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紅海の奇跡へのバプテスマ

その場は、前は海、後ろは断崖に挟まれ、その狭いところに精強なエジプト軍の追撃を受けたイスラエルの大群衆は絶体絶命の危機の最中にあり、その逃れ場のない恐慌の中にあったからこそ、神の力と意志とはいよいよ際立ってきます。
そこに至高の神と人間の権力との戦いがあり、それはその後も終末に至るまで繰り返される模式(予型)となることを聖書は示唆しています。そこに関係するのは「信仰」であり、紅海の奇跡が後のキリストの時代にも意味を成すこと、また、将来の終末についても意味を持つことになるのです。

さて、ファラオからの出国許可を得たイスラエルは、エジプトの中で集合し、そこに天幕を連ねたのでそこは「スッコート」(仮小屋の群れ)と呼ばれるほどになりました。陽が昇ると、イスラエルは部族ごとに長い行列となって東に向けて移動を始めます。その総数は戦える成人男子だけでも六十万を数え、女子供や老人までも含めるならその三倍いや四倍以上であったことでしょうから、異例にも数百万の一国民がエジプトから出て行く様はさぞや壮観な眺めであったでしょう。しかも、羊、ろば、牛などの家畜を引き連れてとなれば、ゴシェンの地は抜け殻のようになったと想像されるほどです。

ユダヤ人歴史家のヨセフスによれば、イスラエルの民の大行進は現在のギゼーに近いノフから始まり、すでに三大ピラミッドも創建されて久しかったことでしょうけれども、彼らはそれを見るのも最後となったことでしょう。
さらに翌十五日にはラメセスも発って、いよいよ東の荒野を目指したとされます。
やがて一行の前には、奇跡により昼は雲の、夜は炎の柱が高く掲げられ、それが民の全体を先導するようになり、それは以後ずっと彼らを導くものとなったと出エジプト記は語ります。

一行は地中海に沿って北上する近道をとらず、紅海の沿岸を目指します。その理由には、カナンの地の南部の海沿いには、当時までにフィリスティアと呼ばれる海洋民族が定着していたのですが、その民は鉄の武器を持って強壮であり、戦いになればイスラエルは意気を挫かれる恐れがあるとモーセが読んでいたところにも表れています。しかし、この選択はもう一つの事を成し遂げるものともなるのでした。

一方、イスラエルが出て行ったエジプトは、自分たちに都合の良く働く百万にも上る奴隷を失った損失に気付き、それまでの快適な生活を断念しなければならない状況の深刻さがはっきりしたのでしょう。そこでやはりあのファラオを心変わりしてしまいます。しかも、イスラエルは紅海沿いを道に迷っているかのように南北に右往左往しているように見えたものですから、ファラオは軍勢を率いてイスラエルを追撃し、奴隷として引き戻すに迷いもなかったことでしょう。六百輌もある精鋭の戦車隊を中心に数多くの騎馬兵も召集すると、東に向けて追撃を開始するのでした。

出エジプトのクライマックスは、第十の長子への災いでも十分なほどであったのですが、ファラオの心変わりのためエジプトは持てる軍事力までも奮い起こしてイスラエルを攻撃するに及び、遂に神YHWHとファラオとは力と力の激突を起こすところにまで進んでゆき、それは救出の奇跡の決定的な最終章となるのでした。
しかも、紅海を二つに分けた神が、どのようにしてイスラエルを保護し、アブラハムへの約束に向けてその全能性の一端を見せるかは、一度限りの意味に終わるものとはならないのです。神の自由と世への隷属、これが終末にも問われる主題となるでしょう。

