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聴覚過敏


先日、記事の中で「私は子どもの甲高い声が辛い。」と書いた。

生活の中で苦手な音が他にも結構ある。

例えば、
・家人がタンスの引き出しを開け閉めする
 ビシバシという音。
・家人の大きな声。
・家人のスリッパがバタバタいう音。
 家人=夫😁
・近所の人が朝5時から開ける雨戸の音。
・他の近所の人が出すガラス瓶の擦れる音。
・近くの家から聞こえてくる食器洗いの
 ガシャガシャいう音。
・車のドアを閉める大きな音。
・地下鉄🚇の金属音。

もっとある。

私は車の運転が好きで、「サーキットに行って爆速で走行する車の音の大きさが苦手ながらも「サーキットに来た!」って実感できてワクワクする。」という矛盾を持っている🤯
ところが、近所のおじさんが古いクルマを空ぶかしする音は嫌いだ。「大切にしてるみたいだけれど、空ぶかしするくらいなら乗ってあげて〜😮‍💨と思っている。
かたや、私がテレビでスポーツの試合⛹️を応援する時はついつい興奮して大きな声が出てしまう。

こうやって書き出してみると、どうやら苦手な音には私の何らかの感情が乗っかっているみたいだ。

単純に、このマフラーの音はどこそこのメーカーの◯◯っていうバイク🏍️と聞き分けることもできるのだが、大きな音に対して不快感を持っているみたいだ。それは自分が不快だから嫌🤢というだけではない。

   大きな音を出す人に対する不快感?

・毎朝5時に開く雨戸の音で急に起こされてしま
 う。
・深夜に家の外にある分別ゴミ箱に瓶を入れる音
 で起こされてしまう。
・タンスの引き出しをバタバタ開けたり閉めたり
 する音は階下にまで聞こえる。
・食器の擦れる音が聞こえるってことはその作業
 中、窓全開なんだ😳とか。


大きな音の持ち主は大らかな人々という解釈もできるが、「どんな人?」なんて想像してしまったり。
私にとってそれらの音は苦痛だ。私を単に神経質な人間なんだと片付けることもできるが、私には

「自分のペースを乱される」、
「自分の世界に入ってこられる」感覚もする。

一方で、そんなに周りを気にしないで自由に振る舞える人って羨ましいとも思うし、みんなは自分が人に与える影響力を知らないんだとも思う。

投影の法則によれば、
「私は自分に自由に振る舞うことを許していいし、
人に影響を与えることができる。」ってこと?

こんなに音を気にするようになったのは、高3の時に過敏性大腸症候群になった経験が大きいと思う。
先生の話しの最中、静寂な教室に「ぐう〜。」と、私のお腹の音が鳴り響き、
「お腹も空いてきた頃だから、これで終わりにします。」と、言われた😓
この時、「なんて大きなお腹の音😳」と思った人以外に「長い話しが終わってよかった☺️」と思った人はいたのかな?
私は「これ、お腹すいたわけじゃないんす。」と思ってました。恥ずかしかったぁ😣

あと、悪口🤬を言われたこともあったから、人の声に敏感なのはその頃の心の痛みがまだ残っているんでしょうか?🥺

こんな調子なので外にはあまり出かけない。
出かけたとしても、車での移動なら好きな音楽が好みの音量で聴けるし、自然が奏でる音は大好きだ🦉生活の中にある自然の音が大きな生活音にかき消されてしまうのも寂しい。

もっと自分の住環境の拘りに合ったところに住みたいなぁ。ぽつんと一軒家?

        「自分を知る」シリーズ 続く

※  最後までお読みいただきありがとうございます🍀



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