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くあちるを生み出した初恋の元恋人へ

 もう自分はダメなんだ。
 もちろん、新しい部屋での生活は楽しみであるし、確実に言えるのは去年よりも配信活動をする頻度が格段に上がるということだ。
 くあちるには何を求められている? 自分には何がやれる? もしもみんなの期待に添えられなかったらくあちるはどうなってしまうのだろうか。ここでも生活すらも成り立たせられなくなったのならば、自分に待ち受けるのは再び最悪の選択肢である実家への強制送還であろう。

 社会不適合は今に始まった話でもない。専門学生、18歳の頃にはスーパーでアルバイトをしていて、それが最後にしたまともな勤労かもしれない。それがもう3年も前の話になる。
 さてこの3年間で自分は、声優の専門学校を1年で中退し、東京の大手声優事務所の養成所に通い、進級審査に不合格となり、そこから他の養成所に身を移したものの3ヶ月ほど通って、結局声優という夢そのものを諦めたのだ。
 それもこれも、「無垢な自分」を「病みのくあちる」へと変貌させた幼馴染との恋愛に起因する。

 自分と幼馴染の出身は宮城県で、幼稚園も小学校も中学校も高校まで同じであった。自分の初恋は幼稚園の時で、無論相手はその幼馴染であった。
 幼馴染に対して終始恋していたわけではなく、何度か興味の対象外であった時期もあった。
 しかし高校生の頃、何度目かの恋を幼馴染にした。そしてなんとか告白までしたのだが「君とは友達でいたい」という、(そもそも友達でいることすら嫌だったはずなのに)そのような遠回しな断られ方をされた。

 それから高校を卒業した自分は仙台で声優の専門学校へ入学。幼馴染は東京にある動物関係の専門学校に入っていた。
 2年制の学校であったのだが、あまりにも強い向上心を抑えきれないという理由で自分は学校を1年で自主退学した。その時には既に東京の大手声優事務所の養成所の入所オーディションには合格していたのだ。
 自分は幼馴染が東京にいるというのを知っていた。だがその時から気にかけていたわけではなく、あるレッスンで「記憶の中で最も印象的な人物を想起する」というものがあり、自分の目の前に幻覚のように現れたのは、幼馴染だったのだ。
 この時に心臓がドクンと痛みを訴えてきた。まさかお前はまだあの人のことが好きなのか、と。もちろん好きだった。なにせ幼少期からよく遊んで、バレンタインには手作りチョコをもらってホワイトデーでお返しをしたり、机の中に手紙を入れて文通をしてみたり、お互いの家に遊びに行ってはゲームをしたり外で体を動かして遊んだりと、様々な事を共にしてきたのだ。
 しかし高校生での段階では告白を受け入れてもらえなかったという事実があることから、既にこの時点で幼馴染にとって自分は「昔は仲をよくしてたけど今はなんとも思っていない」そのような印象だったことだろう。

 話を戻すが、晴れて東京の大手声優事務所の養成所に合格した自分は上京した。
 当時はまだ診断こそされていなかったが幾度も適応障害に苛まれながらも切磋琢磨していた。
 養成所生時代の冬に前述したレッスンがあり、なんと都合の良いことかちょうど成人式の人集めのためのLINEグループがかつての同級生によって作成されており、メンバー一覧を見ていると意外なことに幼馴染がそこに属していたのだ。
 昔から見ていたから知っているが、あの人は自己主張も集団行動も苦手な、典型的なコミュ障だとばかり思っていた。学校でも決まった数人の女子としか話さなくて、その時にしか笑顔を見せなかったほどだし。それだから、このようなグループに名を連ねていたのは衝撃を受けた。

 自分は親からの情報でその幼馴染も東京にいるということはあらかじめ知っていた。そしてその時期に先程の「記憶の中で最も印象的な人物を想起する」というレッスンの際に彼女が表れてきてしまい、愚かにも自分はその幻想に恋をしてしまったのだ。ここで人生が大きく変わったと自分では思う。
 まるで何かに仕組まれていたかのように自分は同級生のメンバー一覧から幼馴染を友達追加して、それとなく「久しぶり。元気だった?」などと送信したような憶えがある。
 こうして、高校の頃にもLINEはしていたが内容があまりにも目も当てられないカスのような会話だった。それを踏まえて慎重に、1日に1通しか返信の来ないLINEのためにあーだこーだと言いながら幼馴染との新たな触れ合い方について毎日頭を抱えざるを得なかった。