エジプト軍がイスラエルに追いついたとき夜となっていましたが、それから翌朝までの間にたいへんな事が起ることになるのでした。
イスラエルの前には紅海が横たわり、背後にはそそり立つ断崖が連なっているピ・ハピロトを呼ばれる場所であったとされます。他ならぬ神がモーセに命じて、そこで宿営しろと言われたのですが、これはファラオへの神の罠でありました。
神はこうも言われます。
『ファラオは、イスラエルの人々が慌ててあの地方で道に迷い、荒れ野が彼らの行く手をふさいだと思うであろう。わたしはファラオの心を頑なにさせて、イスラエルの後を追わせる。だが、わたしはファラオとその全軍を破って栄光を現すので、エジプト人は、わたしがYHWHであることを知るようになるであろう』。(出エジプト14:1-4)

ファラオはやがてYHWHの思惑通りに行動を起こし、自軍を動かしてイスラエルを再び奴隷の頸木に着かせるべく紅海に向けて進軍を始めるのでした。
エジプトの戦車と騎兵を見たイスラエルにはすぐに動揺が走ります。前後を海と山に挟まれた側面を戦車と騎兵に襲われるのであれば、降伏するよりほかに生きる道はないかに思えたことでしょう。

そこで人々はYHWHとモーセに向かって声を上げ、『エジプトに墓がないというので、わざわざ荒野で死なせるために、わたしたちを携え出したのですか。なぜわたしたちをエジプトから導き出して、こんなにするのですか。
わたしたちがエジプトであなたに告げて「わたしたちを捨ておいて、エジプト人に仕えさせて下さい」と言ったのはこのことではありませんか。ああ、荒野で死ぬよりもエジプト人に仕える方が、わたしたちにはよかった!』

彼らは、この後に起ることを知らないのですから、こう言ったとしても無理もないことだったのでしょう。
ですが、彼らの父祖アブラハムへの約束を違えるYHWHではないのです。彼らに足りなかったのは、YHWHがどれほどの方であるかを知らず、信仰も十分には育っていなかったことでしょう。

モーセはイスラエルをなだめてこう告げます。
『あなたがたは恐れてはならない。きょう、強く立ってあなたがたの為にYHWHが行われる救いをしかと見よ。あなたがたは今日こうしてエジプト人を見てはいるが、もはや永久に、そうだ二度と彼らを見ないであろう』。(出エジプト14:13)

ここで神はイスラエルのために行動起こすことになります。それまでイスラエルの砂漠の進路を導いていた雲と火の柱がエジプト軍とイスラエルの間に割って入り、エジプトの進路を妨げると共に、モーセが手を紅海に向かって差し出します。すると強い東風が起って一部の海面に吹き付けるようになり、その海面をすっかり二つに割ってしまい、中央に乾いた道が出来て、それが対岸のシナイ半島側にまで伸びて朝までに及んだのでした。
これは現代人であれば特に信じ難いことでしょうけれども、聖書は何も臆すことなく書き記して、むしろ神の偉大な救いを誇っているのです。

もし、追い詰められた弱き民に、驚くべき力をもって救いを施したこの奇跡の場面を目の当たりにした人であれば、あまりに異例な事であるからと恥ずかし気に述べる必要などまるでないでしょう。まさしく出エジプト記の筆者はそのような語り部としての語気に満ちており、嘘偽りを感じさせない臨場感ある陳述を見せます。

これは後にこの話しを伝え聞く諸国民をも震え上がらせるものとなりました。まさにイスラエルがいよいよ『約束の地』カナンに入るとき、すでに現地の民が、イスラエルの神がエジプトをどう扱ったかを知っていて、彼らが自分たちの場所に入ろうとしていることに、息苦しいほどの恐怖を告白していたところに表れています。(ヨシュア2:9-10)

ファラオの権力に対する神の勝利は、エジプト人をはじめとして、その奇跡を聞くあらゆる人々にYHWHがどのような神であるかを知らしめて信仰を持たせ、その名が終末の世までも轟かせることが意図されたのです。「自分たちはエジプトの奴隷のままでよかった」と言っていたイスラエル人は、目の前の奇跡のために、もう何の反対もできなかったことでしょう。神とモーセを信じて先に歩みを進めるよりほかありません。(ローマ9:17)

