がなかったので良い経験になったと思います。また、2次面接が2人の学生で行うものだったのですが、面接官に突然、「君たち、お互いに趣味を紹介して、相手にやってみたいと思わせて」と言われました。
その瞬間、とても緊張したことを覚えています。模擬面接ではそんな練習をしたこともありませんでした。
相手が麻雀を紹介してきて、単純にやってみたいな〜と思っていたら自分の番が来て、結構焦りました。
私は当時通っていた習い事(?)の話をしたのですが、あまり面接官には刺さっていなかったです。賭け事が好きそうな方だったので、競馬について話した方が最初の掴みもよかったのかなとか思います。落ちた原因はそこではないのですが。

11月:何もかも投げ出したかった2週間


最初に言います。この時期が最も病んでいました。
理由は、この特殊なインターンがベースとして2週間あって、週1の大学、週2の長期インターンがありました。これに加えて、その間に3daysインターン・模擬免・ES/webテストなどに時間を使っていたからです。精神的にきつかったです。毎日のように知らない人に会い、新しい環境に行くのは結構疲れました。

このインターンは特殊なスケジュールだったのですが、初めて2週間という期間でした!「初めての経験なのでワクワク!」と、思った矢先、前日に高熱を出しました。そのため、当日の開始時刻30分前には、コロナの検査に行くことに。結果はもちろん陰性だったのですが、インターンの開始時刻の10時に間に合うよう、朝の商店街をダッシュするところから始まりました。

WEBインターンだったのですが、メンバーも雰囲気が良い人で、お昼の時間も雑談をしている感じでした。ただ途中で、「雰囲気を壊さないようにするあまり、自分の意見が率直に言えないこと」に気づきます。今までのインターンは、長くても数日間だから、と割り切ってハッキリ物申していたので、とてもやりづらかったです。

1週目の終わり位には、「この方針のままでは優勝できないのでは?」と感じてしまい、結構きつめに意見を言った気がします。結局、若干の軌道修正を行ったのですが、優勝できずに終わったインターンでした。悔しかったです。

インターン後のFBでは、メンターさんやメンバーから「チーム全体の意見を見て、バランスを取ろうとしているところが良かった。チーム内の意見が盛り上がっている時はあえて批判的な意見を出し、コストや時間などの抜け漏れを確認していたところが良い」と評価いただいたことが嬉しかったです。

ちなみに、企業主催のイベントで2か月後に対面で会えることになりました。2週間インターンをしたメンバーと直接会えたのは素直に嬉しかったです。イベントの後にご飯に行ったのですが、「最近、昇格したの!」と社員さんが飲み代を奢ってくれてカッコイイと思ったことが印象的でした。

12月:内定2社ゲット!燃え尽き症候群になり、年越しフェスへ


12月頭に2社の最終面接がありました。1社は10月頃に面接を受けていて、やっと最終の案内が来た企業でした。「わ!やっと最終だ!」と少し感動して、今でもメールをスクショしてとってあります。
もう1社に関しては、12月だけ単発でお願いしていたメンターさんが内定を持っていた企業で、前々日に夜な夜な対策をしてくれました。自分の当初の対策だけでは甘かったので、本当に助けられました。ありがとうございます。

そんな感じで迎えた初めての最終面接。
すごく緊張したのですが、結果は両方とも内定。
内定の電話は同じ日に来て、「今日まで頑張って良かった、、、!!」とひと段落ついた日でした。ずっと欲しかった内定を得られたときは喜び、というよりも安堵に近かった気がします。Twitterで内定報告を見る度に、「おめでとう」と思うと共に、呼吸が浅くなっていく感覚がありました。
ただ、これを境に若干モチベーションが落ちていきます。

12月末は自分にとって重要な締め切りもなかったので、完全に何もしない日が3日間くらいありました。当時はバイトなどもしていなかったので家から出ずに丸3日間寝たきり。自分の部屋の天井を見つめて、「なんだか顔に見えてきたな、、」とか思いながら、「何もしない」をしました。
そして、前から楽しみにしていた年越しフェスに行き、2024年を迎えます。

1月:業界トップレベル(?)の早期選考2社に落ちる


12月に内定をいただいた私はこの時めちゃくちゃ強気でした。
業界トップの企業に対して、「私はこのコースじゃなきゃ行かないんだから!!」と、1番人気だと噂されるコースに出していました。
噂通りの爆速選考フローで、書類の結果(インターン経由の人は全通なのですが、)が1週間以内に来て、面接の結果が当日に来て、次の面接は明日、、なんてことがあり、対策が全然追いついていなかったと思います。インターンの結果は、忘れた頃に来ていたので、早期選考・本選考のスピード感に驚きました。

