「進化政治学による昭和史」(25)

西園寺公望の評価

 昭和の時代になって首相の指名権は事実上、元老としてただ1人残った西園寺公望の手にありました。その西園寺に対する評価は、研究者の間でも一般的に高い傾向にありますが、私はその点について疑問に感じています。
 戦前昭和の政界における大きな勢力の1つに、「革新華族」がいました。具体的には、近衛文麿や木戸幸一、さらには原田熊雄や徳川義親【よしちか】らです。
 原田は西園寺の秘書としてもその名は知られていますが、政界での影響力という点では近衛や木戸には及びませんでした。近衛は3度にわたって首相に就任していますし、木戸にしても内大臣に就いた昭和15年6月以降、天皇の最大の側近として大きな発言力を誇るようになりました。
 革新貴族の政治信条といえば社会改造に関心を抱き、「革新」の名が示すように、英米主導の国際秩序には批判的な傾向にありました。換言すれば、国内問題でも国際問題でも、現状維持のスタンスを否定する現状打破の立場にあり、そのうえ軍部に融和的でした。近衛や木戸については、詳細は後述しますが、昭和10年代の政治に最大級の悪影響を及ぼました。その近衛や木戸を政界に送り出すうえで大きな力を発揮したのが、西園寺だったのです。

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