『ゴム旅行』⑦朝がやってきて、近藤ゆめが起床
⑦朝がやってきて、近藤ゆめが起床
僕は何を言えばいいんだろう。
まずは、何かを言うべきなんだろうけど、言いたいことは特にない。もっと言えば無言で日が昇る迄こうしてたい。さめざめ濡れてたい。今、僕の眼から涙は出てないけど、あともうちょっとこのまま放っといてくれたら、出るかも。なんか、恵の雨なんだよ、僕にとっては。
頭の中のもやもやがミストサウナ状態になって脳みそがふやけて、脱皮しそうな気配がする。真っ暗な雨の夜なのに、なぜか心は不夜城に牢獄された気分、なんじゃそりゃ。
唯、なんとなくこの状況下がエグゼクティブに気持ちがいい。特に僕の顔面に降り注ぐ雨が一々気持ちいいんだ。雨の一粒一粒が神々しいね。誰よりも無力で無慈悲な自分と対峙できるこの時間を無駄にしたくないし、自我を見つめ直す良い機会なのかもしれない。雨にも感情があるって聞いた事がある、僕は信じる。感情があるから降る時を選んでくる。それに、雨は涙だって説く人もいる、ロマン派の人だろうね。そういうのは嫌いじゃない。詩にも雨は色々なスパイスの役割を果たしてるしね。夢見心地にこのまま仰向けで眠るから死体と間違えられたっていい。その時はよろしく。言葉を発して生きている証明をその人、若しくはその人たちにするよ。
と、瞬時に考察しているとナホが仰向けに倒れている僕の上に馬乗りになって、往復ビンタしてきた。手の動きがスローモーションのように見えて痛みもなく、無感覚だった。怒る気は起きず、殴られながら彼女の顔を薄目で見た。鼻水が垂れていた。彼女は殴りつけながら、何か怒鳴り散らしていたけれど、僕は僕の横で寝転がる明太子さんの事を想った。後に死亡した事に気付いた僕だけど、この時僕ははっきり言って明太子さんと共に余生を過ごしたいと想っていた。このまま二人とは遠く離れて明太子さんとは離れたくなかった。恋とはこういうものだ。と想った。
でも、何度揺すっても声を掛けても明太子さんは起きなかった。息もしていなかった。赤い物体の明太子さんを呆然と眺めた。近藤未来が明太子さんの死を喜んでいた。僕はお前が死んで欲しいと想ったりした。
それぞれの想いを胸に抱えて、夜の中を歩いた。仕方なく僕は彼女の挿す傘に入れて貰った。別段二人と居たくはなかったけれど、独りにもなりたくない面倒くさい我儘な子の僕だった。僕は老婆が眠っているなら、僕らも家に帰って暫く家の布団で寝ても大丈夫だろうという旨を二人に説明して、三人で自宅に向かった。自宅マンションの扉の鍵穴に鍵を挿そうとすると、僕と彼女にだけ頭痛がした。頭の中に自動音声のような声が響いた。
(近藤ゆめ様がお休みのときは自動的に頭を痛くします)
僕も彼女も疲弊して反応する気力が沸かず、エレベーターに乗り込んで再び夜の中に溶け込み、向かうところは全員一致でマクドナルドまで歩いた。近藤未来はブリーフ一枚姿だったので一度入店を断られたが、明太子さんが倒れている細い路地の場所まで戻り、明太子さんが閉じ込められていたコンドームを頭から被らせた。頭の部分と両腕の部分に穴を開けてワンピースを着たような装いにして再度入店するとギリオッケーを貰った。「よかったね…」と彼女が疲れた様子で声を掛けた。近藤未来は「うん。んまに!」と喜んだのは束の間、三人で席に着くと近藤未来が着たコンドームワンピースから悪臭が漂い始め、ゴミ箱の中に居るような中で百円のバーガー二つを三人で分け合って無言で食べた。僕も彼女も財布の中の残金は三百円もなかった。幸い、匂いを咎める者は居なくて、僕らと離れた席に居た浮浪者風の男が眠っていたが、この男からも異臭がしていたのでお互い様だった。ミックスされた臭いを嗅いだ清掃をする年増の女店員が窓を全開にした時、僕は外を眺めた。雨が止み、夜が白み出していた。
