【ヨーロッパ】ヨーロッパの名を私たちの心から、ハートから消去しよう/ビフォ


以下は、Versoブログ掲載のフランコ・ビフォ・ベラルディ(Franco 'Bifo' Berardi)(通称ビフォ)の2015年7月17日付エッセイ Let’s cancel the name of Europe in our minds and in our hearts の一部訳です。誤訳のご指摘、精緻化のご提案があれば幸いです。(M)

(http://www.versobooks.com/blogs/2129-bifo-let-s-cancel-the-name-of-europe-in-our-minds-and-in-our-hearts)

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苦い一週間

7月5日日曜日、ノーの勝利は、金融による束縛の鎖をひきちぎることはできる、という幻想を私たちにあたえた。一週間後、この鎖はこれまで以上に堅牢なものになっていることに私たちは気づいた。ギリシャ人にとっての屈辱の一週間は、ヨーロッパ全体にわたる良識とデモクラシーへの屈辱の一週間だった。

この百年のあいだにドイツがヨーロッパを破壊したのは三度目である。

しかし、この苦い一週間の経験から私たちはいくつかの教訓をうるべきである。まず第一の教訓。ヨーロッパの統一を信じる者は敗北しつつある、ということ。勝利しつつあるのはヨーロッパという理念を嫌悪する者である。ドイツ人がヨーロッパの連帯を受け入れたことは決してない。かれらはつねに、怠け者のヨーロッパ南部のクズが自分たちのカネにたかっている、という話を信じ込んできた。かれらは地中海からやってくる移民に対する責任をとることを拒絶した。かれらはギリシャに戦争賠償金を支払うことを拒絶した。ツィプラス政府への暴力は、ヨーロッパの連帯に対するかれらの全身からの拒絶を証立ててやまない。かれらの勝利しつつある理由はこれである。

私たちは教訓を学ばねばならない。すなわち、ヨーロッパの名を私たちの心とハートから消去しよう。

ひきだすべき第二の教訓は、政治的左翼は死んだということだ。シリザの敗北は民主主義的やり方で金融資本主義と闘うことの不可能性のダメ押し的な証拠である。民主的選挙というやり方は、ドイツによるテロ行為によって妨害された。スペイン人、イタリア人、ポルトガル人は、いまでは知っている。左翼に投票することは危険だ、と。というのも、それはみずからを金融ナチ( Finazis)の暴力的な復讐にさらすことだからである。

フランス同様イタリアでも、このような植民地的金融の抑圧の形態へのただ一つのオルタナティヴはナショナリズムである。北部同盟、国民戦線、UKIPは、金融ナチに対抗するいくばくかの信頼のおける唯一の勢力である。

いまやだれのめにもあきらかなのは、EUとは、労働者の強制されたネオリベラルな無力化であり、金融による略奪の植民地的押しつけを意味するということである。

植民者への憎悪が植民地化された諸民族/国民のうちにナショナリズムを培養していることはだれもがよく知っている。これがつねに、反植民地運動の限界であった。つまり、ナショナルな同一化のうちに捕らわれる危険、資本主義が植民地的抑圧の真の源泉であることを理解することの不能。にもかかわらず、ドイツの経済ナショナリズムがヨーロッパの植民化された諸国を貧困化する抑圧的勢力であることを否定することはできない。

ドイツのナショナリズムは、それ以外のナショナリズムとは異なっている。それは他者の痛みへの鈍感と無機的なルールの絶対的優越性にに基盤をおいている。機能障害の根絶が、その文化史の本質的特徴である。

私たちは、この単純で明白なことをみないようにつとめているし、こう言いきかせている。ショイブレとメルケルは決して人を殺しているわけではない。たしかにそうだ。だが私たちはまだ悲劇のラストの場面をみていない————ともあれ、ギリシャにおける自殺の急上昇を忘れないようにしよう。1990年代のユーゴの虐殺がなによりまずドイツの挑発の結果であったことを忘れないようにしよう。かれらはもはや親衛隊を送ることはない。そのかわり、カネを送る、あとはユスタシア(あるいはゴールデン・ドーン?)にまかせよう、というわけだ。

ヨーロッパの未来は暗い。私たちになにができるのか?

Euronomadeというすばらしいウェブ雑誌の見出しにこういうものがあったが、それはシリザの敗北についてのコメントであった。「われわれは闘いをやめない」。不幸なことに、これらの言葉は悲愴[パセティック]な響きをおびていた。それでなにを意味していたのだろう、Euronomadicの友人たちは? 「やめない」とはどういう意味か? 私たちはそもそも闘えていなかったのに。

ギリシャの苦難のあいだ私たちはなにをしたのだろう? ドイツ大使館を占拠したか? BMWのショップを解体したか? 大衆ストライキを組織したか?

イタリアでもフランスでも街頭での闘いをみることはなかった。屈辱の苦い一週間についてのもっとも悲しむべき事態は、ヨーロッパ諸都市における沈黙だった。無力と抑鬱である。私たちはなぜこの単純な真理を否定すべきなのだろうか? おもうに、私たちはこの屈辱の教訓を受け入れた方がいい。この教訓からはじめるべきだし、この教訓の上に積み上げていくべきだ。

まず第一に、社会運動は自分たちのことを野戦病院と考えるべきだ(ローマ法王フランシスコが教会についてそういったように)。自己治癒[セルフヒーリング]、ケア、ふみにじられた者との連帯のための空間をつくりだすことが大切だ。

第二に、私たちは無力化された者の力強い攻勢にのりだすべきだ。破産、撤退、政治的シーンの放棄、すでに世界のあらゆるすき間でおぼろげにあらわれつつある戦争のあとの敗北主義。

そして、撤退のただなかで、戦争がもたらす破壊のただなかで、コミュニズムという余波のための条件を準備しなければならない。

私たちがみてきたように、ヨーロッパを脱出することは不可能である。ヨーロッパは厳重な監視つきの監獄なのだから。ヨーロッパの罠からの唯一の出口は、資本主義からの出口なのである。

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