三浦芳聖伝 15、日曜院の住職時代(4)
日曜院の住職時代(4)
1、済南事変に応召
昭和3年(1928年)年5月、済南事変が勃発し、第三師団と第六師団に動員下令、5月9日、芳聖が、西山専門学校(西山短期大学)の教壇に立って、講義をしている最中に召集令が下った。
それで芳聖は、京都の総本山誓願寺の法主「富永慶法老師」に挨拶し、また各恩師に挨拶をして一端名古屋に寄り、それからお寺に帰って出征の準備をし、12日の午前10時に応召した。野戦歩兵第18連隊第1中隊第1小隊第3分隊長であった。
済南事変とは、中国山東省の居留民保護のために、昭和3年(1928年)4月19日、日本政府が出兵を決めたもので、北伐を再開した国民政府軍と5月3日済南で衝突、5月11日、日本軍は済南を完全占領した。
済南は、山東省の省都で、渤海(ぼっかい)湾に注ぐ済水の南にあることから、漢代から済南と呼ばれた。明治37年(1904年)青島と共にドイツの租界となったが、第一次世界大戦後ドイツの権益は日本に譲渡された。
第三師団は、名古屋にあり、田中義一内閣の時の山東出兵に参戦している。(第一次山東出兵は昭和2年5月、第二次は昭和3年4月、第三次は昭和3年5月)、芳聖は、この第三次の出兵で応召した。芳聖の所属していた一個中隊は大阪から上海丸に乗って爆弾を積んだ船を護衛する任務で天津へ行った。
芳聖は、5月17日、陸軍歩兵伍長に任官。18日、屯営出発、24日、北支天津に到着。警備(小戦闘)に任じ、9月早々、山東省膠済鉄路沿線の高密、防子、膠州等の警備(小戦闘)に従事して、同年11月内地帰還、11月10日の即位の御大典後、召集解除となり、無事日曜院に帰った。
当時の人々は、この山東出兵を「サイナン事変」と呼んだが、芳聖にとっては25才の厄年の正に「災難」事変であった。
2、渥美勝の葬儀で弔辞を述べる
芳聖は、渥美勝先生から教えを受ける為、住居を持たない渥美先生に旅館に泊まって頂いて、そこで恭しく教えを受けた。当時、芳聖は受験参考書「三浦の英語訳学解析法」の印税で経済的ゆとりがあったから出来たわけだが、そうかといって誰にでも出来る事ではない。少年時代から散々苦労した芳聖だから出来た事だと思う。
昭和3年(1928年)11月4日、渥美先生が帰幽した時、芳聖は済南事変で召集され戦地に行っていて、急逝された師の最期に立ち会う事が出来なかった。
しかし、帰幽した渥美先生の持っていた手帳に「私の思想は三浦君が継いでいる」というメモが残されてあった為、渥美先生を知る国家主義の人々は芳聖の帰国を待って葬儀を出すことになった。
都合よく芳聖が昭和3年(1928年)11月に内地帰還、11月10日召集解除になったので、同年12月9日、東京日本青年会館に於て、玄洋社の頭山満翁を葬儀委員長として国家主義の各団体及び教化団体の共同主催で盛大な団体葬が執り行われた。
有名な大川周明博士も葬儀委員の一人だった。全国から約二千人の会葬者が集まるこの葬儀で、芳聖は、門人の一人として弔辞を読み、渥美先生のご霊前に下記の献歌をした。芳聖はこの時、数えで25歳の青年だった。
陋巷の布衣の聖者とは、社会的栄達はもちろん、その命さえも顧みず、天下国家のために一生を捧げた聖者という意味で、数少ない芳聖が詠んだ歌の一首である。
渥美先生のご遺体は、「太平洋の見える富士山の麓に」という遺言によって、富士の裾野駅に程近き「若狭の森」に丁重に葬られた。
渥美先生のお墓は自然石で作られ、表には頭山満翁の揮毫による「渥美勝乃命碑」裏には「富士を負ひ海原見ゆる裾野あたり牛追ふたつき夜々夢に入る」という渥美先生が理想の生活を詠んだ歌が彫られてある。
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串呂哲学研究会 鈴木超世志
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