【トルコ、クルド】ノー・ウェイ・バック———最近のシュリュジュへの攻撃/マヤ・オズボーン

以下は、Versoブログ2015年7月31日付記事、マヤ・オズボーン(Maya Osborne), No way back: The recent attack on Suruc、の部分的試訳です。誤訳のご指摘、精緻化、向上のご提案いただければ幸いです。(M)

(http://www.versobooks.com/blogs?post_author=34657)


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おそらく、いつか歴史家たちは、トルコとシリアの国境の町シュリュジュでの先週の自爆攻撃———32人の左翼学生を殺害した———で残された爆弾穴をみながら、これが「国際関係」と穏健に名指されてきたものの転換点であると考えることだろう。

嵐が徐々にせまっている。この状況は、ベテラン戦争ジャーナリストのパトリック・コックバーンが示唆したように、イラク戦争の初期のざわめきに似ている。トルコ、クルディスタン、そして中東の各地は、いま、この十年のなかでもっとも血塗られたカオスに陥る危機のふちにある。どうしてこのような事態になったのか?

シュリュジュをターゲットにした自爆攻撃者であるSeyh Abdurrahman Alagozは、トルコ市民であり、ダーイシュ(ISIS)シンパとして知られていた。かれは昨年夏、不法にシリアをおとずれている。かれのはじめての攻撃の場所と時間は破壊的であった。社会主義青年連合総同盟(Federation of Socialist Youth Associations)のメンバーである犠牲者は、戦争で荒廃したコバニにむかう途上だった。かれらの目的は、コバニで子どもの遊び場や「居住に適した都市」を建設する手助けをすることにあつたが、その途中、活気あるクルドの社会センターであるアマラに立ち寄った。ここは難民の聖域であり、ジャーナリストや活動家の集合地であり、救助活動の調整のための基地である。かれらの立ち寄ったのは、シリアにおけるロジャバ革命の三周年を祝うためである。祝祭は、一転して、傷の手当てと悼みにかわった。死者をのぞいて、百人以上がこの攻撃で障害を負った。

この攻撃への応答は、だれも予想しなかったほどすばやく冷酷な、トルコ国家によるクルドや左派への攻撃であった。

数千におよぶ政治的に活動的なクルド人や左翼活動家が一斉検挙され、拘束された。ダーイシュの逮捕者はわずかであり、その逮捕はシンボリックなもので、トルコ国内の反対派への徹底した弾圧を隠すための、外交的煙幕のようなものである。1980年のクーデターを思い起こさせるような国内の空気をつくりだしている。

抑圧は日ごとに強度を増している。爆撃の二日後、先週の水曜には、ツイッター(のちにはすべてのクルド系のウェブサイト)が切断された。木曜日には、およそ5000人のトルコ治安部隊がすくなくとも13地域———すべて左派の牙城である———を急襲した。数千もの政治的に積極的なクルド人と左派が拘禁された。政府のスポークスマンによれば、これまでに逮捕された1302名のうち、847人がPKKとの関係の罪に問われているが、イスラム国とのそれはたったの137人にすぎない。

イスタンブールでは、ゲジにおけるアレヴィーの祈りの家がトルコ警察によって攻撃されたとき、街頭の紛争はとりわけ過熱した。アレヴィーは多くがクルド人からなるトルコの宗教グループで、20世紀を通した、断続的な殺戮、攻撃、日常的な周縁化にさらされている。その数は、1200万人を越える。アレヴィーの境遇は、ほとんどのクルド系の人々とともに、つねに政治化されてきた。預言者の義理の息子であるアリへの特殊な崇拝を、ムスリムのなかには、異端と考える者もいる。アレヴィー共同体の異端的信仰は、トルコ共和国の根元的プロジェクト、「一つの言語、一つの旗、一つの宗教」をつくりだすプロジェクトを掘り崩す。かれらは国家によるさまざまな同化のくわだて———たえずかれらを「スンニー化」しようと試みてきた———に抵抗している。エルドアンが任期中に強化してきた試みである。多くのこうした紛争が、ジュムエヴィ[集会所であるとともに、儀式をおこなう場所]である祈りの家の不安定な法的身分をめぐって展開し、2014年12月にはトルコ国家の不認可は、「宗教的差別の罪」という判決がくだる。こうしたことが、アレーヴィ地区への警察の攻撃を、とりわけ激しいものにした。非合法の極左、ほとんどがアレーヴィ革命的人民解放党戦線(DHKP/C)であるが、最近の急襲で街頭に引きずり出されてきた。コミュニストの法律家 Günay Özaslan が警察によって殺害されている。その報復として、先週、武装グループによる戦闘が不規則におこっている。一人の警察官が殺害された。大衆デモはいま、トルコ国中で日々の現実である。そしてそのほとんどが高圧放水砲、ゴム弾にみまわれ、警察の暴行[ポリス・ブルータリティ]はますます激しくなっている。