 なぜこんなことをしなければならないのかと言うと、まず幼馴染はどういうわけかLINEを1日に1回しか返してくれない上に、ようやく返ってきた言葉も長文でまとめて応えてくれるわけでなく、無愛想な空返事だけだったのであった。

 東京で再開した時には「すみっコぐらしコラボカフェ」が原宿で開催されていて、男一人で行くのもなんだから唯一東京にいる女友達のあなたと行きたいと誘ったのは憶えている。
 その日は14時に原宿に集まって、コラボカフェの予約は夕方からだったのでそれまで2人で駅前の猫カフェに滞在することに。なんとその時間、3時間。こんなに長い時間、いくら大好きな猫がいたとはいえ、幼馴染ももしかしたら心底退屈に感じていたのかもしれない。なにせその場に3時間もいたのだから。実際、自分も途中から退屈しかけていた。

 肝は猫カフェでもコラボカフェでもない。自分はこの日、幼馴染に告白をする腹だった。
 すっかり空が夜の黒一色になった頃、原宿にある東郷神社に行きたいという自分の要望に幼馴染は着いてきてくれた。都心だというのに全く人の気配がしないこの神社の小さな橋で、「高校の時に振られたけれど、やっぱり自分は君が好きだ」とのたうち回る心臓を抑えながら、そう口から溢した。
 しばしの沈黙が秋の冷え込んだ空気をさらに寒いものにしていた。
 どうにも答えに窮していた様子であったのは見て明らかだったので「心が決まったら直接返事をしてほしい」と自分は伝えて、返事は保留にした。

 翌る日から、自分と幼馴染のLINEではペットや動物の話が始まった。これまで散々語ってきたことだが、幼馴染はLINEを1日に1通しか返信してくれないという大偏屈者であり、1つの話題を数日かけて遂行しなければならず、本当にしたい話がまるでできなかったのだ。
 このような退屈で苦しいやり取りを1年弱続け、コロナが少し落ち着いた2021年11月の月末に2人で浅草へ遊びに行った。
 朝の10時に集合という約束をこちらで決めてしまったのだが、この時は女性の身支度のことなど失念していて、こんな早い時間に来させてしまったことを自分は後悔してしまったのであった。これは大きな失敗であったと今となって反省している。
 神社を見て、おみくじを引き、近場の店で買い食いをして、そして夕暮れはあっという間に訪れた。
 幼馴染が住まわせてもらっているいとこの家の門限の都合上この時間には帰らなければならないとのことであり、五反田まで送るよと言い、そこから幼馴染の住んでいる家の方へと共に歩く。

 お忘れではないだろうか。この時点で原宿での告白から12ヶ月が経とうとしていた。もうそろそろ返事がほしいと願っていた自分は「あの、例の件だけど……」と切り出した。「…………いいよ」。
 耳を疑った。なんと告白は成功。約1年もかけて念願の恋が実ったのだった。あまりに嬉しくて道端で泣き出しそうになってしまうほどに。
 それが一体、何日の出来事だったかまではもう何も憶えていない。彼女を家に送ってから、恋愛相談に乗ってくれていた母にすぐに電話をして、幼馴染と付き合い始めたことを報告した。
 当然のように母も大喜びで、当人である自分よりも舞い上がっていたように思えたほどだ。

 12月初旬、自分は、声優だなどというあまりにも無謀すぎた夢は完全に諦め、これまで何があっても避けたかった就職に乗り出した。これも彼女との未来のためであった。面接は無事に合格し、翌年2022年の1月から、まずはアルバイトとして働くことに。
 初めは楽しかった。少し嫌なことがあっても彼女の顔や声を思い出せば何でも乗り越えられた。

 11月末に交際を始めた自分と幼馴染。
 もうみなさんならば結論はおわかりでしょう。そう、この幸せの絶頂は1ヶ月程度で破滅してしまった。スマホのカレンダーに『1ヶ月記念日』とまで書いておいたのに、その直前に別れたいと言われた虚しさは、そう、自分の内側のドス黒い感情や希死念慮を凝集して結果として「くあちる」という邪悪なる存在を作り出す種火となった。