2月:総合・専門商社のOB訪問をする


OB訪問と面接練習をしていました。
社員さんに会えば会うほど、自分はこの会社にはいなそうだな、、と通貫する日々。面接練習をしても「なんでこの会社に入りたいんだっけ??」という疑問が深まるばかりでした。
あとは、3月締め切りのESを書いていました。総合商社+メーカー2社+専門商社6社+銀行2社+SIer2社あたりのESを出していました。

3月:本選考開始!!取れると思っていた最終に落ち、予想外の企業から拾ってもらえた


3月後半に、とある銀行の2次面接を辞退しました。理由は、全国転勤だったから。12月に内定をいただいてからずっと考えていたのですが、「東京で人生の大半を送っている私が地方に住めるのか」という不安が消えませんでした。
私は、車の運転ができません。無免許なので。法律に触れます。それに、徒歩5分以内にコンビニがないと生きていけません。「電車やバスの間隔が10分以上空く地域は田舎だ!」と今も本気で思っています(炎上しそうです)

本選考に関しては、最終面接落ちを経験します。
面接の後半、実際の業務に関する内容を出されて「もし○○だった時にはどうする?」と聞かれました。私はすぐに答えられず、「少し考えても良いですか」と聞きました。しかし、その直後に追加でヒントを出されたので、面接官的には時間切れだったのだと思います。それまでは話が弾んでいて、賛同して貰えることが多かった面接官の態度も一変。業務理解の浅さが原因で落ちています。

一方で、受かるはずがないと思っていた企業に拾って貰えました。嬉しかったです。これは志望者が少ないような部署を希望して(内定後に改めて配属希望を取ることを知っていたので)通ったので、戦略勝ち的な所があります。小賢しいです。ただ、今思い返すと、この小賢しさこそ就活な気もします。

4月:業界上位の最終に落ちる


落ちたのは、先日、多くの26卒がESを書いたであろうあの企業です。私はその企業で公共をやりたいと思い(実際に注力していますし)志望していました。
最終は「これがやりたいです!」の1点突破だったので、「他の事業の配属になったらどうしますか?」という質問が当然のように飛んできました。
その時、「自分は将来的には〇〇がやりたいのですが、そのためにこういう経験が必要だと思うので、他の部署でも〜」みたいな話をした気がします。
しかし、最後の逆質問で「弊社の魅力は、事業の幅広さです。自分も予想外の仕事を与えられて、現在人事をしていますが、その仕事も楽しんで行えています。」
と言われた時、「あ、これ落ちたな。」と思いました。配属ガチャを楽しむ余裕を全開に出していて、面接官と明らかに思想が違うなと感じたのでした。

5月:言い訳をつけて総合商社から逃げた


私は、総合商社2社の1次面接を6月に控えてました。
1社は大半の人がESは通るあの企業、もう1社は動画選考があるあの企業です。(25卒ならこの情報だけで伝わると思います)
辞退した理由は色々あるのですが、自分の学歴では受かるはずがないと思ったことが大きな理由でした。学歴、属性を含めて考えても商社に内定するような属性がありませんでした。
総合商社の書類には通過していましたが、低学歴でも通すよ〜的な学歴フィルターがないことをアピールするためのイメージ戦略だと思っていました。
こんな感じで、私の就活は呆気なく終わりました。

「終わりました」と言うと他人事ですね。明確な意思を持って「終わらせた」のです。

【後悔】

①商社就活


1番の後悔は、ダラダラ続けた商社就活です。
私は「自分は日東駒専だし、体育会系でもなければ、海外経験もない。」と言い訳を見つけながら、ダラダラと商社就活を続けてはいました。
また、「飲みが多くプライベートと仕事の境目が曖昧な商社は自分には合っていない!」と感じながら、漠然とした憧れを優先して、自分の生活全体における幸福度を無視し続けていました。
OB訪問もしていたし、GAB受験のために新宿に何度も行っていました。
実際、総合商社のうち、出さなかった1社と書類落ち1社を除いて、面接に進む権利を得られたわけですが、結局1次で落ちたり、辞退したりと中途半端な結果でした。

やるなら全力でやるべきだったし、やらないなら他のことにリソースを割いた方が良かったと思います。自分の中にある憧れを実現させたいのなら結果はどうであれ、全力を尽くすべきだった。心の底からそう思います。

②弱気で出したサマーインターン


2つ目は、サマーインターンで高望みをしなかったことです。夏は、保守的に業界の5番手くらいを見ていたのですが、夏に得た優遇は1つも使わずに就活を終えています。それどころか、インターン優遇はベンチャーの1社、大手の2社しか使わず、特にリースは6社ほど優遇を持っていたのに、1社以外受けなかったのです。夏の時点からもう少し上位の企業に挑戦すればよかったなと思っています。
ただ、これは結果論であることを書きておきます。日東駒専レベルの人が、業界上位のインターンばかりを受けても、「全落ち・優遇を得るどころか参加できなかった」ということもありうると思います。
なので、業界の上位を受けつつも、5番手くらいの中堅のインターン(結構先着があったり、フローが軽かったりします)も参加した方が良いと思います。