僕ら三人は24時間営業のマクドナルドで各自好きなときに眠ったり、水を貰いに行ったりトイレに行くために席を立ったりして朝を迎えた。彼女は席に座って一度だけトイレに行っただけで眠りこけていて、今もまだ寝てる。近藤未来はもの凄く空腹でおにぎりが食べたいのか、エアおにぎりを握り、エアおにぎりを食べる。という芝居?のような事を僕の目の前で繰り返してる。死んで欲しい。
僕はというと、明太子さんの穴の余韻に浸って、まだ気持ち良かった。気持ちいいが続いていた。胸の奥から振動してくるような衝動が押し込んでくるので、近藤未来に「トイレ行ってくる」と告げて、トイレに駆け込んだ。個室に入って明太子さんの穴を思い出して自慰を始めようと逸物を握ると、頭の中で声がした。
–おはよ。なにしとーんや、あんたはほんとにもう–
老婆の声が聴こえた。僕は逸物を握りながらおはようですと小声で言った。
–寝すぎちゃったわ、私が寝ている間にビッグママが亡くなったようね、あなたが息の根を止めてくれたようで感謝するわ。ありがとね–
「明太子さんの死を喜ぶな!」僕は咄嗟に感情を露わにした。逸物は反り返り興奮状態に陥っていて、頭をぶんぶん振り回した。–そない怒りなや、落ち着いて–
ああ、うん。僕は逸物を持つ手を離し放尿した。–おしっこしながら聞いてね、私の名前は近藤ゆめというのね。生コンドーム界のトップなのよ。突然、ゴムの旅に出ろとかわけのわかんないこと言って申し訳なかったわよ。あと、突然近藤未来というあなた達の子供が押しかけてごめんね。いい子だよ。ああ、おしっこ全部出した?あなた調子はどう?ゴムの旅、楽しい?―
「楽しいとか聞くんですか?この僕に、どう答えてほしいんですか?あなたは。」僕は放尿を終え、真剣な表情になっていたと思う。
―素直に答えたらいいの―
僕は何を言ったのか自分でも分からないような絶望をつらつら訴えた。たぶん、近藤未来が死んでほしいというような事も口走ったと思う。お陰でちょっとすっきりした。近藤ゆめはそれでいいの。それでこそ、生きているの。と言い、僕に質問してきた。
―コンドームとは何だと思う?―
僕は、避妊具です。と簡潔に答えた。近藤ゆめは、違うねえ。と言い、不可解な事を述べ始めた。
―コンドームは、なま物なの。コンドームは、この世に生きているの。声にこそできないが、コンドームは日々、泣いている。あなたが買おうとしていたコンドームも怒りながら震えを抑えて、生きている。あなたと同様、生きている―
僕は耳を塞ぎたくなって、会話をするのも嫌気がさした。「布団で寝たい」と先程も訴えたかもしれない言葉をもう一度強く言った。この言葉を無視したのか、言葉を聞いた上で次のことを述べたのか、判然としないけれど近藤ゆめは僕にこう言った。
―コンドームの中へいきなさい―
「中?どういうことなんだ?中に入ったらどうなるというんだ。」僕が問いかけた言葉はトイレの個室に響いてから宙に浮き、質問の答えは返ってこなかった。
トイレから出て、二人の所に戻ろうとすると二人は元の席にいなかった。僕は駆け足で店外に出て、辺りを見回すと二人は駐輪場で近藤未来が着ていたコンドームをコンクリートに敷いて座っていた。どうしたん?とナホに聞くと精気のない顔で「臭すぎてあかんかったわ。出ていってほしいってゆわれた。うち、眠すぎ。動かれへんわ。あかんわもう。」「はははは」僕は笑いながら三人でコンドームの中に入る想像を少しして、そこに向かっていく途中の僕たちなのか。と感慨にふけた。
改めて、最低の旅だ。と朝日を浴びながら思ったりした。
百円ください。お願いします。