 時に、好きではなかった時期もあれど、幼稚園から高校まで同じ道を歩んできたわけで、自分はそれを大層「運命」に近しい何かだとでも言いたげだったが、一方の彼女は「小さい頃から君には気を遣ってきた」と、血も涙もない非情で冷徹な物言いをしてきたのであった。
 あの頃の思い出が、あの笑顔が、あの手紙もチョコレートさえも、全てが嘘だったのだ。どうあっても信じたくなかった。しかし、こんなもの別れるための方便に過ぎないだろうと思いたかった。
 果てには「蛙化現象」という、当時ではまだ一般に普及していない意味不明な逃げの言葉を用いて、彼女は自分にトドメを刺した。

 しかしそんな事で長い時間をかけてようやく掴んだ幸福を手放すのは誰だってしたくない。なので自分は「きちんと直接話し合いたい。そうじゃなければ納得できない」とLINEを送り、それから1週間の未読無視の果てにようやく返ってきた言葉は「ごめんなさい」の一言のみ。
 これには完全なる砂糖対応をしていた自分も憤慨し、示し合わせたかのようなタイミングで発売された『NEEDY GIRL OVERDOSE』で気分を誤魔化すべく一心不乱にプレイした。
 それでどうだろう。相変わらず心の痛みは癒えないものの、あめちゃん・超てんちゃんという、今の自分にとって最も必要であった愛のあるキャラクターを目の当たりにして自分は僅かに救済された。ゲーム内に数種類の薬が登場するが、その名前でGoogleで検索をかけると元ネタの市販薬が簡単にヒットし、自分は渋谷でのアルバイト終わりにドラッグストアに立ち寄り、その例の市販薬を恐る恐る購入した。こんなものが1650円だなんて信じられない、とは思いながらもこれで鬱が晴れるなら、藁にもすがる思いで飲んでみるべきだろうと思っていた。

 酒を開封し、薬瓶の蓋も開ける。半透明のシートを外し、無知であったので初めは半分でいいだろうと42錠の薬を酒と共に流し込んだ。
 横になりTwitterを見ていると、明らかに脳が狂い始める。そして時間が経ち、朝日が登ってくる頃、カーテンの隙間から漏れ出た陽光を浴びながら自分はベッドの上で静かに泣いていた。自分は捨てられたのだ。あの人にとって自分は道端の石ころでしかなかったのだ。大切に思っていたのはこっちだけで、幼馴染はこちらに対して何の感情も持っていなかった。所詮、彼女は自分と情けで恋愛ごっこをしてくれていただけなのだ。と。

 自分は死ぬつもりでいた。
 しかし、せっかく死ぬのならインターネットにでも巨大な爪痕を遺しておきたいと思い、YouTubeで配信活動を開始した。これの誤算は、自分の想定よりもくあちるがいい意味で注目されてしまったことである。
 正直なところ、YouTubeでの配信もうまくいかなくて、最後の砦であるTwitterでさえも橋にも棒にもかからないのであればどこかでひっそり死のうと本気で思っていた。
 だから、現在のくあちるが在るのはフォロワー全員の功績なのだ。絶望の底にいたこんな自分にたくさんの人が手を差し伸べてくれた。こればかりは本当に感謝しても仕切れない。が、それならば、延命してしまったのならば今度は自分がメンヘラたちに恩返しをする番であって然るべきなのだ。

 大層な物を送るわけではない。その恩返しは行動で返すのです。かつてメンヘラがくあちるを救ってくれたように、今度はくあちるがメンヘラを救い出すのです。これこそが自分──くあちるの存在意義なのだと主張します。
 100人いて100人の病気を寛解させるというのはまず不可能です。(闘病垢の方には大変申し訳ないけれど)そもそも病気は寛解する必要はない。メンヘラが自分を見つめ直すのに必要なのは、
①自分の病気や欲求の理解。
②自分に合う処方薬探し。
③市販薬を買うより、同じ値段で美味しい料理を食べる。
等が挙げられる。あくまでくあちるの自論ですので参考程度に捉えてくださると幸いです。

