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Note93: しょうもないことでも出来るだけエライ

日経なんとかだか、なんとかダイアモンドだかのWeb記事で、タスクリストは有害無益だからやめよう、みたいなことが書いてあった。

タスクリストと言えば、一説によるとケチャップのハインツの社長がコンサルタントに(?)もし仕事の能率が上がる方法があったら教えてくれ、実際に上がったら百万ドル(?)出すみたいなことを言ったのに対して「朝、やることを紙に書く。終わったら線を引いて消す」とコンサルタントが答え、実際に効いたので約束通りのお金が支払われたという話があるぐらい有効なものである。
(完全に記憶に頼っているので話半分に聞いてクダサイ)
そんな偉大なタスクリストがなぜ有害なのだろうか。
こっちも完全にウロオボエの記憶に頼って書くが「ビル・ゲイツもイーロン・マスクもタスクリストなんか書かない」「タスクリストなんか書いてもしょうもないことしか達成できない」というのである。
なるほど。

まあ、まず言えることは、日経なんとかだか、なんとかダイアモンドだか(出典さえも不明な記事に批判をするのはおかしいが)に載っている「タスクリスト是か否か」みたいな記事を読んで、ほうほうとか言っている人は、ビル・ゲイツでもイーロン・マスクでもない。
しょうもないツッコミをしてしまえば、エライ人はしょうもないことは秘書がやってくれるから、ビッグ・ピクチャーさえ見ていればいい。
ビジネス誌とか読んでる我々が参考にしてもしょうがないのである。

次に、我々はしょうもないことを完璧に出来ているだろうか。

ぼくはADHDの気があるのか、ちょっとしたことを忘れる。
毎朝、起きて、排尿し、体重を測って、血糖値を測り、AppleWatchを付けて、朝食を取り、服薬して、運動して、コーヒーを入れて、仕事に入る。
これだけのことが、完璧に出来ない。

この中では体重計測、血糖値計測、AppleWatch装着、服薬をよく忘れる。
直接の欲望に沿った行動ではないからであろう。

午後になって、お腹空いたからランチ食べに行こうと思って、アッと気づくと、AppleWatchを付けていない。
AppleWatchは朝からの運動量や立ち上がった回数を計測しているので、朝から付けていないと実績がなくなってしまう。
(まあ体のためには余計に運動すればいいって考え方もあるが)
夜の服薬をしようと思って(こっちは眠剤も飲むので忘れない)ピルケースを見ると、なんと朝の分を飲んでいない。
これは深刻な問題である。

いぜんも書いたが、ガチのADHDの人は、英単語カードに「排尿する」「体重測る」「血糖値測る」みたいなことを書いておいて、順々にやっていくそうだ。

なるほど、これはルーティーンのタスクには有効だ。
ぼくはToDoistというWebサービスを使って、AppleWatchと連携させている。
(AppleWatchにデフォルトのタスクリスト1枚だけを表示することが、Apple純正のリマインダーやGoogle Keepだと出来ないのでToDoistをサブスクリプションしている)

こういうルーティーンには「判断」はいらない。
やるしかないのである。
こんなことでも、ぼくのように注意散漫で記憶力がない人間では、多大な時間が掛かる。
こういう「しょうもないこと」を確実に、最小の時間で終わらせなければ「大事なこと」が出来ない。

タスクリストがもう1つ威力を発揮するのは、あるていど大きな仕事のテンプレートタスクである。
仮に英語のWordの文書をもらって日本語に翻訳して返すという作業を考える。
この場合

 □メールで受信する
 □英語のファイルを解凍する
 □テキストを抜き出す
 □日本語に翻訳する(*)
 □Wordに戻す
 □書式を戻す
 □圧縮する
 □メールで送信する

という8つの工程に分割される。

で、仕事ごとに変わるのは(*)がついた1工程だけなのである。
あとは判断がいらない。
いらないんだけど、これをぼくのような脳の弱い人間は(書いてて情けなくなって来るけど)いちいち「次なんだっけ……」と迷う。
心が弱すぎる。
でも、いい年をして自分を責めても仕方ない。
この場合もチェックリストが効く。
上の8項目のチェックリストを作って、1個1個☑チェックを入れて作業していけば、そのうち終わる。
いちばん重要で楽しい(*)にだけ脳を使えばいい。

実際の会社の作業であれば、もっとリストは煩雑になる。
ファイル名が決まっていたり、用語集が決まっていたり、文書の変換に何工程も掛かったり。
そういうのもチェックリストに入れたら、かなり充実してくる。
だから、脳に自信のある人も、チェックリストは取り入れたほうがいいよ。
むかし、タイトなスケジュールで仕事をしていた頃は(前にも書いたけど)チェックリストも一緒に納品していた。
こういう手順で作業しましたよという証拠になる。
やったやらないの水掛け論にならないのである。

やった時刻を記録してもいいけど、客にそれは見せない方がいい気もする。
まあそのへんはアレンジしてください。
最初からあんまり凝らないほうがいいよ。

何回も作業しているうちに、抜けた手順を入れたり、余計な手順を省いたり、チェックリストはどんどん洗練されてくる。
言うところのPDCAサイクルであって、この洗練過程が実は「大きな仕事」なのである。
ぼくの仕事はほぼ100%パソコン作業だから、ルーティーン・ワークは自動化する。
自動化できない場合も、自分の肉体を一種の機械とみなしてプログラミングする。
(*)以外は人間の創造性も、ひらめきもいらない。
音楽を聴きながら、お菓子を食べながら仕事ができる。