イラクにおける、クルディスタン労働者党(PKK)の拠点の爆撃は、トルコとPKKの休戦を事実上終了させた。二十年にわたる紛争は、45000人の死者を生んだが、その30000人以上がクルド人である。火曜日に、二人のダーイシュ支持の警察官がシュリュジュ爆撃への報復としてPKKによって暗殺された。イランに近接しているガスパイプライン、国内生産の五分の一を供給しているそれは、PKKの活動家によって爆破された。トルコが激しく弾圧をすればするほど、報復も激化するだろうし、内戦へと展開していく可能性もある。トルコ国家がクルド地域の自律を阻止しようと決意しているだけに、これはありうる帰結である。

トルコの最大の恐怖は、ロジャバにおける国家なきデモクラシーのクルド系による革命的実験である。エルドアンはこの実験を「なにがなんでも」止めると誓った。三年前、PKKのシリア支部である人民防衛隊(YPG)は、アサドに対する反乱にもどちらの側にもたたないと決議した。そのかわりかれらは一地域を奪取し、「民主主義的連邦主義」———アメリカのアナキストであるマレイ・ブクチンがもともと展開したデモクラシーの非国家的パラダイムである————という独自の実験を組織しはじめた。それはさらに、トルコの離れ島の監獄に収監されているPKKのリーダー、アブドゥル・オジャランによって発展させられる。すでに知られているが、YPGは女性の解放を実践の前面にすえている。その政治的・軍事的構成員の半分は女性である。かれらは、資本主義を破壊するためには、国家を破壊しなければならない、国家を破壊するためには家父長制を破壊しなければならない、と考えている。あえていうなら、かれらはこれまで知られた民衆からのボトムアップのデモクラシーの歴史のなかで、もっとも到達範囲の広い、洗練された事例の一つである。

これらのプロジェクトの成功は、クルド系の権力基盤や人気の着実な増大を支えてきた。シリアでは、革命運動を構築しつつ、一方では、ダーイシュとも闘ってきた。その勇敢なストーリーは、トルコのみならず、世界的な支援を集めてきた。コバニの戦いは、世界中の戦士を触発し、シリアにひきよせてきた。それと同時に、広範な国際的連帯運動もおこって、寄附金を集め、意識を高めてきた。ダーイシュとの戦いにすぐれていると認めたアメリカは、以前はかれらに武器、弾丸、医療支援をあたえていた。六ヶ月後、非常に喧伝された戦闘のあと、YPGは勝利を宣言し、英雄とみなされた。トルコでは、ポピュリズム的な反緊縮キャンペーンとむすびついた運動によって、クルド人民民主主義党(HDP)は、6月の総選挙で、ゼロから一気に13%の投票率を獲得した。親クルド、反緊縮政策はべつとしても、この党は、そのメンバーの構成が、ジェンダー的には50%、LGBT的には10%になるように決められており、男性女性の二重リーダーシップ制もとられている。これは、トルコ社会から伝統的にもっとも排除されもっとも周縁化された人々が権力の回廊に参入した歴史的瞬間であった。

支配的な公正発展党(AKP)が多数を獲得しそこねたため、かれらは連立か、あらためて選挙を呼びかけるかの二者択一に直面している。もし連立ならば、その相手はおそらく右翼の国民主義運動党(MHP)となるだろう。かれらの現在の少数派攻撃は、ナショナリストの票を獲得しようとの試みであると推測する者もいる。選挙が選択されれば、その攻撃を、PKKをことさらあぶりだすことでHDPに泥を塗り、ナショナリズム熱を煽り、トルコの政治の中心地に反クルド的空気をつくるくわだて、と読むことができるだろう。エルドアンはすでに、「テロリスト集団」とのむすびつきの「対価を支払わせる」べく、HDPの政治家から不逮捕特権を剥奪せよ、ともとめている。80人のHDPメンバーが、自発的にみずからの不逮捕特権を放棄し、すべての議員がこれにつづくようにもとめている。その直後、HDPの共同リーダーであり、カリスマ的な党の顔でもあったSelahattin Demirtaşがコバニの抗議行動のあいだに「武装闘争を呼びかけた」との嫌疑をかけられ、いま24年の拘禁に直面している。AKPは継続的に、HDPがPKKのテロリストの偽装であると中傷している。HDPを犯罪化しようとのこの試みは、クルド諸集団と左派のあいだのたかまる連帯への反動である。この同盟は、AKPとMHPの双方に脅威と考えられているのである。

ISISと戦わないということ、これがAKPの特権である。トルコによる爆撃がはじまった7月24日金曜日以来、ダーイシュの戦線の背後に爆撃をおこなったのはたった2,3回にすぎない。ISISの司令官は、最初の空爆で命中したのはいくつかの廃墟のみである、と言明している。他方で、400人のPKKの標的に対してすくなくとも185の出撃命令がくだされている。クルド人への共通した憎悪はべつとしても、AKPのネオリベラリズムとイスラミズムの奇妙な混合によって、疑似宗教的ダーイシュとの仲間関係は自然なものとなっている。すべての道は、AKPとダーイシュの親近性と積極的な協力関係を示唆している。