③目的を見失っていた


8月くらいに言えることなのですが、「就活した感」を得るためだけに“とりあえず”インターンに参加することは辞めましょう。Twitterや周りの友人を見て、焦る気持ちは分かります。
ただ、なんとなく参加して時間を消費するのではなく、「インターンで友人を作る」「社員さんから仕事のやりがいを聞く」『「この企業は合っていない」と感じたのであれば、インターン後に「なぜ合わないと感じたのか」を言葉にしてみる』など、なんでも良いので目標を立てて参加した方が良いと思います。

これは本選考などでも言えます。たとえ滑り止めであっても全力で受けましょう。滑り止めであること自体は良いのです。ただ、「滑り止め」を言い訳にしていると普通に落ちます。
大切なことなので、もう一度言います。普通に落ちます。


【終わりに】


6月になり、「私の就活は果たして成功だったのか」と思います。
おそらく、日東駒専レベルからは内定者が少ないような企業に内定をいただけたのは事実です。
ただ、振り返ると、実は面接落ちも多いですし、自分で受けない選択をして少し後悔している企業もあります。
誰かに成功がどうかを判断してもらうつもりは1ミリもありません。「そもそも成功って何?」という話でもあります。

就活が終わり、最近はFラン就活チャンネルも名キャリも見なくなりました。YouTubeのおすすめ欄に出てくることもありません。
また、他人の内定先に興味もないですし、就活偏差値表と睨めっこして自分の内定先を探すこともなくなりました。

しかし、「〇〇をしておけば、あの企業の選考結果が変わったのかもしれない」と今でも思うことがあります。特に、商社に関しては後悔が多く、商社の6月選考が始まった6月1日は少し憂鬱でした。「受けない」という選択を選んだことを、数日後、数ヶ月後に後悔しているのではないかという不安がありました。

私自身の過去の話を少しすると、大学受験の時のコンプレックスは学歴などではなく、「大学受験をやりきれなかったこと」でした。
そのコンプレックスを解消するために就活をしていた節があったのですが、中途半端に選考を終えてしまった企業があります。
結果的に、上記の目標を達成できなかったということです。
「大学受験のコンプレックスを克服できなかった」という点に関して言えば、私の就活は失敗です。

ここまで読んでくれた方はお気づきかもしれませんが、私は「成功したこと」よりも「失敗したこと・後悔したこと」を強く認識する傾向にあるのだなとつくづく思います。気がついたら、就活体験記というよりも「後悔記」になっていますよね。

おそらく商社の面接を受けていたとしても、落ちてしまった理由を並べ立てる体験記になっていたと思います。
奇跡的に受かっていても、商社インターンに出さなかったことに関して長々と書いていたと思います。

どうしても、自分の陰の部分というか、良くない部分が気になってしまい、そしてそれが原動力になる人間でもあるのだと思います。
そのような自分の特性も含めて振り返ることができたので、この体験記を書いて良かったと思っています。

そういえば、この体験記内では、就活で関わってくれた方への感謝を書いていませんでした。
なので、最後に、親・メンターさん・大学の友人・Twitterで知り合って模擬面接をしてくれた25卒・インターンで知り合った人など全ての方に感謝の意を表して締めくくります。

多くの方にたくさん迷惑をかけました。「誰にも会いたくない!話しかけないで!」と思ったことも何度もありました。ただ、無事に就活を終えられたのは周囲の方々のおかげでもあります。

Twitter外の話をすると、両親は就活に対して一切口出しをしてきませんでした。というか、良い意味で無関心だったのだと思います。
母に「Big4落ちちゃった~」と言っても、「何それ?Big3の話?お笑い好きだもんね」と言われました。12月に早期内定をもらったことを父に報告した時には、「え?内定貰うの遅くない?大丈夫?」と言われました。どうやら24卒だと勘違いしていたようです。流石にもう少し関心を持ってもらえませんかね??
大学も特殊な環境だったので、周囲には「え!!就活しているの?偉いね~」「年内で内定!?天才じゃん」としか言われませんでした。まるで神童のような扱いです。

このようなストレスの少ない環境のおかげで、自分が今まで就活をしてこれたのだと思います。

本当に、ありがとうございました。

そして、ここまで読んでくださった方もありがとうございます。

25卒で読んでくれた方がいたら、その方々にも感謝です。
こっそり感想でも教えてください。

26卒の方には、後悔がないように就職活動をしてもらえたら嬉しいです。
結果はどうあれ、1年後の今頃、「やり切ったな」と思えることを目標に頑張ってください。
皆さんの就職活動を陰ながら応援しております。





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