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休学日記。#7


5月13日。43日目。

急遽仕事が休みになったので、もう1日実家にいることにした。
5年前から2年前くらいまでの間、くだらないことから真面目なことまで書き連ねた日記のようなものを、ひさしぶりに読み返した。高校野球のマネージャーと学校の勉強との両立でしんどかった頃、部活を引退して出遅れた受験勉強をなんとかがむしゃらに頑張っていた頃、合格して入学したはいいけど自己嫌悪に苦しめられていた頃。すごく悩んでもがいていた頃の感情がリアルに綴られていた。あの頃は吐き出す場所が欲しくてただ書いていたんだろうけど、今読み返すと、感情を言葉にして残しておいてよかったなあとすごく思う。だからこのnoteも、数年後の自分にとってすごく大切な何かになってくれるかもしれないなあと思った。無理やり大切なものにしようとは思わないけど。

特に“いいこと”は書けないし、これを読んだところで未来のわたしに学びはあまりないだろうけど、その瞬間の“思考したこと”っていうのはそれだけで自分自身にとってはかなり価値があるなあと思う。とくに私は思考グセが結構あるから、すぐに次々と考え出して止まらなくなってパンクしがち。だから毎日こうして少しずつ文字に変換して残しておく作業は楽しいし重要なんだと感じた。もしかたらこれ、ばあちゃんからの遺伝かもなあ。

なんとなくだけど、最近の自分は行動力とか向上心とかがない時期の感じがする。休学期間中の未定のままの数ヶ月の予定を、埋める意欲が今の自分にはない。新しい場所で新しい何かをすることに対してワクワクできていない自分がいる。でもこれはたぶん一時的な状態っていうところが自分的なポイントで、またエネルギーが溜まったら活発にいろんなアンテナを張りだすんだと思う。今まではただ振り回されていた自分の内側にある波を、最近は客観的に見れるようになった。こんな状態の時期でも、自分を否定したり嫌いになったりしなくなった。自分のペースを理解するのってすごく時間がかかるなあって思う。自分と人の境界線がわからなくなりやすい性格なのもちょっと原因だと思うけど。


5月14日。44日目。

自分でも不思議なんだけど、わたしの日常の中には、自分に対して悲観的な日と楽観的な日が存在する。そしてこの温度差は相当でかい。今日は楽観的唯七だったので、バイト中もあまりネガティブ思考にはならず「自分ただの細胞の集まりのわりにはめちゃめちゃ頑張ってない!?」っていう思考回路だった。ゆえになんだか一日中自己肯定感が高かった。

午前中は山に入ってクロモジの採集をした。山仕事は実際にやってみると想像より遥かに大変だった。たったの2時間動いたくらいで汗ダラダラになった。でも山の中は歩くだけで気持ちがよかった。今日入った山は下層植生も豊かで、いろいろな植物に出会えた。ちなみにほとんど名前はわからなかった。森林学科なんだけどなあ。でも所々ですごくいい香りがした。香りで癒されるという現象の原点を感じられた気がした。
そして、少人数で自分たちのペースで無理なく行う作業とか、自分がとってきたものが形を変えて商品として売られることとか、今まで知らなかったことに対して「これ好きだなあ」と思える瞬間が何度かあった。これからもこの感覚は忘れないようにしたい。

夜は、わたしの人生を大きく変えてくれたイベントで関わった人たちと、オンラインで対話をした。「この人の言葉は信じられる」と思える人のオススメで知れたこのイベント。なんだかんだで2回そのイベントに参加して、気付いたら今耶馬溪に住んでいる。「この人たちのこと信じられる」と思える人が増えた。今日は改めてそんなことを感じた。泣いたり笑ったり、悩んだり進んだり、上がったり下がったり。いろいろある人生だけど、いろいろあるよね〜とそれを素直に共有できる存在がいてくれているだけでまず幸せだなあ、と。