ここまでが、常識的なタスクリストの効用である。
が、さいきん、それ以上にタスクリストには効用があると思った。
(ようやく本題……)

AppleWatchは、ずーっと座っていると(寝ているときもだけど)、1時間に1回は立ち上がれと言ってくる。
いぜんは「うるせえバカ」と思っていたのだが、最近は絶対にこれに従うようにした。

理由の1つ目は、本当に座りっぱなしだと腰とおしりが痛くなり、脚が鬱血して言うところのエコノミークラス症候群に自宅にいながらにしてなってしまうからだ。
他にも休憩には精神的な効用があって、ずーっと机にしがみついていると、近視眼的になり、それこそビッグ・ピクチャーが見えなくなっていて、仕事のクォリティが下がってくる。
別に創造性に欠けるとか、芸術性がないとか、そんな大げさなことを言っているわけじゃなくて、ほんのちょっとした工夫で必要なくなるムダに気づけなかったり、そもそも違う方向に努力していたり、そういうことが起こる。

適当に休憩した方が創造的な仕事に集中できるというので有名なのが25分働いたら5分休みを入れるポモドーロテクニックである。

あれもしばらく気に入ってやっていたが、ぼくには少しせわしなさすぎる。
AppleWatchに任せて1時間に1回立ち上がるぐらいの休憩でいいような気がする。
せっかく仕事を中断したので5分ぐらいは休憩する。

で、この休憩になにをするか。
まず、排尿してドリンクを補給するが、その他に、以前は休憩なんだから横になって目をつぶっていたほうがいいような気がしていた。

本当に疲れたときは、むろんそうする。
ぼくは目薬を挿して、目にタオルを掛けて、5分ぐらいのちょうどいい音楽をiPadで掛けられるようにしていて、それを聞いている。
最近はToToの「ドント・ストップ・ミー・ナウ」という曲が気に入っている。

これはマイルスがゲスト参加してトランペットを吹いている曲だ。
クイーンの曲ではないので注意。
(あっちは絶対に休憩にならない)

でも、疲れてもいないときにわざわざ横になるのは仕事の勢いを削ぐので、むしろ、逆に、軽い運動をすることにした。
具体的に言うと、サンダルを履いて玄関を出て、ぼくはエレベーターなしのボロアパートの4階に住んでいるのだが、1階まで降りて郵便受けをチェックし、また上がってくることにした。

AppleWatchのスタンド(起立判定)は少し甘くて、ちょっと身をよじっただけでも立ち上がったと判定することもあれば、部屋の中をグルグル歩き回っても判定してくれないこともある。
が、階段を4階降りると、いくらなんでも立ち上がったと判定される。
ぼくは寄る年波でアパートの階段が辛くて、つらくて仕方がなかったのだが、この習慣が出来てから、ぜんぜん苦痛ではなくなった。
1日12回も昇降していれば当然だ。
脚の筋肉がついた、心肺機能が向上したというよりは「アパートの階段を4階上がるぐらい、ぜんぜん大したことない」というマインドセット(?って言うの?)の問題だと思う。
階段を上がるのは大変だという心理的なバリアーが下がるのである。

さいきんは秋になって、階段に3枚か4枚、落ち葉が落ちている。
これを拾って、4階に着いたら隣の庭に蒔く。

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この、落ち葉を拾う動作も運動になる。
寄る年波で、床に落ちたものを拾うのが大儀になっているのだが、毎時間階段に落ちている木の葉を拾っていると、腰が強くなるのか、マインドセットの関係か、ぜんぜん苦痛ではなくなる。
びっくりするほど体調が良くなったのだ。

しょうもない、本当にしょうもないことであるが、こういうことを毎日、Googleスプレッドシートに記録している。
今日は何時に12回起立を達成したか。
何カロリー消費したか。
体重は何キロで、起床時血糖値は何mgだったか。
まあ、ぜんぶ主に糖尿病の治療のためにやっていることだが、これをやっていると、不思議なことに、仕事の効率も上がり、苦痛が減ってくるのである。
なぜだろう。

高校時代に読んだ、なべつぐ先生こと渡辺次男さんの数学の参考書で(ぼくはこの人の本に非常に影響を受けている)、以下のようなことが書いてあった。

ある生徒が、なべつぐ先生に「ぼくは半年後には受験なんだけど、不安ばかりで、集中できないし、模試も芳しくないから、不合格になりそうだ、先生助けてください」と言った。
するとなべつぐ先生は彼に「今日、缶入りのピーナッツを一缶買って帰りなさい。で、明日から、毎日1粒のピーナッツを半分に割って、朝半粒、夕方に半粒食べなさい。これを半年続けたら、君は大学に合格する」と言った。
で、彼は、それを本当に毎朝毎晩実行して、見事第一志望の最難関校に合格したと言う。

ピーナッツを食べることも、階段を登り降りすることも、それ自身は意味のない、しょうもないことだ。
でも、しょうもないことぐらい出来ないと、大きなことも出来ない。
そう思って、しょうもないことを毎日続けている、自分はなかなか偉いやつだと思うし、それで最近は、いろいろ調子がいい。

(この項終わり)

会社員兼業ライターの深沢千尋です。いろいろ綴っていきますのでよろしくです。FaceBook、Twitterもやってますのでからんでください。 https://www.amazon.co.jp/l/B005CI82FA