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「怖い」の悪口

最近は「怖い」という感情について考えています。
「怖い」、ねーーー、、。

「怖い」が鼻につく

ことの発端は、しばしば、或るタイミングで聞く
誰かの「怖い」が鼻につくようになったことからだ。
例えば、学校でいつも同じ友達といて、あまり友達が多くない子がいたとする。その子に対して周囲のとある人間は、「あの子なんか怖いよね」などと適当なレッテルを貼る。
例えば、何かを得たくて一生懸命頑張っている人がいたとする。その周囲のとある人間は、「あの人ちょっと怖い」などと言い、遠くから冷たい目で見る。
何も知らないくせに。知ろうとしないくせに。
(その人は自分の浅はかさを見透かされている気がして不快のだ、と私は思っている)

上記のことは例え話だが、
このような会話を耳にすることは割と頻繁にあり、その度に私は下唇を噛み締めている。
ムカつくし、なんか邪悪だ。
だから、彼らが使う「怖い」について抱くこの違和感と怒りを解き明かしたいと思ったのだ。

何が怖いですか

さて。
まずは、ざっくり「怖い」について考えます。
みなさんは何が怖いですか?

私は、そうだな、、
軽めのやつだと、
食べてすぐ寝てしまった翌日に鏡を見るのが怖い。一生懸命やった課題のFBも怖い。好きなものを紹介するのが怖い。
道端で少し危険な自動車に相対した時、大声で文句を叫ぶ人が怖い。クラクションも怖い。
テレビの音が大きいのも怖い。眩しい蛍光灯も少し怖い。(食われそう)
などなど、、。
お次は重めのやつ。
何の疑いも無く社会的論理を強いてくる人が怖い。誰かが感じたことを蔑ろにする人が怖い。
みんな結局同じなんだよってことを知らない人が怖い。

私が今思い付いたのはこんなもん。
全部紛れもなく「怖い」だけど、
こうして書き連ねてみると、
人に向けた「怖い」と何かに向けた「怖い」では、怖いの質に差があるのではないか
とふと思った。
ので、とりあえず仮説を立ててみる。

「怖い」とは 〜仮説と証明〜

【仮説】
人が人に抱く「怖い」とは、
自分の基盤となるものや大切なことを
悪気無く、雑に蔑ろにして来そうな人に覚える感情である。

言い換えると、
自尊心を守るためのもの無意識下の防衛本能
とも言えるだろう。

仮説を立てたので次は証明の時間である。
まず、先述の私が抱く「怖い」は、当然だがこれに当てはまっている。
道中で大声で文句を言う人は、その美意識の無さが怖いし、
社会論理を強いる人は、その"強いる"ということが如何に野暮かを知らないことが怖い。(私は社会的な論理よりも一人一人の内側にある論理に価値を感じるので、ヨッ社会的!と嫌味を言いたくなる)
人の感じた事を蔑ろにする人は、その視野の狭さと感性の浅さが怖いし、
「みんな結局同じなんだよ」ということを知らない人は、一人一人が貴方にないものを持っているし逆も然りで、その中で何を選択するかである、
ということを知ろうとしないその盲信的な姿勢が怖い。

ここまで書くと分かっていただけるのではないか。
誰かに向けた「怖い」とは ≒ 嫌い
なのではないか、と。

いや、というか、「怖い」と言いつつも
実際の心の内は「怖いし、嫌い」
なのではないか。
(なんなら私は先述の文章で「怖い」と書きつつ嫌いと読んでいた)

「怖い」とは、
自分の基盤となるものや大切なことを
悪気無く雑に蔑ろにして来そうな人に抱く感情である。
よって、怖い≒嫌い
であるのは当然と言ったら当然であろう。
自分の存在を脅かすものなのだから。

「怖い」はズルい

じゃあ何が気に入らないのか?
私だって自分の"大切"を踏み躙る人に「怖い」という感情を抱いているのだ。嫌いと読みつつ、「怖い」という単語から連想したのは確かだ。
それはつまり、冒頭の"邪悪な怖い"と同じなのではないか?
そう思う方もいるだろう。
しかしここはしかと否定したい。

断じて違う。と

「怖い」と感じることは問題ないのだ。何を感じようとその人の自由であるし、それは誰に咎められていいものではない。
問題は、「あの人怖いよね」と口にすること、周囲に吹聴することなのだ。

これには「怖い」という言葉が持つ性質も関わっている。

「怖い」という言葉は便利だ。
その一言だけで自身を弱者に見立てることができる。
虐められている側になることができる。自分は冷静で相手がイカれてる、相手は異端だ、という構図を作ることができる。

つまり、誰かを「怖い」と口にすることは、
「怖い」という可愛らしい仮面を被せた悪意
なのである。
安全な場所から後ろ指をさす、
そんな行為なのである。

自身を弱者に見せているのにも関わらず、
攻撃的な意図を持ち相手を蹴落とさんとするそのあさましさ、
それに私は怒りを覚えるのだ。

貴方の感情は貴方だけのものだから、
その感情にはきちんと責任を持ってほしい。

その怖さを受け入れて、強く生きて欲しいなんて事は言わない。
人間に対して怖いと感じたら、
少し立ち止まって、嫌い、ウザいに変換してみてほしい、なんてことも言わない。
(私が感じる人間に対する「怖い」は、秒で嫌いに変換してしまうが、それはそれで如何なものかとは自分でも思うので、本当にやらなくていいと思う。)

ただせめて、
怖くていいから、
誰かのせいになんてしないで欲しい。

自分を可哀想な子にして、
誰かを悪者にしないでほしい。

それってすごくズルくてダサいから。

ハァ。また怒るnoteを書いてしまった。
怒りこそモチベーションだし苦しみこそ表現の根幹だ、
というのは私が勝手に考えた言葉でありつつ、自身の大切なキーワードの内の一つだ。
でも、そろそろ怒ってない話も書きたいな。
あとは物語、若しくは憑依。

悪意のある「あの人怖い」がこの世から根絶する事を願って。

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