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家禄と帯刀の廃止-日本属国化の歴史

(3)武家制度を廃絶するには、家禄(世襲の収入)と帯刀の廃止が有効であり、1876年(明治9年)に、それぞれ「秩禄処分」「廃刀令」の形で実施されました。文明開化という名のもとに、欧米従属化の陥穽かんせいにはめられ、この時、世界に誇る日本の武家制度は終焉を迎えたのでした。

秩禄処分- Wikipedia
明治政府が1876年(明治9年)に実施した秩禄給与の全廃政策である。秩禄とは、華族や士族に与えられた家禄と維新功労者に対して付与された賞典禄を合わせた呼称。経過措置として公債が支給された。支配層がほぼ無抵抗のまま既得権を失ったという点で、世界史的にも稀な例とされる。

(2)幕末に欧州からやって来た白人たちには、日本には、いまだに封建社会が続いていて、責任を取るのに自害(切腹)する武士集団は脅威に見えた事と思います。それで、この武家制度を廃絶することが日本属国化の一番最初の課題だったと思います。

【参照】『廃刀令- Wikipedia
すでに明治2年(1869年)頃から廃刀の議論は行われていた。明治2年(1869年)3月に公議所が開かれたとき、制度寮撰修森有礼は佩刀禁止を提議した。「早く蛮風を除くべし」というものであったが、王政復古から間もない頃であったため公議人らは反対し、「廃刀をもって精神を削ぎ、皇国の元気を消滅させるといけない」として否決され、森は退職を命じられた。明治3年(1870年)には一般に禁止し、明治4年8月9日(1871年9月23日)には帯刀・脱刀を自由とする散髪脱刀令を発していた。そして、1876年(明治9年)3月28日、廃刀令を発布した。

(1)明治維新とは、レプテリアンを王室に頂く英国金融財閥の従属国に組み込まれた事件と言えるのです。薩摩と長州藩は英国金融財閥のエージェント・コンプラドールになって権力を掌中にし、明治政府は、英国金融財閥の東洋の番犬(傭兵)として、将来の目的(黄金の百合作戦)の為に育成されたのです。

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串呂哲学研究会 鈴木超世志
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