第1章に以下の文を加えます。

「非人間化」という歪んだ認知

 再度リチャード・ランガム教授の『善と悪のパラドックス』から引用します。

  なぜ殺すのか? 不穏ではあるけれども生物学的に意味をなす答えは、殺しを楽しんでいるからだ。進化は他者を殺すことを快楽にした。殺しが好きな者は適応の恩恵を受ける傾向がある。
 一見、この考えは荒唐無稽かもしれない。見知らぬ相手を殺して快楽を覚える人はふつういない。しかし、無秩序な世界で殺す小規模社会の戦士が出会う他者は、今日私たちが出会う他者とは大きく異なっている。戦士は、見知らぬ他人の武器や衣服や方言を手掛かりに、その相手が自分の社会の一員か否か瞬時に判断できる。敵対する近隣社会のメンバーは真の意味での他者であり、おそらく人とは見なされない。そして、戦士も相手も互いにとって危険な存在になりやすい。攻撃の成功を楽しむというのはぞっとするが、意義はある。すべての集団が自力で安全を確保している場合には、隣人を弱くすれば見返りがあるからだ。

 いまの引用文にあった「おそらく人とは見なされない」という文に注目していください。他者、とりわけ自分と立場の異なる他者を人間とみなさない認知メカニズムを「非人間化」と呼びます。1975(昭和50)年、アメリカの心理学会会長を務めたこともあるアルバート・バンデューラが提唱した概念です。
 私たちは、自分が正しいと思い込むと、容易に意見の異なる他者を非人間化し、他者に対し攻撃を加えてしまいます。政治的分野で「正義」を声高に叫ぶ人に問題があるケースが多い理由は、非人間化の作用が働くからです。
 非人間化という認知メカニズムが生まれる人の脳は、強い怒りや憎悪、換言すれば、破棄衝動に満ちています。破壊衝動が非人間化という認知を生じるのであって、その逆ではありません。

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