三浦芳聖伝 23、満州国建国に尽瘁
満州国建国に尽瘁
1、満州国建国とは
まず、最初に満州国建国とは何だったのかについて、2018年7月に発行された鈴木荘一著「満州建国の真実」に的確な定義が出ていますので、引用させて頂きます。
『満洲国- Wikipedia』には、下記の様に説明されています。
【参照】満州国(満洲国)の建国の経緯〜滅亡までをわかりやすく解説
2、荒木中将から密命を受く
三浦芳聖は、昭和6年(1931年)9月18日、満州事変が勃発するや「荒木貞夫中将」より密命を受け、日・満・蒙・漢・韓の五族協和の理想国家(王道楽土)「満州国」建国のため中国大陸へ渡った。
この三浦芳聖の満州建国の話は、荒木貞夫中将から「極秘で」と依頼された秘密事項という事で、芳聖は、満州建国について、下記のように述べているだけです。
この件については、芳聖は、この他に何も書き残していませんので、芳聖の講義を思い出しながら、当時の記録を調べて書き進めて行きます。
芳聖は、昭和6年(1931年)9月18日の満州事変勃発後のある日、教育総監部本部長・荒木貞夫中将から、「満州に、日・満・蒙・漢・韓の五族協和の理想国家(王道楽土)を作るのに協力してほしい。この仕事は、貴方でなければできないから」と密命を帯び、紹介状の代わりに荒木貞夫の「恩賜の軍刀」を預かって、単身大陸へ渡りました。
芳聖は、着流し姿で銭湯へ行くような振りをして、特高の尾行を撒き、舞鶴港から船に乗り、関東軍司令部のある旅順へ向かいました。船中の芳聖の服装は、腰には荒縄を巻くという勇ましい姿でした。
3、関東軍司令部に本庄中将を訪ねる
旅順の関東軍司令部に到着した芳聖は、荒木中将から預かった「恩賜の軍刀」を見せて本庄中将に面会を求めると、直ちに司令官室に通されました。
芳聖が司令官室に入ると、関東軍司令官・本庄中将は、天照大御神の掛け軸の前で両手を合わせ「天照大御神、天照大御神・・・」と唱えながら一心に祈っていました。
芳聖は、本庄中将に、荒木中将から満州建国の為に極秘で派遣されたことを話すと、趣旨を理解した本庄中将は、関東軍の幹部を集めて芳聖を紹介してくれました。
4、愛新覚羅溥儀を脱出せしむ
芳聖は、本庄関東軍司令官、土肥原賢二関東軍特務機関長らの関東軍幹部と相談の上、南満州鉄道東亜経済調査局奉天主任・甘粕正彦らの関東軍関係者ら数人と共に天津に行き、天津の日本租界で日本公館の庇護を受けて、天津日本租界内張園に幽閉されていた「愛新覚羅溥儀・あいしんかくら ふぎ」を脱出せしめる事に成功しました。
この愛新覚羅溥儀脱出劇には、芳聖が仙人行で身につけた「忍術」が役に立ちました。この当時の芳聖は、気合と共に3メートル以上もある塀の上に飛び上がることが出来ました。
その時の様子は「溥儀を天津から湯崗子まで洗濯物に化けさせて柳行李に詰め込んだり、苦力に変装させ硬席車(三等車)に押し込んで極秘裏に連行した。(『ウィキペディア』甘粕正彦)」と記述されているように、手に汗握るドラマチックなものでありました。
湯崗子とは、遼寧省鞍山市にある町です。昭和6年(1931年)当時、関東軍司令部のあった旅順も、この遼寧省にありました。
5、満洲国の勲章を辞退
翌、昭和7年(1932年)3月1日、長春(新京)で満洲国の建国が宣言され皇帝の地位に就いた愛新覚羅溥儀は、関東軍の計らいに対し、泣いて感謝の意を表わしました。(東京裁判での証言は虚偽です。)
芳聖は、満洲国政府から勲章を授与すると云われたが、名誉も地位も金も求めず、天下国家の為に捨て石となる覚悟でしたので、その申し出を丁重に断わり、国内に戻って皇国維新運動に邁進しました。
【参照】東京裁判 《 溥儀の証言 》より
大清国皇帝になった溥儀が、紫禁城から追放されて満州国皇帝となるまで、どのような思いで日々を送り、どのような経緯で物事が進展したかは、溥儀の帝師(チューター)であり、よき理解者でもあったジョンストンがつぶさに観察し、『紫禁城の黄昏』の中で詳しく書き残しているとおりである。
ところが、東京裁判に証人として召喚(しょうかん)された溥儀は、もっぱらソ連から言われたとおりに証言し、すべては日本の軍閥の仕業(しわざ)であり、自分はまったくの傀儡(かいらい)にすぎなかったという答弁に終始したのである。満州事変当時、溥儀が陸相南次郎(みなみじろう)大将に宛てた親書の中で、満州国皇帝として復位し、龍座に座することを希望すると書いていたという事実を突きつけられても、溥儀はそれを偽造だと言って撥(は)ねつけたのだった。
この強弁には血を分けた弟の溥傑(ふけつ)でさえも憤慨し、日本軍閥はわれわれを利用したかもしれないが、われわれも彼らを利用しようとしたことを、どうして証言しないのかと言って、兄である溥儀のふがいなさを嘆いたという。
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串呂哲学研究会 鈴木超世志
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