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バベルの塔 幽閉された「神々」への裏門


その塔の場である「バベル」とは「バブイリ」からきた言葉であり、ノアの大洪水の後、メソポタミアで最初の文明を築いたシュメールの言葉で「神の門」を意味する「カンディンギルラ」のアッカド訳とのことです。
これを創世記の記録者はアッカド語と同じセム系のヘブライ語での「乱れ」を意味する「バラル」をもじってそれを『バベル』としました。この場所で神によって言語が突然に分けられたので、人々が大いに混乱したと創世記は伝えます。
神が一つであった人間の言葉をわざわざ分割させたのなら、そこには相当な事情が有ってのことに違いないでしょう。では、その事情とは何であったのでしょうか?

古代メソポタミア南部に建築されたという、天に届くほど高い塔を今日では通俗的に「バベルの塔」と呼ばれます。それは当地で発掘されるように、シナル平原に最初の都市文明を築いたシュメール人の高層建造物を意味してのことであり、創世記にその顛末に関する記述があるとは非常に興味深いことです。
ノアの大洪水後に建てられたと聖書が述べる都市文明の塔の廃墟は、今日「ジッグラト」と呼ばれていますが、果たして四千年も前の人々が多大の労力と熱意をかけてまで高層建築を造ったその意図は何であったのでしょう。

実は、そこに古代の文明の急速な発展と、現代まで続く「この世」の原型の突然の現れの理由、そして「この世」が持つ性質から風俗や宗教の由来も込められています。
では、聖書が描く四千年前のメソポタミア南部に目を向けてみましょう。

さて、ノアの箱舟は現在のトルコ東部にあるアララト山に漂着し、ノアの家族はそこに住み、ブドウ畑などを作ってしばらく定住していましたが、再び人数が増えてくると、土地を求めて山地伝いに南東方向に移動したようです。(創世記11:2)
彼らはノアの三人の息子セム、ハム、ヤペトの子孫が交じりあった集団を形成していたらしく、後にシュメール文明を興してから自分たちを「混じり合った者ら」を意味する「ウンサンギガ」と呼んでいたとのことです。この点では、この人々の頭骨の特徴が極東アジア人のように短頭形でありながら、眼窩が低く窪んでいることに識者の注意が向けられているそうで、血統は本当に交じっていたのでしょう。この民族は紀元前二千年頃にどこへともなく消えてしまい、今日までその消息は分かっていないとのことです。

彼らは今日のペルシアの山地を南東に進んだらしく、ある時広大な沖積平野を見出したことが記されています。それは『シナルの地』であったとされていますので、そこはメソポタミアの南部であったでしょう。
そこは、大河チグリスとユーフラテス、またそれぞれの支流に恵まれ、それは灌漑農法の可能性と、魚の蛋白源を供給でき、無尽蔵の良質の粘土はレンガの大量製造を可能とし、あちこちにアスファルトを見出すこともできました。

混じり合った民は、ここで農業を営むこととし、非定住生活の辛苦を解かれて安定した生活と多くの持ち物を置ける住居を建て、この地の類稀な収穫率に助けられて、人口を増やし、また分業により多様な生産物の恩恵を受けることになっていったことは、考古学も明らかにするところとなっています。
その状況を伝えるのが、無数の粘土板でもあり、そこには楔形文字の発明がなされていたのです。当地にいくらでも見出せる良質な粘土は尖筆で文字を記すための帳簿となり、麦を交換の通貨代わりとし、単位とするべき度量衡も定められます。

彼らは都市生活の豊かさ、様々な楽しみを味わい、多種多様な工芸品は生活水準を上げてゆき、文明後期には、即席食品があり、水洗トイレもあったというのですから、そこに土に塗れて形の崩れた原初的都市を想像するのは間違いであるようです。規格化されたレンガの大量製造が行われたらしく、建物の整然さは街路の美観を作っていたことでしょう。人々の創意工夫はその人を益するだけでなく全体の豊かさにも貢献できたでしょうから、商工業も勢い発達に向かいます。

