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罪と罰

2021年12月。岸田政権下で死刑が執行された。執行は一昨年以来のこと。

死刑制度は世界的にみると少なくなっているという。特に欧州は皆廃止してるし、OECD加盟国いわゆる先進国と呼ばれる中で通常の死刑制度があるのは日本と米国と韓国ぐらいだと言われている。ただ駆け込みで死刑にサインしたトランプのように共和党は制度を肯定しているがバイデンはそもそも死刑廃止が公約だったし、実際にいまは停止している。韓国も制度はあるものの事実上廃止しているという中でもはや制度を堅持し、実際に執行しているのは先進国の中では日本ぐらいということになった。中東やアジアではまだ多いし、中国は世界最大の死刑執行国だという噂もあるので日本だけが飛び抜けているわけではないが世界の潮流からは完全にはずれているとは言えると思う。その最大の理由は日本では死刑を容認する声が高いということだ。

日本には「死んでお詫びをする文化がある」と言ったのは森山法相だったと思うけど、それが文化というのはどうかと思うがそういう思想の元になるものはあるのかもしれない。武家社会での切腹は到底外国人には理解できないと思うし。

以前、報道にいるときに死刑制度を特集で取り上げたことがある。死刑判決を受けたけど冤罪ということがわかり釈放された方を取材し、また、ある凶悪事件の生き残りとなった方のインタビューをし、当時まだ20代の血気盛んな自分としてはこれで世に物を問うくらいの意気込みで取材したことを覚えている。冤罪だった方とはもしも死刑が執行されていたら会うことすらできなかったわけで、一瞬にして人の命を奪う行為の罪深さを知った。人の命を奪うのは悪だから罰として人の命を奪うというのが当時どうしても理解できなかったのだ。背中を押したのは死者数名出した凶悪放火事件の被害者の方のコメントだった。全身火傷を負いながらも犯人の死刑を望んでいなかったことに衝撃を受けた。西鉄バスジャック事件で犯人の少年に包丁で殺されかけ、顔に一生残る大きな傷を残した女性も、その後犯人と面会するなどして生きて罪を償うことを祈ってたが、そこに至る心情を想うに壮絶な葛藤があったのではと思わされた。

と、僕はなかばヒロイズムというか社会的使命だと思ってその特集をつくっていたのだが、コンビを組む構成作家が打ち合わせの途中にぽつりとこう呟いた。

「お前は凶悪犯罪の当事者じゃないからわからないんだ。俺は親族が巻き込まれた経験がある。犯人は今でも死んで罪を償うべきだと思ってるよ。お前も身内が殺されてもそんな綺麗事を言えるのか?」

痛烈だった。細かいところは覚えてないが、それでもこれはやるべき価値のある仕事なんだからプロとして最後まできちんと手伝ってくれ、ぐらいのことは言ったと思う。ただ、彼の言葉は重かった。

日本は先進国の中で唯一の死刑存続国になる可能性もある。はたして日本はそういう文化だからそれでいいのだ、と独自のスタンスをとり続けるのがいいのか、あるいは世界の潮流に従い、死刑制度を廃止するのがいいのか、きちんと議論した方がいいテーマだと思う。死刑制度は凶悪犯罪の抑止力にならないどころか、昨今では人生に嫌気がさし死刑になりたいから犯罪をおこしたとコメントする凶悪犯も1人や2人ではない。また、冤罪の可能性はどこまでいってもあるし、そもそも国家が命令して人の命を奪うことはナチスによるユダヤ人殲滅のホロコーストと同じではないかという意見もある。一方で、遺族感情からしても事件の凶悪性から鑑みても死刑以外にあり得ないという事件があるのも事実だとは思う。それを心神耗弱だからと免れる人がいることも受容できないという感情論もわからないではない。

だからこそ国民全体で考えるべきテーマなんだと思う。そのうえで「世界でなんと言われようがこれこそ私たち日本人が考える最高の制度です」と国民のほとんどが胸を張って言えるのであればそれはそれで民主主義国家としては仕方ないのかもしれないから。

ネットニュースで今回の刑執行が報じられるとコメントの多くが「早くやれよ」「すぐ死刑にしないで毎日恐怖を与えてからやるべきだった」「どれが正解ボタンかわからないで一般参加させれば盛り上がるのに」などほとんど現実感のないおふざけ満載で無責任な意見があふれかえっていた。死刑制度の是非を問う前にそもそもこの国のこんな野次馬たちの期待に応えるためだけに執行されていいのかとすら思えたことだけは最後に書いておきたい。

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