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品質管理の玉手箱(3)

もうひとつのTQC

 日本に科学的品質管理を伝えたのは、戦後の占領統治に当たったGHQ(General Headquarters of the Supreme Commander for the Allied Powers連合国軍最高司令官総司令部)でした。

 効果的な占領統治のために「民主化に向けたアメリカのメッセージ」を日本全域に速やかに広めることを重視したGHQは、電気通信事業の再構を最優先事項としましたが、自らが行った終戦直後の財閥解体と相次ぐ工場閉鎖に加えて、物資不足、生産設備不足、労働力不足など山積する問題で国内の生産力は壊滅状態にあり、ラジオや無線機、電線、アンテナなど通信事業に必要な製品設備の品質の劣悪さは、惨澹たるものでした。
 そこでGHQは、民間通信局(Civil Communications Section : CCS)を設置して、国内の電気通信インフラの立て直しを積極的に進めましたが、その中で特筆すべきが、電気通信事業者の経営幹部を集めて実施した「CCS経営者講座」です。
 講座の詳細については、紙面の都合上ここでは割愛しますが、この講座の中で初めて、科学的品質管理の重要性とその手法が日本の産業界に伝えられました。

 その後、1950年代に来日したデミング博士やジュラン博士らによって、国内製造業の経営層や管理者層を中心に品質管理が展開されていきますが、当時の品質管理は、CCS経営者講座の対象者が企業の経営幹部であったことからも分かるように、あくまでも「経営管理(Management)」のツールでした。

  ところが、1960年代に入ると、日々、数々の品質問題の最前線に立たされて問題解決に奮闘していた製造現場の職工たちの間に「自分たちも品質管理(QC)を学びたい」と言う声が高まり、こうした現場の声に応えるために、日本科学技術連盟(日科技連)から「現場とQC」誌(後に「FQC」を経て「QCサークル」と改題)が発刊されるに至って、日本の品質管理は「経営主導から現場主導」へと、新たなステージに突入します。

 そして、時を同じくして紹介されたファイゲンバウム博士の"Total Quality Control(TQC)"も、もともとの経営管理(Management)の概念から「全ての職場の全ての職位職階で行う品質管理(QC)活動」と言う実務レベルの概念に置き換わり、"日本型TQC"となって、製造業のみならず、業種、業態、職種を問わず、あらゆる企業組織のあらゆる職域に幅広く浸透し、世界に誇る日本企業の"現場力"の原点となったのです。

  次回は、"日本型TQC"の強さの秘密に触れてみたいと思います。

 

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