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22/08/07

思えば、noteを書く時はいつも何かを主張するために書いていたように思う。
何かに怒っていて、おかしいって思っていたり、自分の中の何かを成仏させるために敢えて他所へ向けた言葉で書いたり、そんな文章を書く場所がここだった。
一方で、ただの心の動きを記録する場所もある。
mediumという、海外版noteみたいなもので、
シンプルでカッコよくて、何より日本で使っている人が少なくて、みんながこぞってnoteを書き始めていた時期だったのもあり、かぶりたくない精神でそちらを先に解説した。

では今回、
私はいつものように何かを主張したいのか、というと、違う気がする。
心の動いたから、書き留めておきたい。
間違ってなかったって思えたから、大切ことを改めて認識できたから、残しておきたい。
そんな意図だと思う。
だから、もしかしたらこの文章は表に出ないかもしれない。
もし出たら、どういう形なのか。
少なくとも、対外向けに発信できるほど、
今回の経験は客観的にはできない。その振りすらできない。
それくらい大切で、尊いのだ。

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私はプランナーになりたかった。
頭の中で考えて、自分が良いと思うことを伝え
それが形になればいいと思っていた。
自分の思うことが人に伝わらないのが常だからこそ、そんなプランナーに憧れを抱いていた。

それに、プロデューサーなんて向いてるはずがないんだ。
あんなに沢山の人と関わって、色んな人に頼んで、細かいところも気にして、、
そんなこと、私には絶対無理だ。

最中だって、
プロデューサーなんて二度とやりたくないって
何度も思った。
たくさん人に頼まなきゃいけなくて、
任せなきゃいけなくて、
こんな自分でコントロールできないこと、
大嫌いなんだ。

そう思いながら、プロデューサーを務め上げてしまった。

それどころか、
やってよかった、と思ってしまった。


はじめて思ったのは施工の日。
考えたことが、何度も考え直したところが、やっと決まったことが、説明してなんとかわかってもらえたところが、、
作ってもらった、形にしてもらった。
形になったあのひと時は本当に忘れられない。
途中聞いてくれて、やりたい事を元にどう作るか決めてやってもらったやつ、あれは良かった、、。

次に本番、
みんな一生懸命やってくれて、
私は当然だけど、でも、なんでみんなは?
ありがたくて仕方がなかった。
おかげでこれだけ多くの人が来てくれた。
そしてみんな楽しそう。
あれだけ悩んだフォトスポットも、
あれだけ決まらなかったノベルティーも、
あれだけ場所云々で突っ込まれたデータボードも、
あれだけノーヒントだった体験方法も、
全部、全部ほんとうにみんな楽しそうで、
面白いって言ってくれて、かわいいって思ってもらえて、
そんなの、報われてしまっているじゃないか。

なんか、報われちゃったな。

これがプランナーだったらここまで思えないだろう。
設計図を作るけれど、
それが形になっていく姿や、形になった後を世話することがないプランナーは。
グラフィックの尋常じゃないほどの戻しも、
間に合わないと恐ろしかった納期も、
それを伸ばしてもらえたありがたさも、、
何もかも、知らないのだから。

ここまで来るための全てが
この時のためなっていると考えたら
頑張って良かったって思えてしまう。

あれだけ苦しかったのに
分からないことだらけで、怖くて、知らなくて、夢中で、身体壊して、怒って、怒られて、責められて、理不尽で、心崩れかけて、
支えてもらって、、

運営中、ここにあるものを見てずっと思ってる
一つ一つに記憶があって、
やっとこさここまで来て、それで、、。

苦しければ苦しいほど、
喜びが大きいなんて麻薬みたいだ。

でもやっぱり、
協力してくれた、頼ってくれた全ての人たちに感謝が尽きない。
一人では何もできなかった。
誰よりも一生懸命やって、
好きな人には好きって言う。
ありがとうは精一杯伝える。

そうしてきてよかった。

だってみんな、信じられないほど優しかったから。
助けてくれたから。
あたたかかったから。

今でも、全部が本当に大切なんだよ。

時間が止まっちゃえって、本気で思った。
日々が宙に浮いているような、
そんな素敵な11日間だった。

分かったふりなんて、しないでね。

心から


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