第2回:昌宅由美子の波乱万丈人生のプロローグ


高久和男と昌宅由美子の「シルバーではなく、輝き続けるゴールド人財への道」
と題して、入社以来同じ会社一筋で働き、定年退職後は継続再雇用を続けながら、セカンドキャリアとしても働いている昌宅由美子(18歳で生命保険会社入社、一般職⇒総合職、人事異動10回、部長職を56歳で役職定年、60歳定年を昨年経て、継続再雇用2年目。現在61歳 家族構成は夫と大学2年の娘)と、高久和男(情報システム会社に22歳で入社。数々の大型プロジェクトに参画した後、57歳で人事部に異動。今年定年退職を迎え継続再雇用で勤続中。妻と娘2人(ともに社会人)の4人暮らし)の二人が、人生の先輩として、私たちの経験からの気づきを、対談形式でお届けします。まずは私たちの人生の最大のトピック、今回は昌宅由美子の転機についてです。


和男:今日は、由美子の人生を聞かせてください。昌宅さんは、42年間、ひとつの会社で定年まで働いて、再雇用で働き続けているということですが、詳しく教えてもらえますか?

由美子:18歳で生命保険会社に事務職として入社し、当時は、漠然とですが、5年位働いて辞めるのかななんて思ってました。でも、辞める理由もなく働き続けて、31歳の時、総合職に転換し、ちょっと遅めですが、37歳で結婚、41歳で娘を出産しました。ここまでは、まあ普通の人生なんですよ。
この出産直後に、私の最大の人生の転機が起きます。当時、51歳だった夫が
「僕、会社を辞めて専業主夫になって子育てと家事をやるから、あなたがしっかり働いてください」
といきなり専業主夫宣言しちゃったんですよ。

和男:専業主夫?ですか?

由美子:はい、自分が子育てするって言うんです。私は、突然、一家の大黒柱になったんですよ。まさに高久さんと同じです。夫がどうして突然そんなことを言いだしたのか、その時も今もわからないんです。でも、宣言された以上、困りますというか、わかりましたというかで、私はわかりましたと言ったわけです。
娘が生まれたのが2000年ですが、まだまだ女性が子育てをしながら、働き続けるのは大変な時でした。育休も取れず産休で復帰しました。
でも、さすがに大黒柱となると肩にずっしりと責任がのしかかります。プレッシャーもありました。男性は当たり前にこんなプレッシャーを背負ってるんだと思いました。そして、私は世の男性と同じ人生を歩むぞと決めた、人生の大転換決断の時でした。
その後も男性と全く同じく、異動、転勤を経験しています。今の時代のように、自己申告でどこに行きたいなんていう異動ではなく、どこに行くかわからない異動です。苦情担当の長や新規部署といっても、朝から夜まで苦情に追われるそんな部署ばかりで、つらかった日々ばかり思い出されます。でも、辞めるなんて口が裂けてもいえませんよ、大黒柱ですから。会社のためにひたすら身を尽くしての42年間でした。
でも、短い期間ですが、自分にとってイキイキ輝けたときがありました。それがダイバーシティ推進の部署です。女性の活躍を応援したり、障がいがある人の雇用を応援したりと、今まで自分が生きてきた経験を活かせる部署でした。しかし、そんな時間はつかの間で、あっという間の役職定年です。
ここも自分にとって、2回目の大きな転機です。

和男:大きな転機だったんですね。

由美子:役職定年は会社の制度として当たり前に自分にもくるのは頭では分かっていましたが、役職定年の後、どこで、どのように働きたいかというのを全く考えていなかったんですね。
考えていても思い通りにはならないですが、考えてもいない、会社にも伝えていない。自分の今後のこと全く考えていなかったんです。そして、いざ、役職定年になり異動先を告げられた時、「えっ?なんで?そこ?」という気持ちが湧いてきました。
その異動先が、今までの自分の経験が活かされると思えなかったんです。
異動先の部署は、自分が今まで経験したことがない部署。そこで私が何をするんだろうと不安な気持ちになりました。異動先での仕事は、監査の結果が思わしくなかった拠点に指導に行くんですね。先輩の指導を見ながら覚えていくんです。異動先の仕事への不安もありましたが、自分の心を占領していたのは、役職定年や定年後再雇用で働いている人がいる部署に自分も行くんだと思うと、「あなたはもうお役御免よ」と言われたようで、それがショックだったんだと思います。
でも、そこで落ちっぱなしではなく、拠点の女性たちのキャリアを応援するという役割を自分で見いだすことができました。役職定年になってのもやもやは消えて、乗り越えられたと思いました。

和男:役職定年の次の転機は、もしかして定年ですね?

由美子:はい、その通りで、高久さんもこの前経験した定年が、私の3回目の転機です。ここで定年を迎えた人にしかわからない心の葛藤がありました。
定年を迎える2カ月位前に、定年後再雇用の雇用条件が提示され、その内容でよければ判子を押して出すだけなんです。
でも、その雇用条件をみた瞬間、体中の血の気が引いていく感じだったんですよ。
定年後再雇用で働いている方はいますので、なんとなく給与の金額は聞いてはいましたが、いざ、自分の名前が載っている雇用契約書の内容を見たときは、役職定年のときよりショックでした。給与うんぬんではなく「自分の価値が下がったしまった」ように感じてしまったんです。42年間も会社に貢献したのに・・・・という思いでした。 でも、これも越えなきゃいけないし、越えられるんです。
今、再雇用2年目ですが、昨年、縁あってQUEの所属講師になり、キャリアコンサルタントとしてダブルキャリアで働いています。自分にはまだまだ、できる事がたくさんある、必要とされている、それはとても素晴らしいこと、そんな気持ちで日々を過ごしています。

3回目からは、それぞれの節目、二人の節目について掘り下げながら書いていきたいと思います。

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