存在自体が夢そのもの

 国立新美術館で開催されている〈CLAMP展〉に行ってきた。
 本当は、もう少し間を空けてから行く予定だった。でも、来週の今頃はどうなっているか分からないし、午前から昼まででまとまった時間を確保できるうちに足を運んだほうが、落ち着いて鑑賞できる気がして。
 前日にチケットを発行して、急ぎの仕事も入らなかったので、翌日の午前10時に合わせて乃木坂へ向かった。

 入場時の待ち時間は約40分。考え事があったのであっという間に時は過ぎ、11時前には展示室に入っていた。
 コーナーは7つに分かれていて、基本的に発表年代順に並んだカラー原画のエリア「COLOR」と、漫画原稿のエリア「LOVE」「ADVENTURE」で多くの人が立ち並び、見入っている。連れ立ってきた人に、作品のことを熱心に解説している人もいる。

 そもそも私自身は10代のときに、家の廊下に置かれていた姉たちの本棚でCLAMPの作品を眺め、姉から妹へと読者が移り変わった『なかよし』でそれに続く作品にふれた。
 だから自分で買ったコミックスは実はほとんどなくて、だいぶ経ったあとに『20面相におねがい!!』を某新古書店の棚で見つけてレジに持っていった過去がある。『CLAMP学園探偵団』が好きで、これも後々になってからアニメシリーズを楽しんだりした。
 そういうわけで、恐れ多くも「ファン」とは名乗れないひとりの鑑賞者として、でもやっぱり『20面相におねがい!!』や『CLAMP学園探偵団』の原画と原稿は見たいと思って、チケットを手にした。

 CLAMP初期から中期の骨太で重厚な作品『聖伝-RG VEDA-』『東京BABYLON』『X-エックス-』は、姉たちの本棚にあっても、なぜだかすんなりと手を伸ばせなかった。容易には近づきがたい印象が、10代前半の頃には特にあった。
 そのときからずいぶん齢を重ねた自分が、今回の展示でそれぞれの作品世界の一片にふれた感触として、率直に陶酔感しかなかった。あの頃読んでいたら、普通に沼のぬかるみに両脚を沈み込ませていただろうな、と。
 90年代前半のCLAMPの絵や構図には、どことなく懐かしさがあって、それはきっと同世代や次の世代の漫画家にもたらした影響が半端じゃなかったからだと思う。CLAMPが築いた世界観や美意識、耽美さは間違いなくあって、その影響を受けた漫画家の作品に、読者である自分もまた影響されて今に至っているんだろうと。だからこそ原点にふれた感触とともに、CLAMPという存在の凄味を正面から受け止めることになった。

 個人的には、CLAMPの作品にリアルタイムでふれたのは『魔法騎士レイアース』から『カードキャプターさくら』の頃だけで、アニメが放送されていたから姉や妹の横で眺めていたり、居間の床に放り出されている『なかよし』を開いたりできたから、断片的にでも記憶に残っている。
 そうやって振り返ってみると、30年を超えるCLAMPの歴史の中で、自分がふれていたのは初期から中期のほんの一部なんだと気づく。2000年代以降に発表された作品も、実際にほとんど読めていない。
 なんだか場違いな鑑賞者のような気もしつつ、でも展示の場にいて一番楽しかったのは、原画と原稿を眺める「ファン」の人たちの熱気を感じられたことだった。
 自分自身はちょっと離れたところから展示を眺めていたけれど、ファンにとってCLAMPは「ひとつの夢」みたいなものなのかなと感じた。その絵を眺めるだけで、キャラクターたちのセリフを辿るだけで、作品世界に帰っていける。
 CLAMPが築いてきたのは漫画やイラストだけではなくて、日常とは別の「世界」そのものなんじゃないか。だから多くの人が魅かれ続けるんだろうと。にわか仕込みの自分自身もまた、気づけばその世界に包み込んでくれているような。

 そんなふうな夢心地に浸りながら、こっちの側に戻りたくないなと思いながら展示室をあとにして、電車に揺られて現実に立ち返った、そんな7月の木曜日。

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