この奇跡の起こった場所、紅海沿岸のその辺りと思われる海であれば、今日水深は18メートルほどあるとのことですが、昔にはもっと深かったことでしょう。ともあれ海水は現れた道の両側に壁のようにそそり立ったと出エジプト記は記します。
もちろん、イスラエルの前に現れた奇跡の道を通って彼らが逃がれないわけにゆかず、イスラエルは夜中から明け方にかけて海の間を渡って対岸に着きます。そのころ神はエジプト軍への妨害となっていた雲と火の柱を解いて進軍を許すと、彼らは神の働きを認めない行動を取り続け、イスラエルの後を追って海の中に出来た奇跡の道に入ってまで追撃してしまいますが、これはあまりに神を恐れぬ行動です。海底の道が自然にできたわけもないのです。

もちろん、奇跡の道はイスラエルのために生じたのですから、それがエジプト軍の追撃を許すはずもなく、神は戦車の車輪を外させ、エジプト軍は恐慌に陥って『イスラエルの神が我々と闘っている』『もう彼らを追撃するのは止めよう』と言い始めてはいましたが、今や時遅く、壁となっていた海水が元に戻り始めると、エジプトの戦車や馬もろともに兵士らも飲み込んでゆきます。
陽が昇る頃には、海辺には多くのエジプト兵の溺死体が浮かぶのをイスラエルは目撃することになりました。自分たちの神YHWHの壮大な救いを経験したイスラエルは、大いに歌い踊り、偉大な自分たちの神を賛美します。

イスラエルとは、何と不思議な民なのでしょう。
神はアブラハムへの約束を成し遂げるために、これほどまでの奇跡を行って人間の権力がどれほど強力であろうとも、それを問題とされない事例を打ち建てました。それに同じ信仰を置ける終末の人は、まことに幸いであると言えましょう。
なぜなら、紅海での奇跡は「終末」と呼ばれる後の時代への教訓であることを聖書は教えており、『あなたがエジプトの国から出た日のように、わたしは驚くべき業を彼に見せよう』との神の言葉が預言書に刻まれ、神がその腕の強力さを表す日が来ることを知らせています。(ミカ7:15)

終末の人々が驚嘆させるばかりの神の業を見るとき、その時いったい何が起っているのでしょうか。それは古代を超えて、世界の人々を自由へと脱出させる奇跡となることでしょう。(イザヤ26:20-21)

古代に目を戻せば、神がアブラハムの子孫の民を奴隷に戻そうとするエジプトの強大な権力から救い出されシナイ半島に渡ったイスラエルは、自由を得て『約束の地』カナンを目指す旅路につくことになります。

紅海の大いなる救いについては、そのときイスラエルは『バプテスマを受けた』と言うのは後代のキリストの使徒パウロです。
『わたしたちの先祖はみな雲の下にいて、皆が海を通り、 皆が雲の中、海の中にあって、モーセへのバプテスマを受けた』。(コリント第一10:1-2)

バプテスマと言えば、キリスト教に特徴的なもので、イエス・キリストの到来に先立って祭司ゼカリヤの子ヨハネが、ヨルダン川でイスラエルの人々を水に浸して『悔い』の象徴とし、キリストの現れに対してユダヤの人々の心を整えさせたのが新約聖書のメシア登場のきっかけとなっています。

同時にヨハネのバプテスマは、誰がキリストであるかをも明らかにするものともなりました。そのバプテストのところにナザレの人イエスが訪ねて来られ、遠慮するヨハネを制してイエスがバプテスマを受けると、そこに『聖霊』が降り、天からの声がして『これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である』とされるのをヨハネは聞きました。(マタイ3:17)
そうして彼はイエスを『神の子羊』として示します。(ヨハネ1:29)

