「昭和史サイエンス」(109)

「海の関東軍」であった連合艦隊

 木村聡・別府大学専任講師の『聯合艦隊』(中公選書)が注目されています。日本人の多くが抱いていた連合艦隊のイメージを、大きく塗り替えたからです。そしてその終章は、「海の『関東軍』」というタイトルです。
 「はじめに」の一部を引用します。太平洋戦争期の連合艦隊は、満州事変を起こした関東軍の暴走に匹敵する行動が少なからずあったと指摘しています。

 一方、海軍では、統帥権を理由に現場組織が中央の意向を無視するばかりか、中堅層が上層部の意向を無視、あるいはコントロールするという陸軍のありようを、統制の乱れとして軽蔑【けいべつ】していた。海軍は海軍自身を、陸軍とは反対に、上意下達のしっかりした統制のある組織と認識していた。しかしながら太平洋戦争が始まると、当の海軍が、今度は聯合艦隊の暴走に苦労する。結果として、本書でも扱った中央部―現地軍の主導権をめぐる陸海軍間の逆転現象が見られるようになり、陸海軍間の協同の実が上がらない原因の一つとなっていた。

 こうした連合艦隊の「暴走」の一因は、やはり山本五十六の言動にもあったのです。再度「はじめに」から引用します。

 ここからわかることは、太平洋戦争中にしばしば見られた陸海軍の作戦指導の分裂の原因が聯合艦隊であると、陸軍のみならず身内の海軍からも思われ、恨みを買っていたこと、さらに中央機関であるはずの軍令部が出先機関の聯合艦隊を制御できていなかったということである。おおよそ一組織の出先機関が持ちうる独自性と影響力ではない。
 先述した東郷と山本の司令長官としてのあり方の違いからしても、どうやら聯合艦隊という組織は、東郷から山本に至るどこかで、大きな変化が生じたのだ。そしてその変化が、聯合艦隊だけにとどまらず、海軍のあり方そのもの、さらには戦争全体に大きな影響を与えたのである。

 そもそも山本による真珠湾攻撃は、戦術的には成功だったとしても、戦略的には失敗でした。戦略上の失敗を戦術上の成功で取り返すことは不可能です。アメリカ海軍大学校のS・C・M・ペイン教授の『アジアの多重戦争』(みすず書房)から引用します。

 戦略レヴェルでは、パールハーバー攻撃は大惨事だった。それは日本にとって、中国の泥沼という悪性の病を、もはや治る見込みのほとんどない、末期ステージへと進行させるものになったからだ。日本は戦争の構成要素のうち、言葉ではうまく説明しにくいもの――何が中国人を駆り立て、アメリカ人を駆り立てるかを見誤った。ハワイの水兵が攻撃を受けると、アメリカ国民は即座に制限のない戦争に立ち上がり、東京を反撃の最終的な目標地に据えた。アメリカ人は、ハワイでの恥辱の日を記憶にとどめている。太平洋圏で繰り広げられたほかの多くの攻撃ではなく、パールハーバーに対する日本の攻撃こそ、孤立主義をとっていたアメリカを、一瞬にして東京への進軍に向かわせることになったからである。
  
 真珠湾攻撃はアメリカの国論を沸騰させ、同国は挙国一致で戦争に取り組むことになりました。

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