見出し画像

寓話

昔、ある街に、ひとりの赤子が産まれました。その輝く瞳は辺りのものをくっきりと見分ける力を持ち、その柔らかな耳は虫たちの微かな足音をも捉え、その両の手足はしなやかでたくましく、何ら不具のない、たいへん美しい子に見えました。神さまは、この子に類稀なお恵みを授けてくださったように、私たちには思われました。

けれど、赤子を抱えた乳母はその背中を見た途端に青ざめて目を丸くし、消え入るような声で母親にこう言うのでした。「たいへん申し上げにくいことなのですが、奥様。この子の背中には、羽根がございません……」

母親は驚き、産まれたばかりの我が子のなめらかな背中を見て嘆きました。「なんという事……。羽根がなかったら、この世界でどうやって生きていくことができるというのでしょう!」

この子が産み落とされた世界では、人はみな背中に羽根をもつものとして産まれてくるのがあたりまえだったのです。羽根があり、空を自由に飛べるかれらが造りあげた街は、何もかもが私たちが知るよりもずっと空高くに、大樹や塔の上にあり、地上からそこへたどり着くための階段もはしごも、どこにもありません。羽根のある人はどこに行くにしても、背中の羽根を鳥のようにはばたかせて飛んでゆけばよいのですから、そのようなものが必要であるとは誰ひとり思いつかなかったのです。

みなさまはもう、この羽根のない子がこれからどのような不便と苦労をこの世界で強いられるかおわかりになったでしょう。そればかりか、いわれのない悪いうわさや偏見にさえ見舞われ、とても辛い目に遭うところまで思い浮かんでしまったという、こころの繊細な方もいらっしゃるかもしれません。

そして、この物語に奇跡は起こりません。私はただ、この子の身の回りの人々が善良であり、この子が社会の支えによって自らの幸せを掴むことができることを祈るばかりです。

そして私はみなさまにこう問わねばなりません。
この子は《特別な子》でしょうか?

これは、一般に《障害の社会モデル》と呼ばれているコンセプトを寓話化したものです。主人公である羽根のない子は、私たちの世界においてならば全くの健常者であるにもかかわらず、大多数が羽根をもつものである《社会のほうが》私たちとは異なる基準で成り立っているために、障害のある人として生きることを強いられるのです。つまり《障害》とはこのように、当事者が生まれた世界における多数派の側の都合によって造られたある社会のありようへの不適応によって、その制度のはざまにおいて発生するものであり、生まれ持った心身の性質そのものに由来するのではない、という考え方なのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?