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元気なことはいいけれど

私には子どもが3人いる。あと半年で全員成人だ。長女と長男、次男。それぞれ3・2才違い。だから、小さい時には遊びに連れていくのに苦心した。

それは近所の運動公園だったり、車で行く少し離れた芝生広場だったり、海辺だったり。全員の時もあったし、自転車3台で男の子だけ連れて行ったり。

ボール⚽️遊び、水遊び⛲️、プール🏊‍♂️、バトミントン🏸、縄跳び、虫取り🦗etc.

「何故そんなに遊びに連れて行ったか?」
子どもにリクエストされたり、自分の気分転換だったり。でも1番大きいのは子どもの時、もっと親に遊びに連れて行って欲しかったからかな。そうしたい気持ちもあったし、そうするもんだと思っていたところもある。

ところが、ご近所さんは違った。今ではその子たちは少し大きくなっているけれど、幼稚園児の頃から毎日、家の前で遊んでいた。毎日、毎日、家の前。近所に公園が2ヶ所と大きな運動公園だってある。それでも家の前で遊んでいる。

もうそれは、私にはその子たちがそこで遊ぶように言われてそうしているようにしか見えなかった。なんだか胸の内がざわざわしていた。過去の私が子どもながらに寂しかった思いが刺激されたのかもしれない。

そんな思いとは別に、私は困っていた。常時、6人ほどの女の子たちの甲高い声や時には奇声が家の中まで聞こえてくる。窓も開けられないし、音は2階にいるほどひどく響いたので2階には居られなかった。住宅がこの字に並んでいる真ん中に集まって遊んでいたので音が反響していた。それが1時間も2時間も続く。

放課後の時間になると、緊張が走る。予期不安というやつだ。「また、騒々しくなるかもしれない。」と。「こんな風に思う自分は心が狭いのだろうか?」とか、色々考えた。

用事をその時間帯にするように出かけたりした。車を駐車する時にも神経を使った。「急に死角から飛び出してきた隣人の子供を轢いてしまわないか?」と。一度は出かける時に危うくぶつかりそうになった💦

子どもを道路で遊ばせている親に腹が立っていた。家庭の色々な事情にせよ、見守りもしないで無責任な💢と。

我慢も限界に達し、色々とこちらも対処しなければならなかった。直接話すほど仲良くないし、あっちは仲良し集団だ。言葉は時に暴走するから言葉では伝えない方がいい。そう判断した私はある日シャッターを閉めた。まだ日は高い。そうでもしないと落ち着かなくて、また奇声がすると思うと居ても立っても居られなくて。

ある時は音を音で消すという方法にもでた。換気扇を回すと少しは気にならなくなる。テレビの音もいつもより大きくした。それでも、察してもらえることはない。当然だ。

で、何かの時、隣人のこの人ならわかってくれると思う人に伝えた。「私、聴覚過敏なんで、お子さんたちの声が辛い時はシャッターを閉めさせてもらいますね。」と。

その後、少しは静かな時間ができた。でも、そんなに人が変わるはずもなく3歩進んで2歩下がる的な変化だ。コロナ禍。息子は大学の授業をリモートで受けていた。

「近所で同じ思いの人はいないのか?」と思っていたある日、「うるさ〜い💢」と裏手で男性の声がした。「あっ!そうだよね〜。やっぱりうるさいよね〜。」私は救われた。

「黙っている人が困っていない人だとでも思っているのだろうか?」ずっとそう思っていた。「想像力の欠如って恐ろしい。」と。でも、怒ってくれたその人はまもなく引っ越してしまった。

4年ほどの間、耐えに耐え、今は平穏な日常を手に入れた。子どもたちの親と仲の良い人に無視されたりしていたけど、心当たりはない。この頃は向こうから挨拶してくれる。やれやれ😥

コロナ禍で自粛していた間、どこの子どもたちも出かける機会が減ったと思う。スクールカウンセラーが「コロナ禍で子どもたちが落ち着いている。」と言っていた。そんな功名もあったのだと知った。「頑張りすぎたのかなぁ?私。」この出来事はそのことを教えてくれたのかな?

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