昨年9月に公刊されたコロンビア大学の報告書は、ダーイシュとトルコの共謀についての広範な証拠リストをまとめている。軍備や軍事訓練の供与、移送や兵站の援助、医療的ケア、石油の購入による財政支援、コバニの戦闘での熱心な援助などの事例をふくんでいる。その報告書はまた、このAKPとダーイシュのあいだに共有された世界観も指摘している。Hurriyet Daily Newsは、あるトルコの公務員の「かれらは、独立戦争で7つの列強国と戦ったわれわれのようだ」との発言を報じている。「PKKよりもISILに親近感を感じる」というべつの人間の発言もある。ソーシャルメディア上では、クルド地域をねり歩く警察の一団が、誇らしげに指をたててISISに敬意を表している写真が流れている。

http://www.freerepublic.com/focus/news/3212796/posts

トルコは、石油の購入を介して、ダーイシュの主要な財政支援者の一人である。『ガーディアン』紙は7月26日に「およそ一日100万ドルから400万ドルの石油からの収入が、すくなくとも2013年終わりから6ヶ月以上、ISISの資金源として流入している」と報じている。『ニューヨークタイムズ』も2014年の9月、オバマ政府の努力にもかかわらず、ISISとの石油売買の広範なネットワークを取り締まるようトルコを説得することはできていない、と報じている。トルコとISISの共謀の証拠は、山ほど存在する。もしトルコがISISをストップさせることを真剣に考えているなら、交易をさっさとやめることもできたはずだ。だが、そんな事態は起きていない。・・・サウジの王室ファミリーを自由にあやつるというISのきわめてリアルな可能性によって———最近のオンライン世論調査によれば、サウジ市民の92%が、ISISは「イスラムの諸価値やイスラムの法にかなっている」と考えている———ダーイシュが一つの帝国をあやつるのもありえない話ではなくなった。これも大部分はトルコのおかげなのだ。

・・・トルコの外務大臣Mevlut Cavusogluは「PKKとダーイシュのあいだに違いはない。ダーイシュと戦っているからPKKがマシとはならない。PKKは平和でも安全でもなく権力のために戦っている。・・・われわれはNATO同盟国よりの連帯と支援を期待する」と述べている。トルコ当局は、YPGが「独立したクルド国家建設のためにシリアで「エスニック・クレンジング」をおこなっている」と(露骨にばかげた)非難を公表している。こうしたうわさは、AKPによる、YPG、PKK、HDPを誹謗するための、偽情報キャンペーンの一環である。

ますますISISは空におけるプレゼンスを増大させている・・・・。トルコの戦車がシリアでISISと戦っているクルドキャンプを砲撃している。アメリカはトルコの空軍基地へのアクセスと引き替えにクルド人を裏切った。そこからシリアの爆撃をアメリカは計画しているのだ。USとUKの軍隊がいくども空爆のみではISISと継続的に戦うには不十分であると公言していることを考えれば、アメリカがこの地域でのみずからのもっとも有力な同盟者をそうした場違いの戦略のために裏切るのはバカげている。


http://www.theguardian.com/world/2015/jul/27/turkey-shells-kurdish-held-village-in-syria

トルコのISISへの対抗戦略は、たんに小さすぎる、遅すぎるだけではない。イラクで攻撃されているPKK陣営は、さもなくばISISと戦えるだろう戦士を、引き揚げさせている。かれらがいま、シリアに作ろうとしている「緩衝地帯」は、「テロリスト」から自由な国境を維持するとされているが、現実には、YPGの勢力が、トルコに接したISISの管理する最後のシリアの町を奪取するのを阻止する、という真の意図が隠されることはめったにない。HDPのリーダーであるDemirtasはインタビューで、こう述べている。「そうです、安全地帯はクルド人をストップすることが目的です。ISではありません。トルコはこの地域をつくりだすためにクルドの諸勢力と一緒に努力すべきです。トルコとクルド人は協働すべきなのです」。

希望をこめていえば、トルコは近いうちに勝利できないことを受け入れるであろう———歴史は「不正規のゲリラ勢力との戦争で勝ちをおさめることはできない」ことを示している。政治的意志でもって、かれらはシリアの世俗的クルド人による自律的地域形成の阻止の努力を停止することができた。YPG地帯の形成は、トルコが、シリア難民の流入を堰き止めること、ISISと戦うこと、民主主義的連邦主義の実践をおこなうことを可能にした———トルコ、アメリカ、クルド人それぞれの問題を一挙に解決したのである。和平プロセスの必要はかつてないほど切迫している。

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