そうなると、人々は皆が集まり合って暮らすことに大きな利益があるので、洪水後の神の意志である「地に広がるように」という意志とは裏腹な生活をしていることが気に掛り、あるいは都市文明を強制的に終わらされるとしたら、彼らはそれを強く望まないことでしょう。しかし、アダムに言われた『生めよ増えよ地に満ちよ』の言葉は、ノアたちにも再度語られています。また、そのためにもアララト山麓を後に旅に出たことでしょう。

集まって住みたいこの人々は『さあ、街と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そして我らは名を上げて、全地の面に散るのを免れよう』と言い始め、その土地の無尽蔵の粘土をレンガにし、アスファルトで固定する仕方で街と共に高い塔を築き始めたことを知らせます。(創世記11:1-4)
そうして建てられた塔はメソポタミアの都市文明に付き物の遺跡として発見されていて、それらは後の欧州の画家たちが描くような超絶的な一つの超絶的な塔としてではなく、それぞれの都市に備わったものでありました。

この塔は、洪水からの避難場所であるとか、神への挑戦であるとかさまざまに考えられてきましたが、発掘して分かったことは、初期の塔には、その麓に小さな祠が設けられていることで、時代が降るに従い、祠は社となり、やがて偶像を安置する神殿と発展していったことです。
ですから、この塔には宗教的意味合いがあったと判断されています。

それでも古代を探求する人々を当惑させるのは、古代歴史家ヘロドトスが実際に塔を見ての観察記録なのですが、塔の頂上にはさぞ宗教的であろうと思われたものですが、彼の目撃録によるとそうではないのです。
その頂上には偶像はなく神殿の様子でもなく、ただ寝台があり、夜毎に選ばれた美女がそこで過ごすだけであったというのです。(「ヒストリア1:181」)
そこで悪霊の由来を知る人であれば、それが堕天使らの願望であったことを直ぐにも思い起こすでしょう。(創世記6:1-2)

ですから、その塔の建設がメソポタミアの都市生活者と悪霊らとの接点であったということをこれらの状況が明かしていると言うべきでしょう。
彼らが「塔の頂を天に届かせて、我らの名を上げ、全地に散らされるのを免れよう」というのは、「高い塔を建設して偉業を成し遂げる」というより、他の見方が可能となってきます。それは「自分たちのために名を上げる」(ヴェ ナーセー ラーヌシェム)ということが、どうして神の命に背いて都市生活を続けられることになるのかについて「名を上げる」と訳すよりは「名目を作ってしまう」とヘブライ語の動詞「ナーセー」を訳し得ることを考えに入れると、彼らは「神」というものを懐柔して、街々がそれぞれに存続することを許してもらうことを計画したという実利的動機が見えてきます。(創世記11:4)

そのために神の住む天界に通じる道を設ける必要があり、そのために十分に有るレンガを積み重ね、高い塔を建てることは、街々を建設できる彼らには不可能なことではないと見積もられたことでしょう。
彼らは街を建てるように高層建築に取り掛り、神の領域への道を作ったのでしたが、そこに降り立ったのは創造の真の神ではなく、人間となることを禁じられ、行動を制限されていた堕天使らであり、彼らが供物に女性を所望したところにその正体が見えています。

ですから、メソポタミアのジグラットは人と偽の神々との交流のためのものであり、創世記が言うところの諸都市のはじまりであるバベルとは、ヘブライ語に同じくセム系語でありアッカド語での「バブイリ」つまり「神の門」である謂われが明らかとなり、本来のシュメールの人々はその都市を「カンディンギルラ」と呼んだのであり、その意味を同じくしており、神のための昇降口としての塔を備えた最初の都市でありました。
ヘブライ人は神の一撃による言語分割の偉業を込めた意味で「バベル」と呼び習わし、やがてメソポタミア南部の主要都市がその名で呼ばれることになってゆきます。これはギリシア語でも起こっているのですが、それでも、聖書が塔を備えた都市、権力者ニムロデの諸都市の始まりとしているこの「バベル」が後の「バビロン」ということでもありません。
それでも都市に塔については、かなり後の新バビロニア帝国の時代(前7-6c)にも思い出したように建築や再建が行われてはいます。それはかつてのシュメール文明期の繁栄にちなんで誇るところに由来するもので、それについては旧約聖書のダニエル書が後に描き出すところとなります。