イスラエルにとってヨハネの水のバプテスマは、キリストの到来に準備させるものとなると共に、そのキリストを証し指し示しましたのですが、やがて、イエスの使徒らも水のバプテスマを施すようになり、イスラエルはヨハネのバプテスマを受けて後、次に現れたキリストの水のバプテスマを受け、双方の水のバプテスマは、それらの人々に『聖霊のバプテスマ』へと備えさせるものとなってゆきました。(使徒19:1-7)
ですから、ヨハネのバプテスマはモーセからのユダヤ教からの出口、イエスのバプテスマは新しいキリスト教への入り口であり、ヨハネが言う通り『わたしは減って行き、あのかたは増し加わなければならない』のでした。イスラエルの人々は古い宗教体制から新次元の崇拝へと移される時期に来ていたのです。(ヨハネ3:30)

これらバプテスマに関わる事柄を俯瞰すると、それぞれに信仰が関わっていることが分かります。
ヨハネのバプテスマを受けた人々は、キリストが間近に到来されるというバプテストのヨハネに信仰を置いていましたが、一方ユダヤの宗教家らはヨハネを信じなかったと聖書は明かしています。(マルコ11:30)
しかも、ヨハネの方から『まむしの子らよ、迫っている神の怒りから、お前たちは逃れられるなどと、いったい誰が教えたのか』と言われてしまいますし、ヨハネが彼らにバプテスマを受けさせなかったことも福音書は明かしています。(マタイ3:7/ルカ7:29-30)

ユダヤの宗教家らは、マラキ以前の預言者のようでもなく、神殿祭祀と関わりもなく、ヨルダン川で水のバプテスマを施すという、それまでに類を見ないヨハネという人物をどう判断したらよいのかに窮しますが、民の方は「神からの人」として信じその許に来ては、悔いを象徴する儀礼を次々に受けています。その語るところは、メシア=キリストの到来が近付き、ユダヤが裁かれようとしていたことでありましたが、律法を守っていると自負する宗教家らには悔いる必要も感じず、ヨハネという人物に信仰も持てません。

イエスと宗教家らの対立が深まる中で、宗教家らはイエスの業がどこから来るものかと直接的に問いただしますが、イエスは『ヨハネのバプテスマは、天からであったか、人からであったか』と質問を返します。これに宗教家らは答えに窮します。なぜなら、自分たちはヨハネを信じなかったからであり、かと言ってヨハネの業を「人からのものに過ぎない」とすれば、周囲にいた民衆は彼らを許さず、石を投げて騒動になる危険もあり、そこで『わたしらは知らない』と答えることになり、そこでイエスも『では、わたしも自分の業の権威の由来を言うまい』と答えます。(ルカ20:1-8)

一方で、キリストが宣教で重視したのは「信仰」であり、多くの奇跡を行われたときにも、「メシア信仰」へと導き、イエスは癒しの奇跡を受けた人々の『信仰が癒した』と言われます。(ルカ7:50・8:48・17:19・18:42)
このように新約聖書で特徴的に強調される「信仰」ではありますが、パウロは旧約聖書中にも信仰が高く評価されていることを再三解いています。
その一つとして紅海を渡るイスラエルを『モーセへのバプテスマ』を受ける姿として語っているのであり、確かに出エジプト記には紅海の救いの場面で『イスラエルはYHWHがエジプト人に行われた大いなる御業を見て民はYHWHを恐れ、YHWHとその下僕モーセに信仰をおくようになった』とあります。(出エジプト14:29-31)

確かに、紅海でのイスラエル人にとって、「海の中の道の奇跡」を受け入れる以外に救われる道はなかったのであり、そこで彼らは逆らうことを止め、一重にその奇跡の道に懸けました。それは膨大量の水の中に突き進んで、神とモーセに自分の命を託すことであったに違いなく、神が奇跡によって自分たちを救われると信じるところが有っての行動でしょう。(ヘブライ11:29)
これは他に選択肢も無いの賭けのようでもあり、その心の賭けは大きな救いを得て報われることになります。しかも、その先にあるのは『乳と蜜の流れる地』約束の定住の地であったのです。
こうして紅海の偉大な救いを通してバプテスマの意味が深められ後の時代にも意味を成すものとなるのでした。

