『豪雪の真冬の日』

「豪雪の真冬の日」

 
 豪雪の真冬の日。

 今日が一体何月何日なのか僕にはよく分からない。別段、知ろうとも思わない。年末だということはかろうじて察知できる。体調が芳しくなく、ウイルスに侵されているかもしれなかったが、動けないほどではない。

 かじかむ指で自動販売機の釣り銭の忘れ物を百箇所くらい歩き回って調べ、総額が百円になったのでコンビニに入ってブタメンを買った。店員が割り箸を添えてくれなかったので催促して一膳貰った。容器に貼り付けられた小さなフォークではいつも食った気がしない。
 ブタメンにポットの湯を注ぎ、イートインスペースで手を温めながら麺を啜った。せめて、あと三個は食いたい、と思いながらテーブルにひれ伏せて、交差した腕の中に顎を落とすと、店員がすかさず「就寝は禁止なんですよ」と、高圧的な声を掛けてきた。寝るつもりは全くなかったので心外だったが、怒る気力も湧かず窓の向こうを眺めた。

 しかし、よく降るな。この雪が全部札束だったらいいのにな、せめて五百円玉だったらいいのに、などと感慨に耽りながら大阪では珍しい白銀の景色を見渡した。

 先程コンビニに入店してきた僕と同世代と思しき男女が一リットルの紙パックのお茶、栄養ドリンク、エナジードリンク、お菓子とおにぎりなど購入して相合傘でホテル街に消えていく背を眺めながら、ブタメンの汁を飲み干した。かじかんでいた手指だけでなく、冷えた身体全体がぬくもっていく。

 テーブルに小さな虫が這ってきた。指で軽く摘まむだけで絶命しそうな虫をテーブルの上で人差し指と中指の間に入れてトントンとリズムを取って叩いたりして、虫と遊んで時間を潰した。驚く虫の動きを見ていると、こころが落ち着いた。

 十七時過ぎにコンビニに来て、既に二時間以上が過ぎている。僕の匂いに耐えかねて、五人ほどが着席してすぐ離れていった。 
 向かうところもなかったが、雪の中を再び歩いた。着衣はスウェット上下姿で羽織るものはまだ拾えていない。髪の毛も一度も切っておらず、背中まで伸びた髪はバリバリに固まり、ひと塊になって辮髪のようになっている。
 しばらく歩くと、すぐに全身が雪まみれになっていった。歩行している間は、寒い。という思考以外何もなく、雪を振り払って駅前のショッピングモールに入った。
 ショッピングモールが閉店するまでフードコートの椅子に座って過ごそうと試みたが、三十分も経たない内に店員が匂いを咎めてきて、出ていってほしいという旨を遠回しに言ってくるので、素直に従った。わかりました。と応えて席を立ち、近くのトイレに入った。洋式トイレの個室の便座に座って閉店時間の夜八時前まで居た。その間、すこしだけ脱糞して尻を拭く前に泪が頬を伝った。
 トイレットペーパーをぐるぐる巻き取って泪を拭くと、すぐに泪の雫でびしょびしょになった。トイレットペーパーを持つ右手を強く握り絞めると雫が膝に滴り落ちてくるし、未だ泪が止まらず、大量のトイレットペーパーを巻き取って目に押し当てた。
 このまま終わるのは嫌だという気持ちと、もう終わりたいという気持ちが交錯して不思議な感覚に囚われたのかもしれない。たとえ一か月間でも僕を好きになってくれた元カノの顔、好きだったおばあちゃんの僕を呼ぶ声、母親の作ってくれた野菜のたっぷり入ったインスタント袋麺の味。もしかしてこれは走馬燈というやつなのかな、とも少し思ったが、死ぬ気配は未だない。
 暖かいトイレは居心地が良い分、余計なことを考えてしまったのだろう。日々公衆トイレの中で夜を過ごしている間は、とにかく早暁まで何時間も耐え忍んでいる。ホームレスになって凡そ半年近くは経つ。風呂に入りたい、綺麗な服が欲しい。マクドナルドで寝たい。特別なことはもう何も望まない。着替えがあって、風呂に入れて、マクドナルドで眠れたらこれの繰り返しだっていい。近隣のマクドナルドは全店舗入店拒否されている身だ。
 トイレを出て、出入り口の方まで歩くと、警備員の男が歩み寄ってきた。

