『太平記』巻18の6 気比大宮司城へ戻る(原文および読み仮名付き)

気比大宮司太郎は、元来力人に勝て水練の達者なりければ、春宮を小舟に乗進せて、櫓かいも無れ共綱手を己が横手綱に結付、海上三十余町を游で蕪木の浦へぞ著進せける。是を知人更に無りければ、潜に杣山へ入進せん事は最安かりぬべかりしに、一宮を始進せて、城中人々不残自害する処に、我一人逃て命を活たらば、諸人の物笑なるべしと思ける間、春宮を怪しげなる浦人の家に預け置進せ、「是は日本国の主に成せ給ふべき人にて渡せ給ふぞ。如何にもして杣山の城へ入進せてくれよ。」と申含めて、蕪木の浦より取て返し、本の海上を游ぎ帰て、弥三郎大夫が自害して伏たる其上に、自我首を掻落て片手に提、大膚脱に成て死にけり。

気比大宮司(けひのだいぐうじ)太郎は、元来力人に勝(すぐれ)て水練(すゐれん)の達者なりければ、春宮(とうぐう)を小舟に乗進(のせまゐら)せて、櫓(ろ)かいも無(なけ)れ共(ども)綱手(つなで)を己(おのれ)が横手綱(よこてつな)に結付(ゆひつけ)、海上三十(さんじふ)余町(よちやう)を游(およい)で蕪木(かぶらき)の浦へぞ著進(つけまゐら)せける。是(これ)を知(しる)人更(さら)に無(なか)りければ、潜(ひそか)に杣山(そまやま)へ入進(いれまゐら)せん事は最(いと)安かりぬべかりしに、一宮(いちのみや)を始進(はじめまゐら)せて、城中(じやうちゆうの)人々不残自害する処に、我(われ)一人逃(にげ)て命を活(いき)たらば、諸人の物笑(ものわらひ)なるべしと思(おもひ)ける間、春宮(とうぐう)を怪(あや)しげなる浦人(うらびと)の家に預け置進(おきまゐら)せ、「是(これ)は日本国の主(あるじ)に成(なら)せ給ふべき人にて渡(わたら)せ給ふぞ。如何にもして杣山(そまやま)の城へ入進(いれまゐら)せてくれよ。」と申(まうし)含めて、蕪木(かぶらき)の浦より取(とつ)て返し、本(もと)の海上を游ぎ帰(かへつ)て、弥三郎大夫が自害して伏(ふし)たる其(その)上(うへ)に、自(みづから)我首(わがくび)を掻落(かきおとし)て片手に提(ひつさげ)、大膚脱(おほはだぬき)に成(なつ)て死(しし)にけり。


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