 もう、あれから2年になる。
 自分が幼馴染から別れ話を切り出されたのは実はちょうどこのタイミングだった。
 忘れもしない。あれは自分が我慢ならなくて病みLINE(要約:もっとかまって)を送信した後に妙に早い返信があった。そこには「それじゃあ別れる?」とだけ。
 はじめは趣味の悪い冗談だと思ったけれど、あの人に限ってそんな冗談は言わないだろうというのは自分がよく知っていた。それでも嘘だと思いたかった。
 すぐに自分は謝罪を重ね、どうかあなた好みの人になるから見捨てないでください。と懇願したが、どうにも既に好感度は底を尽きてしまっていたようだった。
 それから1週間の未読無視が始まり、自分も自分で軽い離人症に苛まれながら、どんな気持ちでいれば良いのかわからないまま仕事に取り組んでいた。

 どうして幼馴染は、過去に一度振った相手に再度告白されてそれを認めたのだろう。
 自分は「何か嫌なことがあったらすぐ直すからなんでも言って」と伝えていた。
 一度、愛情表現が重いと指摘されたことがあった。それなら、1日に1通LINEを返信するのが彼女にとって最適な距離感だとでも言うのだろうか。こちらから話題を振らなければ何も喋ってくれなかったくせに。
 私は追う側の人間で、追われる側の気持ちがよくわからなかったとも言われた。そんなに追われる側は苦痛だったか。それならば一生、理想の男の尻を追い続けるがいいさ。他者に従僕する負け犬め。

 あなたとは、きっともう二度と関わることはないでしょうね。
 自分は別にそれで構わないし、あなたも同じ気持ちでしょう。

 確かにあなたはとても愛らしい顔と声をしている。自分はそれが何よりも大好きだった。
 しかしあなたはその持ちうる才を、自分が理想とする他者に貢ぐ道を歩みたかったのですね。
 それも良い判断なのでしょう。たとえ追いかけた男に粗暴な扱いを受けようとも、過去のあなたはくあちるの愛情をないがしろにし、破局を望んだ。

 もう自分──くあちるはあなたとは関わりたくない。
 くあちるという存在を作り出した功績こそ大したものなのでしょうが、あなたはそんな不安定なくあちるを支えることよりも、社会的にもっと強い力を持つ男に惹かれた。ただそれだけの話。初めから愛なんて無かったんだ、この面食い守銭奴めが。

 学生の頃のあなたは成績がとても良かったと記憶している。
 高校生の頃、実は裏垢を持っていて、フォロワーが2500人もいたということはクラスの半数が知っていた。
 自分も好奇心でそのアカウントを見てみたことがある。散々動物の話をしたのに、最後まであなたは実家で猫を飼い始めていたということを頑なに教えてくれなかったね。
 バレンタインが近くなった時にクッキーを焼いていたのも憶えている。あんな閉鎖的な田舎で恋人などいる気配が無かったから、きっとどこか遠い地にいたインターネットの恋人(笑)のためにでも焼いたのでしょうね。
 さぞ幸せだったことでしょう。教室では常に無表情で、話しかけられることを嫌うような素振りを見せていたのですから。思うに人付き合いが苦手だったのですよね。

 自分はそんなあなたを許したくない。
 学生時代ならまだしも、大人になってまで、一体何にそこまで人生を縛られているのかは不明ですが、確かにあなたは可愛らしい女の子なのだが、その薄情さと告白を受け入れたくせにその後の関係が一切進展しなかった点においてはこの心の古傷が忘れることはない。

 追われる側が嫌ならば、ずっとずっと、これから先も追う側でいつづければいいさ。
 そのような「追う」「追われる」などというしょうもなく退屈な恋愛においての固定観念を持ち続けている限りあなたに本当の幸せはきっと訪れない。否、訪れないでほしい。
 これ以上なく幼稚ですね。
 きっと「両想い」という概念を知らないのでしょう。ああ、かわいそうに。
 他人がメンヘラなのではなく、あなたが薄情すぎるということにさえ、最後まで気がつくことはないのでしょう。
 短い夢だった。ありがとう。

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