この平凡な世界で

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星野源さんの「うちで踊ろう」という曲に感化されて、書きました。
この曲のおかげで前向きな気持ちが少し戻りました。この事態がいち早く収束することを、気兼ねなく「いつ会える?」と友人にLINEが送れる日が来ることを、心から祈ります。

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この平凡な世界で、踊ろう

22:50
「次、いつ会えるかな」
この台詞はやはり打ってはいけないような気がした。私の周りも、私の国の人も、いや世界中の誰もが思っていて、でも言ってしまったら非難されるような、不安の吐露。このご時世、どんなに天気が良くても不要不急の外出は控えるべきであり、娯楽はもちろん外食も憚られる。ましてや送ろうとしている相手は、家族ではなく大学時代の親友。世間から見れば「不要不急」な存在。仮に世界が呆れるほど平和だったとしても異性にこんな文面を送るなんて、情緒不安定な女に思われても仕方がない。私の親指は何分も画面の上で固まり、ようやく右側の青い送信ボタンを押した。

23:01
「次、いつ会えるかわかんないよね」
緑の吹き出しの中の、寂しい自己完結。こんな情けない感情に既読なんてつかない方がいいと思った。ずっと家の中にいたから目立って汚れてもないだろうに、お風呂に入ればこの気持ちも多少はましになる気がした。

0:00
親友、というのは便利な言葉だと思う。一人一人定義は違うけど、その2文字だけで普通の知り合いや友達よりはお互いの仲が深くて、信頼している関係性であることを誰もが察せるから。とはいえ私たち、センと私は一般的な「親友」よりは歪だと思う。縦糸と横糸が重なる織物というよりは、同じ磁石のS極とN極に近い。性格や考えは基本的に正反対で、些細な会話は喧嘩調になりがちだ。それでもお互いそのまま離れないのは、時々抱く「同じだ」という安心感からだと思う。例えば、何千人もいる大学の同期の中で、同じサークルと専攻を選択したところ。例えば、夜の大学の図書館でばったり会った時。徹夜明けの朝、研究室の部屋がある廊下で同じように疲れた顔して挨拶した時。心ない発言をした友人に対して「あれは良くない」と思えた感覚。私たちがは頑張ろうとするターゲットというか、力がみなぎる心の根源が近いのだと思う。だから私が卒業して社会人2年目になって、センが大学院に進学しても、頻繁ではないにせよなんとなく連絡を取っては会っていたのだろう。
ドライヤーで髪の毛を乾かしながら、その「なんとなく」は平凡すぎる日常の上に成り立っていたのだなと思った。今私が生きている世界は平凡が家の中だけに取り残されていて、一歩踏み出したら全く通用しない。大事な親友だからこそ、センにその平凡を押し付けたくなかった。
寝る前にどうしてもLINEが気になった。既読はついていたが、センからの返信はなかった。それでいいんだと思う自分と、センからの答えが欲しい自分がいた。

7:32
最近花粉で目を開けるのが辛い。洗面台に駆け込み、顔を洗ってからスマホを確認する。通知欄は案の定迷惑メールばかりだった。指を滑らせていると、一件のLINEの通知があった。ケイからだった。
「ビデオ通話とかだったら、今でも会えるんじゃない」
昨日までの不安が杞憂だったかのような、明快な返事だった。センなりに考えて、画面越しにでも会おうとしてくれた決断が嬉しかった。

7:35
「夜でも良ければ、今週いつでもいいよ。センは?」

9:05
「俺はいつでもいい」

10:01
「じゃあ今日がいい」

10:37
「おっけ」

11:03
「ありがとう、センの都合良くなったら電話ちょうだい」

18:05
「もしもし、ナオ?」
電話越しから聞くセンの声は、いつもより低かった。画面付きでと頼んだら、いつも通りにボサボサの髪でジャージ姿のセンがいた。そういえば、センの家に行ったのはもう2年前が最後だったが、それから家具が増えている様子もなかった。何も変わってないセンとセンの部屋。
「久しぶり、元気だった?」
変わらないことが、嬉しかった。

そこから私たちは、画面越しでの平凡な世界を謳歌した。まるでいつもの居酒屋での私たちのようだった。居酒屋のお通しがなぜか苦手なセンにとっては、自分の近くにお気に入りのスルメを置けていたし、お酒が苦手な私にとっては、作り置きの麦茶を存分に飲めた。隣の席のカップルの喧嘩、大学生のうるさいコンパのかけ声、帰り道にダル絡みする酔ったサラリーマンがいない私たちだけの世界は、確かに異様かもしれないが、平凡上等だと言えるくらい安堵で広がっていた。目の前にこそいないけど、同じ温度で話が弾み、同じ温度で笑っていた。
突然、センの部屋から聴いたことがある曲が流れた。よくよく聴くと、私が好きなアーティストの曲だった。
「セン、この曲好きなの?」
「うん、そうだよ」
「私も、よく聞くの」
そうなの? そういえばナオの音楽の趣味知らなかったわ、と言われた。その話題の初々しさに吹き出してしまった。知り合って6年も経つのに、まだ知らないことがあるなんて。このうずうずした気持ちは画面越しではどうにも消化しきれない。でもいつか直接会えた時にこの曲について話せたら、目の前で同じ気持ちの熱を感じることができたら、もっと楽しいのだろう。その時までは画面越しで、いつでも繋がろう。いつでも会おう。そう思えるだけで、自分の不安が少しなくなっていくような気がした。

「じゃあ、またね」
「うん、また」
この「また」が、すぐに来ますように。平凡な世界が、外にも戻ってきますように。

通話時間 1:48:28

fin

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星野源さんの”うちで踊ろう”の歌詞です。

たまに重なり合うよな 僕ら
扉閉じれば 明日が生まれるなら
遊ぼう 一緒に

うちで踊ろう ひとり踊ろう
変わらぬ鼓動 弾ませろよ
生きて踊ろう 僕らそれぞれの場所で
重なり合うよ

うちで歌おう 悲しみの向こう
全ての歌で 手を繋ごう
生きてまた会おう 僕らそれぞれの場所で
重なり合えそうだ