未視感と夢の記憶。
全く、本人以外、意味が解らないかもしれないが。
「夢を見ている時にだけ思い出せる記憶」がある。
それは夢の中で行った場所や、見た景色、夢の中で起きたイベントの記憶だ。
目覚めている時には思い出せない、ただ、夢見ている時だけは、それまでに見た夢の土地を渡り歩ける。
あの土地に行ったな、あの場所は恐ろしい。あの通学路の途中に入り込んだ街はトルコ風だった。
それはアメリカのモーテルだったり、なぞの研究所のパイプ伝いだったり
薄暗いダンジョンだったり…。(※悪夢の割合は高い)
それは、現実の景色ではないので、目を覚ましている時には「記憶」としては取り出せないのだが、夢の中にいるときに限り、過去の夢の記憶(特に風景に特化して)を芋づる式に思い出せるのだ。
夢の中の記憶は、無意識下の箪笥に「あちら側の記憶」としてストックされているのだと思っている。
夢の中では、夢の記憶を追える、という事に気づいて、まどろんでいる時に何度も試していると、印象深い景色は起きている時にも思い出せるようになって、
そういうあやふやに覚えている「夢の中の場所の記憶」がたくさんある。
さて本題である。
その夢の中の景色には、子供の頃通った学校や、社会人になって勤めた巨大ホテルの裏側等もあるわけなのだが
先日、台風で川崎の図書館が地下にあって水没したニュースを見た時、
ふと、子供の頃通っていた中学校の図書館は2階だったよな…と思い
遠い故郷の中学校をgooglemapの3Dで見てみたのだが…。
間取りが…思っていたのと、随分違うのだ。
確かに当時、自分の学校を上空から見ることができるなんて想像だにしなかったのだろうけれど
何十年も前の記憶なので、あやふやではあるが、それにしても違う。
そして、気づくのだ。夢の中で何度か見たであろう、中学校の記憶が、現実を上書いているのだ、と。
中学校を3Dでぐるぐる回しながら、ああ、現実で行かなかったこっちの校舎も夢で歩いたというのを思い出しつつ。
ちょっと怖くなって、小学校をgooglemapで見てみると、
現実ですっかり忘れていた外階段を、夢の中で走っていた夢の記憶を思い出した。(たぶん何十年も前の夢だ…)
もし、今回お題をもらったテーマ「未視感」という言葉を知らなければ、いつか、もし、なにも気づかずに故郷の中学校や、小学校に行ったとき、何とも言えない違和感を感じるのではないか、そして、それに対する言葉を持たなかったろうなと。
そんなことを思った。
ついでなので、通学路をgooglemepの航空写真で、上から追ってみたら、いたるところに夢で行った場所があった。夢は毎晩見ているのだ、意識の拡張なのだ。知っている場所が拡張されるのは当然なのかもしれない。
そして…、数十年前、田んぼが広がって、カブトエビを取っていた通学路の農道は、すべて住宅地になって全く当時の面影は無くなっていた。きっと今その道を歩いても、思い出のかけらを見つけるので精いっぱいだろう。
すでに記憶にあった場所が現実に存在しないということは、もはや自分の記憶が、現実の記憶か夢の記憶かも判別できないのだ。
記憶とは何か。
自分の記憶がひどくあやふやなものだったという事を突き付けられた未視感の経験であった。
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