紅海でのモーセの奇跡と同じようにしてヨハネが、またイエスの使徒らが、イスラエルの人々に水でバプテスマを施したとき、もとより神との契約にある民とはいえ、不信仰であったユダヤから救われる人々はヨハネからイエスへと渡され、かつての祖先らがモーセに信仰を持ったように、やはり自らを信仰の内にバプテスマの水に自らを委ねる必要があったと言えるでしょう。

ヨハネのバプテスマはイスラエルの不行跡への悔いを表し、イエスへのバプテスマはナザレの人イエスをキリストとして信じ、その新たな道に従うことを表します。(マラキ4:6/ルカ1:17)
その人々は、信仰によってキリストを通して聖霊を注がれるに及び、罪深いユダヤ体制から逃れ出させるものとなっていったのです。(使徒2:40-41)

しかし、ヨハネやイエスの当時のユダヤの体制は信仰に薄く、現れたキリストを処刑させてしまう悪行に染まり、その酬いはその世代の内にユダヤの全体に臨み、以後ユダヤ人は亡国の民とされてしまいます。
その一方で、イエスをキリストと信じた人々には前途が開かれ、イエスの水のバプテスマを受けていた人々には、キリストにより聖霊が分け与えられることになります。その聖霊は弟子たちにもキリストの奇跡の業を分与し、また、それまで存在したことのない高度な宗教的新天地である「キリスト教」へと弟子らを導き出すことになるのでした。

これは神とモーセを信じて自らを託した人々が救いに達したように、神とイエスを信じた人々をもユダヤの滅びの災いから逃れ、神との優れた契約に入れられることを表しています。それこそが『新しい契約』であり、奇跡を行う人、ナザレの人イエスを信じる水のバプテスマによってはじめて開かれた新次元の崇拝方式であったのです。

その契約に入った人々の証しが、その人への『聖霊』の注ぎでありましたから、パウロは『あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、それを信じて、約束された聖霊で証印を押された。この聖霊は、わたしたちが王国を受け継ぐための保証手形である』と述べています。(エフェソス1:13-14)
それはただ信者になったということを意味しません。その『王国』とはエデンで語られた、悪魔を打ち砕く人類救済の手立て『女の裔』意味するのです。(ローマ16:20/創世記3:15)

そして、バプテストのヨハネはキリストについてこう宣告しています。
『わたしはあなたがたに水でバプテスマを授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物の紐をさえ解く値打ちもない。その方は、聖霊と火とであなたがたにバプテスマをお授けになるであろう』。(ルカ3:16/使徒1:5)

紅海を渡ったイスラエルが、その後に神との契約に与るところとなるように、ヨハネとイエスの水のバプテスマを受けたイスラエルの人々も、キリストを仲介とする神との契約に入ることになりましたが、その『新しい契約』もアブラハムへの神の約束を受け継ぐためのもので、聖霊を注がれたキリストの弟子らによって『地のあらゆる民族が祝福を自分のものとする』という偉大な目的を成し遂げるためのものであるのです。その人類救済という神の意志にこそ、聖書という今日では世界随一の頒布を誇る書物の真価があるのです。(創世記22:18)

そこで「水のバプテスマ」という儀礼は、人類救出のための民を任じ、利他的使命を帯びさせるものであり、ただ「受けた者が救われる」というような、暗愚で視野が狭く、また利己的な「ご利益信仰」の儀式ではけっしてないのです。そうでなければ旧約聖書でのイスラエルの立場も単なる民族優越思想の神話でしかありません。



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