「保守とリベラル」の脳科学

「保守とリベラル」の脳科学

 明治から大正にかけての日本近代史において、リベラル勢力は大きな役割を果たしました。そしてその延長線上に、昭和の急進的ともいえる革新的勢力が登場したのです。両者は進歩主義的な信条をもっている、という点では共通しています。
 ところで、近年の脳科学の発展は目覚ましいものがあり、「リベラル」と「保守」の気質の違いを、脳科学的な視点から論じることにも成功しています。ジョージワシントン大学のダニエル・リーバーマン教授とライターのマイケル・ロングの共著『もっと!』(インターシフト)から引用します。

 前述の研究で最終的にリベラルに関連づけられた特徴-ーーリスクをとる、興奮を求める、衝動的、支配主義ーーは、活性の高いドーパミンの特徴だ。だが、ドーパミン活性の高い人は、本当にリベラルな政党を支持する傾向にあるのだろうか? その答えは、どうやらイエスのようだ。リベラルの人はしばしば、「進歩主義者」を自称する。「進歩主義」は絶え間ない改善を示唆する言葉だ。進歩は変化を内包している。リベラルな人は現在よりも良い未来を想像する。技術と公共政策をうまく組み合わせれば、貧困や無知、戦争といった人類社会の根本的な問題を一掃できると信じていることさえある。進歩主義者は、ドーパミンを駆使して現在よりもはるかに良い世界を  想像する理想化だ。(中略)
それに対し、「保守」という言葉は、先人たちから受け継いだ良いものを維持することを暗に示している。保守主義者はしばしば変化に懐疑的になり、何々をすべきだと主張して文明を進歩させようとする専門家をきらう。(中略)保守主義者は進歩主義者の理想論を信用せず、完璧なユートピアをつくろうとするなど無駄な努力だ、エリートが公私のあらゆる面を支配する全体主義につながる可能性のほうが高い、と批判する。

 引用文にある「ドーパミン」とは神経伝達物質の一種です。自動車の運転を例にすればアクセルに相当し、それとは反対にブレーキに相当する神経伝達物質が、セロトニンやオキシトシンであって、それらは「H&N」と表記されています。「Here and Now」の略です。ドーパミン系の脳は満足することを知りませんが、H&N系の脳は「いまここに」にある状態に満足できる傾向にあります。
 そして神経伝達物質に関連して重要なことは、政治の分野で仕事をしたいと思う人は、政治家のみならずメディアや知識人をも含め、その多くはドーパミン系の脳の持ち主だというこ事実です。同じく『もっと!』から引用します。

 政治の基本的要素は支配だ。征服の結果として人々が支配に屈することもあれば、保護と引き替えに自発的にある程度の自由を手放すこともある。いずれにしても、少数の人が権力を与えられ、それ以外の民衆に対し権限を振るうのは変わらない。これはドーパミン的な活動と言える。なぜなら、民衆は抽象的な法律をつうじて遠くから統治されるからだ。(中略)民衆は物理的な力ではなく、観念に服従しているのだ。
 政治は本質的にドーパミン志向であるため、H&N志向の保守的な人よりも、リベラルな人のほうが政治に熱心になる傾向がある。街路を行進する五〇〇人のリベラル派の行動は、おそらく抗議行動だろう。(中略)リベラルな人は政治プロセスに関与する熱意に加え、社会政策に関する上級学位の取得をめざす傾向が強く、ジャーナリズムなどの日常的に政治プロセスに関わる分野に惹かれることも多い。それに対し、保守的な人は、しばしば政治を、とりわけ遠くで力を振るう政府を信用しない。

 日本近代史、とりわけ大日本帝国憲法が発布され帝国議会が開設されて以降、保守系の政治家といえば、伊藤博文や原敬など明らかに少数派であり、両者の政治的業績は卓越したものがありながら、その割に国民の間に人気がありません。

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