遥か昔のシュメール人については、古代の民にしては非文明の蒙昧を感じさせず、実際、数学での多様な計算法を知っていて、暦を作る以上に天文学は異様なまでに発達して近世並みの洞察を見せ、青銅を調合して農具や武具を作っていました。
これらの知恵がどこから来たかについては、ユダヤ教の外典エノク書に
描かれるように天使からの知恵の提供があったとの記述にさえ可能性を考える必要を求められるほどであり、ギリシア神話でのプロメテウスのような存在がいたとしても、不思議ではないほどに見えます。おそらくは、神を装う堕天使である悪霊たちは、自分たちを神と奉ってくれる彼らの都市生活に賛同し、その見返りに科学や技術を提供したとしてもおどろくべきものでもないでしょう。

これらの街々は城壁で囲まれた城市であり、すでに最初の都市文明から暴力による財産や人身の収奪があったことを示しており、実際に出土するレリーフには、後にギリシアで見られる密集戦隊のファランクスの原型が見られ、戦車も描かれているところは戦争にも熟達していたことを物語っています。

やはり、この文明社会では軍事的権力者が登場しています。
それが『クシュの子ニムロデ』なる人物なのですが、都市生活者ではなく聖書は「狩人」であったことを明かしています。元は非定住の狩猟民であったとすれば「人をも狩る」、すなわち、都市を征服して自分の支配下に置き、『彼の帝国の始まりは、バベル、エレク、アッカド、カルネであった』と創世記が記すように、その支配領域を広げていった様が見えます。確かに後代に書かれた旧約聖書の歴代誌第一には『地で最初の権力者となった』とニムロデの名を挙げて記されてもいます。(歴代誌第一1:10)

この名前「ニムロデ」というのは間違いなく本名ではなく、都市名「バベル」のように聖書筆者の軽蔑が込められています。
なぜなら、その名には「抗おう」という意味があり、ノアの子孫たちをほぼまとめて支配しながら、なお抗うとすれば、それは神に対してであると考えられ、この上ない傲慢が込められた名であることになるからです。
それは、人類支配の野望の象徴ともいえるでしょう。しかし、それも言語分散の神の一撃により打ち砕かれるところとなりました。
この表象は終末の中で再び現れ、人類を席巻することになるでしょう。

創世記では、街々に塔を建てて住む人々の様子を創造の神が目にしたとき『民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事も留め得ないであろう』との神の危惧の言葉があったと記しています。(創世記11:6)
この『彼らがしようとする事』という一言には人々が大地に広がって住むようにとの神の意志への抗いが含まれるでしょう。しかし、「ヤハウェスト」と今日呼ばれる創世記の筆者の観点は、明らかに世界支配の失敗に焦点を当てています。そのため創世記は『塔』に関する記述は曖昧になって、その交霊術的性格は言下に示唆される程度で済まされています。

他方、ニムロデがもう少しで達成しようとしていた事は、つまり人類支配の野望です。これを許せば人類は圧倒的な独裁の中に落ち込み、肉体も精神も奴隷化されて、無制限な暴虐が恣意的に行われるでしょうし、宗教的自由もなくなり、悪霊の教えが強制される世界になり兼ねず、そうなれば後のイスラエルのような一神教国家は存立できません。ですから、アブラハムによるイスラエル民族が備えられる前に、世界を一つの圧制の覇権に統治させることを許さず、ニムロデの統一政権は是非とも排除されなくてはなりません。

そこで、神はその全能性を振ってこれに対処します。
それが言語分割の処置であり、それがどのような進展で起ったかの記述はないのですが、ノアの子孫はここで強制的な分離を受けました。
創世記によれば『彼らは街を建てるのを止めた』とあります。

