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夏ですね

 もうじき通院なのだが、精神科に通院を始めてから初めて処方薬を飲み切らずにその日を迎えられそうなことに気がついた。
 いま現在自分が貰っている薬はデパスとリボトリールとデエビゴ。デパスとリボトリールはあと僅かしかないが、それでも全てが残っている。

 二年前から通院を始め、試行錯誤しながらこの処方が最適だという結論に至ったわけであり、そうなればあとは生活習慣と社会性さえ改善してしまえば自分は真っ当な健常者になる。
 なれるものならなりたいとも。しかし、百歩譲って規則正しい生活習慣を強要されたとしても、自分は絶対に社会性を身につけることができない。これはその頃から今に至るまでだって自明の理である。
 薬があれば社会性を損なわずにいられるという人も世の中には多いだろうが、そもそもからして自分は、薬があろうとなかろうと社会性なんてものがない。そんなこと、ODを始めるより前から仕事で適応障害により病んでいたのだから、もはや自他共に認めなければならない。

 ちらほらと、地元のあいつに子供ができただのという話が耳に入ってくるがそれがなんだという所感。自分は自分で、人間だ。他人の生き方によって自分の芯を曲げるのは動物のすることだ。

 もういらないよ。23歳なんてまだ若いとか、そういうのはいいよ。自分は社会に適応できないんだ。
 家に籠って、それでこうして駄文を綴り、時に他のことをして、それをインターネットを通じてこのように発信し続けられていればそれでいい。

 生きる理由が見つからないな。何かを成したいのはみんなそうだとして、それ以上に何を望むのかというところ。
 自分はなんだかこの底辺の生活に満足しているのかもしれない。でもいいさ、楽しければなんだって。
 二年前の夏は、東京から宮城に戻ってきて、そこでもかなりの大騒動を起こしたっけ。まだまだあの時は何もないのにふいに精神を病んだりしていて、お金もないのにその度にODをし、また親に縋り怒られ、そして病む。
 そんな時に一人で行った夏の水族館はとても綺麗だったな。そこで年間パスポートを買って気が向いた時に何度も水族館に通ったとも。

 今は、何もしたくない。健常でも異常でもどっちでもない。無。ただ無。
 このぼーっとしている時間を何に使おうと考えるも何も思いつかない。だからこそこうして文字を打っているわけだけども。
 気持ちはあるのに体が動かないという状況。
 もしくは、考えることだけはできるけどそれをアウトプットすることができない。これだ。

 過去の人間関係とか色々思い出すけど、自分はなにかと整理整頓する性分で、部屋も普通に綺麗だし、LINEの友達だってもう関わらないなと思った人は削除する。だから自分は友達が少ない。今も整理をしたいものだ。

 とても身勝手だろう。だがそれでいい。命さえあればいい。臭いものには蓋をして逃げろ。
 ああ、夏の光が苦手だ。もうあまりカーテンは開けたくない。
 海に行きたい、夏に、でも人混みが嫌だな。日傘をさして行きたいな。
 そもそも夏が好きじゃないけれど、てか夏にイラついてきた夏ってなんなんだよヒマナッツか?あ?死ねよ。

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