見出し画像

大阪生まれのフツーのOLが山口県でカレー屋になったワケ


大阪市生まれ山口市在住の蔭山玲子と申します。
現在は山口市維新公園の近くでカレーショップ
「牛すじカレー専門店 クイーンズカレー」の店長をやっております。
大阪から山口にやってきたのが1986年22歳でした。
転勤。結婚。引っ越し。人生が激変した年でした

昭和が終わり、そしてまた平成も終わっていきました。
3つの元号をまたがって生きていくことになるとは想像もしていませんでした。
そして、この時はカレーショップを経営するとも思っていませんでした。

画像1

フツーのOLからカレー屋さんになった理由

私がフツーのOLからカレー屋さんになった理由。
それは時代の流れに逆らわず
自分の出来ることを、一生懸命楽しんでやってきたらいつの間にか「カレー屋さん」になっていた。である。

最初に就職した会社は運送業

事務員での就職でした。
運送会社といっても倉庫業を中心に全国に営業所のある中小企業でした。運送屋さんから物流企業に変貌を遂げていた途中の運送会社だったと
今思えば実感します。
最初は本社勤務で入社しましたが1週間の研修の後、本社近くの営業所に転勤。そこは物流倉庫として稼働していた営業所でした。

そのころの運送会社と言えば。「運送会社」のことを 「運送屋(うんそうやさん)」 と呼び、「運転手」 のことを 「うんちゃん」 と呼ぶ いわゆる 男社会の荒っぽい印象でした。

物流企業へと変貌していくさなかの運送屋さんでは私のような(当時)二十歳前の若い事務員にもオフコンの操作を経験させてもらえ、プログラマーが珍しい存在だった時期にプログラミングのセミナーなどに参加させて頂き。専門の知識のない私にいろんな経験をさせてもらえました。
電話をかけてオフコンを接続する 
WEBのダイヤルアップ接続以前の通信方法でデーターのやり取り
商品の出荷、伝票発行、在庫管理などの事務を行っていました。

山口県にやってきた大きな理由は転勤でした。

ある企業の物量倉庫の一部の運営と県内運送全般をするため、山口県に営業所を新設し物流倉庫を運営する。そこの事務スタッフとしての転勤でした。このままこの企業でずっと働くのだろうな、と漠然と思っていました。
ある日、独立採算制を重視した全国の営業所の独立運営に本社の方針が変わっていきました大阪の運送会社の営業所だったものが、営業所を一企業として独立。もともと営業所の業績は順調だったので、独立しても会社は車の数も増え、順調に伸びていきました。

でもバブルは崩壊する。

そのころ、大阪の本社は、、、、
本体の本社が運送業界の荒波に耐えきれづ倒産。
独立した地方の独立起業(営業所)が生き残るという事態になってしまいました。
大阪本社の精算時に当然のように代表取締役社長が同じ独立企業は
地元の運送会社に売却され。
勤務していた従業員も土地建物も一緒に売却されることになりました。
新会社から社長、役員が入ってきて今までの体制は白紙に戻されてしまいました。従業員の給与も大幅カット。リストラの嵐がやってきました。
そう、私も突然の解雇通告。その時36歳。

再就職を目指して

事務職を希望する35過ぎたおばさんの就職がどれほど厳しいか。
面接に行っては断られを繰り返し就職できない日々。即戦力で働ける自信と経験。そんなものはアッいう間に崩れていきました。
そして、失業保険を受け取りながら再就職を目指して職業訓練校に入学しました。エクセルとCADを習得するコースを受講しました。
実務でエクセルワードは使っていましたので実務レベルでの経験は豊富です。ある意味資格だけほしくて受講したようなものでしたが。CADがことのほか面白く、実務で製図をしてマシンを動かし、灰皿などを削り出したりしたのは面白かったです。

そのころやってみたかった仕事はホームページ作成。
山口に来た当時ここまで普及していなかったインターネット。
趣味でHPを作成し、ネット販売も行っていた経験が活きるかも!
今からの時代はこれだ!
しかし、勇気がなく起業するという行動には移せませんでした。そのまま、なんとか知り合いの運送会社に再就職しました。

入社から7年たったころ、社長がまさかの夜逃げ。
社長の債務取立の対応。会社の整理という後始末。仕事の引継ぎなど普通出来ない経験をさせて頂きました。この壮絶な体験はまた別のところで・・・
そして就職活動。やはり事務系での正社員なんて夢のまた夢。44歳。

自営業人生スタート

残された道は、「やれることをするしかない。」でした。
主婦で事務員経験でおばさんでやれること・・・
パソコンが使える。手芸好き。料理好き。
自分でやろう。そう決心して始めたこと。それは
「雑貨屋さんをやろう。」名前はWith Weed(雑草のように)
近所にない面白いお店がいい。手作りの1点ものを販売するお店がいい。アンティークがいい。考え出すと売りたいものが沢山溢れてきて。古民家の門をくぐればナチュラル雑貨が並んでいる。そんな雑貨屋さんを目指しました。
ホームページやブログでお店の改装工事の模様からアップし
手作り作家募集。お店の宣伝もしていきました。ネットでの販売も行いました。

その後、山口市の古民家から山口市の国道沿いのビル1階に移転。
これをきっかけに昭和レトロをテーマに、飲食も楽しめる雑貨店にしました。

カレー出すのもアリだよね。からのスタート


ここで軽食として出していたのが 「カレー」です。
雑貨屋さんでカレーを出そうと思ったのには理由がありました。
営業時間に接客をしながら、決して手抜きでは無い美味しいものを食べてもらいたい。
カレーならば営業時間外で完成でき、接客をしながら素早く提供できる。と考えたからでした。メディアで取り上げていただくことも増えて
「おいしいカレーが食べられる雑貨屋さん」と言われるようになってきました。

次のステップは国道沿いから隠れ家への移転。

この時に「味しいカレーが食べられる雑貨屋さん」からカフェに変更。
コンセプトも「昭和レトロ」から「アメカフェ&カレー」に変えました。移転先は隠れ家的な場所で、牛すじをメインにした特徴あるメニューにと決めました。店内も、「おもちゃ箱みたいな 日本人が考えるおしゃれなアメリカン」テレビで紹介いただいたり、メニューの1つ「牛すじBBQ丼」が山口市グルメ選手権で優勝することも出来ました。
徐々に口コミでもお店の存在を知って頂けるようになりました。

国道沿いに出たい!


隠れていると、隠れ家的なお店とは別に 国道沿いの気軽なお店を求めてしまいます。
2017年4月誰でも気軽に入れるカレーショップを目指して駐車場も大きく間口も広いQueensCurryをつくりました。念願の2店舗目です。
その後、隠れ家的なWith Weedは2018年6月にクイーンズカレーと統合。
現在はQueensCurry1店舗を運営中です。


おかげさまで今日に至るのも時代の流れに逆らわないで一生懸命楽しんでいるからだと思います。ありがとうございます。

プロフィール
かげやま れいこ 大阪市出身
クイーンズカレー店長 54歳

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?