考古学の明かすところでは、シュメール人が一度所在不明になり、北からセム系のアッカド語を話す民が南メソポタミアを支配しますが、その民もシュメールの始めた文字を含んで、その文明を取り込んで発展しているとのこと。彼らのアッカド語は文法は複雑で九つもの格を以っていた事が知られており、古代語の文法が複雑であり、徐々に簡略化されてゆく諸言語の傾向というものは、進化論的言語発生のヴィジョンを当てはめるのにはかなりの不都合があるようです。

メソポタミアでの都市建設も続いたにせよ、バベルをはじめ主要な街々は既に存在しており、それぞれのジグラットも残ってはいたことでしょう。
言語が分けられてしまっては、人々はそれぞれの集団で固まるより他ないに違いなく、それぞれのコロニーの建設を目指して分かれ始めたと見てよいのでしょう。

現代の80億ともされる人口であっても、ニューヨークほどの人口密度にすれば、日本の二倍ほどの土地に収容してしまえるとの情報もありますから、当然、当時の全人類をメソポタミアに集めておくことも出来ないことではなかったことでしょう。
しかし、今や文明はメソポタミアだけのものではなくなり、当地で培われた人間社会の原形を携え、また悪霊の神々の宗教の原形を持って人々が地に広がったのであれば、創世記に見られる大洪水説話や神の降臨、巨人伝説などが世界各地に痕跡を残した現状というものを説明するものと言えることでしょう。

聖書筆者は、ヘブライ語の「乱れ」を意味する「バラル」をもじって、メソポタミアの最初の都市を「バベル」と侮蔑的に呼び、それが言語分割の打撃を受けた文明の象徴のように述べます。ヘブライ的解釈から見ると「バベルの塔」というようなものは、全人類による一体制設立の極めて大きな野望を神が打ち砕いて終わらせたというところに意義があり、創世記の筆者は終始その視点を保っています。

ですが、先にみたように、この語は街よりも塔について述べるアッカド語「バブイリ」からきた言葉であり、それは神の天からの昇降口としても「神の門」と意味していたことも示唆されています。
それは悪霊を崇めて、都市生活の助力を求める目的によるのであり、その交霊的性格は、その後の人類の宗教的傾向を形作ったと言えましょう。

特にその傾向の特徴としては、多神教と人の死後の意識の存続、霊魂の教えが挙げられます。それこそは悪魔が蛇を介して『その実を食べてもあなたはたが死ぬようなことはないのです』とエヴァに語った偽りの延長にあり、死後には『何の意識もない』と教える聖書との対立軸となっています。

悪魔の教えでは、人々は死後に地下世界に移り、或いは現世とは異なる世界に移り、そこではなお生きる者らの世界との僅かな関係が残されます。これは幽閉された堕天使らが、なお人々に交霊的に関わる務めを与えるものであり、そこに幽霊をはじめ多様な不思議の淵源が見えています。

それに加え、神々の多くは偶像となって人間に崇められ、大洪水以降もはや人間界に出入りの叶わない悪霊たちの象徴とされる事情が生じましたが、もし、依然として堕天使らが地上を闊歩していたなら、偶像の必要もなかったに違いないことです。加えて心霊術という曖昧でありながらも、強力に人を縛るものも、見えない領域から操られるものとなったのでしょう。

こうして人間の都市生活的生き様は、ただ生きるための生活に謀殺されるような日々の過ごし方を習慣とし、刹那的な楽しみの中に空しい一生を送らせ、その崇めるところは悪霊となり、この世の原形が形作られたと言っても的外れではないでしょう。それが神から離れた「俗」を発生させてゆきます。神が人に「聖」を求めるのは悪魔と悪霊らの影響下から逃れ、『神の創造物としての栄光ある姿』を『神の象り』であることを忘れないようにとの意志から来ていることでしょう。(ローマ8:19-21)

その一方で、この影響が少なかった人々も幾らか存在していました。
それが非定住の人々、特に遊牧生活者であったのです。



「誤解されてきたバベルの塔」







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