「兄ちゃん、傘、あげるわ、落ちとったやつやけど」
 要りません、と言って睨みつけるとすぐに離れていった。雪はいずれ止むし、邪魔になるだけだから断ったが、警備員の蔑んだ目が気に食わなかった。
 あいりん地区に行ってみるか。と思った。  以前知り合った同士のおじさんに教わったのもあり、闇雲に歩くよりは建設的でいいのかな。というだけの理由だったが、極度の方向音痴で方角もよく分からない。それに三日くらい前に眼鏡を落とした際にレンズが割れて、眼鏡を捨てた。裸眼で過ごすのは視界もぼやけて、歩くだけで過度のストレスを感じる。鏡はホームレスになってから一度も見ていないし、摺りガラスに映る自分は他人だと思うようにしている。自分はもう何処にもいないんだ。死んだわけでもないし、生きているわけでもない。自分を他人だと決めつけていると安心した。
 未だ時刻が早かったけれど、最近寝床にしている公園のトイレで夜を過ごそうと歩いていると、大きい白い塊が見えた。楽しそうな話声も聞こえてくる。子供と大人の声が聞こえてきて、ぼやけた視界ながら家族だというのが窺い知れた。どうやら雪だるまを作って楽しそうにしているようだった。メリークリスマース!と子供が燥ぎながら雪掻きをすると、メリークリスマース!と大人も掛け声をあげた。
 今日はクリスマスなんだ。僕はシャッターの閉まった金物屋の軒の下でスウェットのポケットに入れていたシケモクを吸って公園内を眺めていた。女児が僕をみている様子で、母親が「見てはいけません」と子供を窘めた。教育としてどうなんだろうと思ったけれど、嫌な気はしなかった。笑顔を造って女児に手を振ってみたが、そっぽをむかれて雪を掴んで放り投げ、勢いよく走りだした。
 シケモクを吸い終え、地面に捨てて踏み消し、公園の中に入った。
 慌てふためいた女児の父親が女児を抱き上げ、そそくさと家族は僕から逃げるように公園から立ち去った。
 こんな吹雪の日に雪だるまをつくるなんてきっとろくでもない気色悪い家族だ。離れてくれてせいせいした。

 僕は真っ先にトイレに向かってドアを開けようとした。しかし、鍵が掛けられていた。何度もノックをしてみた。すいません!と、ドアの向こうに何度も声を掛けたが応答はない。
 しばし、呆然とした。
 町内会のやつらにでも僕がよる中トイレに籠っていることがばれて、使えなくしたのだろうか。
 寒さで何も考えられないし、寝床を探す気力すらもうなかった。
 吹雪を凌ぐために公園の屋根のあるベンチに座り、下を向いて両手を揉んだ。顔を上げて前方を見ると雪煙の向こうに家族が作った雪だるまが真正面に忌々しく立っている。笑顔なのが遠目からも見て取れた。こんなまともな雪だるまなんて初めて見たかもしれない。多少興味が湧いて、歩み寄ってみた。

 雪だるまの顔の目、鼻、口は海苔が貼られて形成されていたので、一枚一枚剥がして食べた。なかなか美味しいと思った。これが今日の晩御飯かと思うと切なくて、自然に笑みが零れた。

「ははははっはははは!」

 顔の中身の無くなった雪だるまの前で高笑いすると、こいつとなら分かり合えそうだな、と楽しくなってきて、また笑った。

「ははははっ!」久しぶりにこんなに笑った気がする。いつぶりだろう。まあいいさ、細かいことは気にしない。
 僕は顔の中身の無くなった雪だるまの上の玉を抱き抱えるように持ち、全力を尽くして地面に落とした。

 上の玉は下の玉より一回り以上小さかったので、下の玉と同じ大きさにしようと雪を搔き集めて大きくした。手が凍傷して明日以降、数日の間手は使い物にならないかもしれないと危惧したけれど、こころの中で構わん。と呟くほどに夢中になっていた。
 上の玉を下の玉と殆ど同じ大きさにして、僕は両方の玉に乗った。二つの玉にそれぞれ片足ずつ乗せた。
 バランスを崩して倒れそうになりながらも、天高く拳を突き上げた。吹雪はいっそう激しくなり、視界は真っ白で目を開けることすら精いっぱいだった。
 こころの底から込み上げてくるものがあったので、僕は躊躇わず叫んだ。

「ふぐり!!ふぐり!!ふぐり!!でっかいふぐりの上に乗った!きんたまの上にのった!メリークリスマス!メリークリスマス!はははははっ!フグリークリスマス!にゃははは!」

 吹雪で目を開けられず、目を閉じていると泪が瞼の中で溢れているのが分かった。悲しみで溢れてくるのか、おろかしさで溢れてくるのかわからなかった。僕は何をしてるんだろう?と思考するより早く、僕は気を失ったような気がしたし、足元のバランスを失って真正面に倒れてしまった。

 明朝の日曜日、雪は止んだ。

今冬一番の冷え込みで、普段公園内を散歩する老婆も今日は散歩を控えた。
 午前七時過ぎ。冬の陽が弱く辺りに散る公園内を初めて人が訪れた。
 昨夜、雪だるまを作った家族の女児と父親だった。

「パパ!パパ!雪だるま、変な形になってる!なんで!?」

 父親は娘に手をひかれて雪だるまの方に視線をやった。
 なんやこれ!?二つの玉の中央に細長い雪の塊落ちてる!?なんなんやろうな、わからへん、と父親は率直に思ったので「わからん」と娘に言った。内心、でかいちんこみたいだな、と思ったが、娘には言えるはずがなかった。
 好奇心旺盛な女児が満面の笑顔で細長い雪の塊を一生懸命掻き始めた。

「ぎゃ、ぎゃああああー!パパー!」

 父親が救急車を呼んだ。女児は狂ったようにずっと泣いていた。


                  了







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