美味しいときは美味しいと言えない

本当に美味しいものを食べたときは、美味しいとは言えないものだ。

無言で飲み込んで次を口に運ぶ。ときには眉間に皺を寄せて。

前に、浅草のインドカレー屋に行った時がそうだった。インド西南部のケララ州の料理を出しているお店。

そのときは、20人くらいのインド人と思われるグループがいて、素手で食べている。その姿がまさに、全員が無言で、眉間に皺を寄せて、真剣な表情で、黙々と、器用に指で混ぜながらお米やカレーソースを口に運んでいる。

おもわず、同じミールズを注文し、真似して素手で食べる。美味い。指から口に入れると味や香りをダイレクトに感じられる。

インド人のグループと同じように、眉間を寄せて、無言で食べていく。ひと口ずつ、逃さないように噛みしめる。

バスマティライスを口に運びながら、逆の状況だったらどうだろう?と考える。

もし、インドで、寺院がある街で、日本料理店に入って、日本米のおにぎりや、豚汁、たまご焼き、たくわんが出てきたら?しみじみと美味い料理だったら?

美味しいなんて言葉は出てくるだろうか?本当に美味しいときは、険しい表情で無言で食べるのではないか。そうに違いない。

それからというもの、テレビの食レポで、笑顔や驚きの表情で美味しいーとコメントがすぐに出たら大したことない、無言が続いたり真剣な表情になったら本当に美味しいのだと判断するようになった。

お店に入って、周りの客が無言で黙々と食べていたりすると期待が高まるようになった。

あめつちの恵をいただきます。食べものが本当に心に響くとき、食事は厳かになるのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?