青い夢

中学生の頃、テレビやラジオ番組を作る仕事をしたいと思っていた。それは、芸能人にはなれないから、芸能人と一緒に仕事をする人になりたいと思ったからだ。いい大人が本気で面白いことをやっている姿は、とにかくカッコよかった。キラキラしていた。

その淡い、青い想いは、日を追うことに具体的に強くなっていった。

高校生になり、あの✨「日本大学芸術学部放送学科」を目指した…が、学力足らなかった。でもとにかく東京に行きたかったので、滑り止めで受けた某大学に入った。

大学時代は、正直冴えなかった。自分の人生を歩んでなかった。ひとことで言うと自立してなかった。それでも、とにかくテレビだけはたくさん観ていた。ドキュメンタリーはほぼ全てと言っていいほど観ていた。

無名な人の半生や、日常を追いかけたドキュメンタリー番組を作ってみたいと思っていた。そして、いろんな人の生き方考え方を知って、自分の人生の指針を考えるきっかけにしてほしい。間接的に人の人生に影響を与えるような仕事がしたい。人の役に立ちたい想いが強くなっていった。

自分自身、この高校に行ったらこの大学、この大学出たらこのあたりのレベルの会社とか、判で押したような考え、価値観がとにかく嫌だった。
そうじゃない人生の方が楽しいし、無限に選択肢があるのに、なぜ二択や三択で決めるの?と不思議で仕方なかった。

そうして、マスコミ就職を目指し、全国各地のテレビ局、テレビ番組制作会社等を受けたけど、結局、採用されなかった。

今から思えば、就職とか関係なくバイトでも何でもいいからその業界にとにかく入ればよかったのにと思う。

ひとことで言うと、やはり、甘い!若い!青い!自立してない!であった。

そんな最中、1995年1月17日、阪神大震災があった。西宮にあった祖父母宅が半壊した。見慣れた景色が一変した。東京に住んでいたので食い入るようにテレビを見続けた。

テレビでは、時間を追うごとに悲惨な映像が流れてきた。バリバリ、ヘリコプターを飛ばして火事や倒れた高速道路、バスがぶら下がってる様、救出活動している様、いろいろ映し出していた。

あたりまえだが、阪神間ではあんなに大変なことになっているのに、東京は普通に日常生活が行われていた。何か違和感を感じた。同じ日本の出来事とは思えなかった。

現地を訪れた男性アナウンサーが、火災が起こってる現場に行って、「あーあぶない!」とか言ってキャアキャア騒いで、明らかに現地の方々の迷惑になっていて野次馬にしか見えなかった。

自分は、こんなことがしたいわけじゃない。間接的に人の役に立つには限界があるかも。それに、非常時には無力だと思った。それなら、直接、人の役に立つ仕事がしたい!と想いが変わっていった。

そして卒業後、実家に戻りバイトをした。とにかく自分がやりたい仕事を探した。テレビ、新聞をとにかくよく見た。読んだ。迷走していたが、2年半かかってようやくやりたいことを見つけた。

つづく

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