見出し画像

心が動きを止めている。


最近、“心が動く”という感覚を失いかけている気がする。

4月に休学期間を終えて復学した私は研究室に戻り、この4ヶ月間、就職活動と卒論研究で本当に忙しない日々を過ごしていた。平日は研究室のコアタイムがあるのでコアタイム後と土日に就職活動、研究室ではとにかく実験。そんな日々だった。就職活動はわりと楽しめた。自分のことを言葉にしたり、憧れの会社の人と話ができたり。就職活動の中では心は動きまくっていたと思う。

そして今のこの悩みに直面したのは、就職活動が終わってから。まさか就活が終わってからの方が精神的にきつくなるなんて思ってもなかったけど。

最近の自分の生活はとにかく研究ばかり。2年前、まだやりたいことも特に決まっていない状態でなんとなく決めてしまった研究室にわたしは毎日通っている。去年の休学期間中に好きなことがたくさん見つかった。自分の大切にしたいことも知れた。正直にいうと、研究はそんな世界とはかけ離れたものだ。

わたしは、人間の手が生み出す“ゆらぎ”や、人の想いが溢れ出てしまっている物事が好き。すべて綺麗に統一されていることや、効率的であること、正しいこと、そんなことよりも大切にしたい“人間の心”の存在。その人らしさ、個性、想いに、心が惹かれる。

でもわたしが今携わっている化学的な研究の世界では、「理論に基づく正しさ」がすべて。そして「成果が得られること」がすべて。白か黒か。グレーはない。そこに自分らしさとか自分の想いとかそういったものが入ることもない。だんだん「これわたしじゃなくてもできるな」「わたしである必要がないな」「自分らしさを失くしてしまうな」という想いが止まらなくなってしまう。もちろん研究の世界で頑張っている人を否定したいわけではない。新しいことの発見に情熱を燃やしている人は身近にもたくさんいて本当に尊敬してる。ただ、わたしの大切にしたいことがこの世界ではまったく不必要な価値であることが苦しい。

自分の心が動いたり動かされたり、人の心や言葉に触れたり、気付けば自分の生活からそんな体験が消えていた。朝起きて学校に行って夕方か夜に帰ってきて寝る。ほとんど外にも遊びに行かなくなった。人とコミュニケーションをとることも格段に減った。

幸い、ありがたいことに就職先は決まっていて、研究の世界にいるのは卒業までの期間だけど、それにしても心が擦り減っていくのがきつい。自分の心や感性をギューッと縛り付けられている感覚。解放したいのに、解放させるエネルギーすらも残っていない。何かを感じに行ったり、好きなものに触れに行ったり、したいのに。

きっと、今苦しいのは、研究の成果がまったく出なくてやることが山積みになっちゃってる時期だから、だと思いたい。でも、忙しさを理由に心を閉ざしてしまうのは自分の悪い癖だと思うから、社会人になる前にどうにかしたい。忙しいときほど、好きなものに触れる。きついときほど、人と関わる。そんな息抜きの仕方ができたらいいなあ。

なんかモヤモヤが止まらないので書き殴りました。
とりあえず卒業できるようにがんばります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?