5月15日。45日目。

座右の銘。友達のnoteで見た言葉。座右の銘がある人ってかっこいいよなあ〜という単純な憧れがあって、ちょっと調べてみた。Google先生によると、『いつも自分の身近に書き記して、自分の戒めとする言葉のこと。簡単に言うと、自分が生きていく上で大切にしている言葉のこと。』らしい。わたしの座右の銘ってなんなんだろうなあと考えた。大学2年生の終わり頃、ある人に勧められて1冊の本を読んだのを思い出した。今考えたら、それまで全くと言っていいほど本と触れ合わずに生きてきたから、今本が好きになっているのはその人のおかげだなあとしみじみ感謝。その本の中で出会った言葉で、心に留めておきたくて当時使ってた手帳に書いたり部屋の壁に貼ったりしてた言葉がある。今でもその言葉は大切にしてるから、現段階でのわたしの座右の銘はこれな気がした。その言葉が、

”すべての源は自分自身”

という言葉。自分に自信がなくて何をやっても否定的だったわたしは、この言葉に出会って救われた。一見、利己的な考えでしかない言葉のように思えるかもしれないけど、「自分に関して起こるいい事も悪い事もすべて、源は自分自身なんだ」と気付かせてくれたこの言葉は、あらゆる物事の捉え方を変えてくれた。なにかいい事や幸せなことが起きたらそれは自分の過ごし方や生き方がよかったということだし、嫌なことやうまくいかないことは人や環境のせいではなく自分になにか原因があるということ。すべて源は自分自身なんだと気づけたら、なんだか生きやすくなった。

人それぞれ言葉の捉え方や感じ方は違うと思うから、みんなの心に刺さった言葉を知りたいなあと。あと、出会った言葉をもっともっと大切にしていきたいなあと。そんなことを急に考えた土曜日でした。


5月16日。46日目。

今日はなんだか脳みそが忙しい。いや、いつものことかもしれないけれど。昨日の夜、地域の方に招待してもらってhitotoseのみんなと夜ご飯を食べに行った。そこで地域の方と話していて、自分の世間知らずさに情けなくなって、もっと知りたいことや考えたいことたくさんあるなあって思った。その流れでいろいろと考えながら眠って目を覚ました今朝。せわしない脳みそ。時間は有限で、自分の脳みそのキャパだって無限にあるわけではない。ひとつのことを考え出すともうひとつのことは抜けていくし、調べる時間考える時間だって不器用な私にはかなりの量が必要になる。でもここにかかる時間を効率化させるのはなんとなく嫌で、噛み砕いて理解するまでの時間は大切にしたい。

そんな今日、ずっとサボっていた休学中の過ごし方の計画を少〜しだけ進めた。興味のある会社のインターンについてやっと連絡をした。でも、正直5ヶ月も先の予定なんてあまり細かく立てたくないと思っている自分もいる。ただ、なんか進んでないと嫌な自分もいて(ほんとめんどくさい人間)、今日は少しエネルギーがあったので連絡だけしてみた。大きな一歩。まだ細かいことは後々考えればいいかなあなんて楽観的に考えている。
1年間でいろいろなところに少しずつ住むという予定を立てているけど、今の心境としてはどこかしっくりくる土地で安定して長めに暮らしたいと思っている感じもある。安定的に仕事もあって、考える対象は自分の暮らしをつくること、みたいな生活。今の自分は、住む場所も、仕事も、収入も支出も、寝る時間も起きる時間も全部が不安定で、そりゃ自分の思考が整うわけないよなあ~と我ながら思う。せめて寝る時間と起きる時間を安定させるところからだな。日々訓練。

最近パソコンでこのnoteを書いているからか、わりと真面目な雰囲気になってきた。なぜかパソコンで書いてると小ネタを挟む隙もなく真面目なことを書いてしまう。人間の本能か?DNAにパソコンでの執筆作業は真面目になる性質でも組み込まれてるのか?どうでもいいだろうけど、もしこれ読んでくれてる人の中で文面でデバイス特定できるようになってる人いたらもうそれは唯七オタクに認定してあーげるっ。


5月17日。47日目。

昨日の夜、寝る前に友達と電話をした。休学をすると決めた友達の話を詳しく聞こうと思って始めた電話だったのに、気付けば私の話ばかり聞いてもらっていた。ごめんねありがとう。その友達と話して気付いたこと。最近の私は冷静さを失っていた、ということ。今の私の状況を話したらその友達はとても冷静に、淡々と、ひとつずつ行動ベースでアドバイスをくれた。勝手にいっぱいいっぱいになって、感情ばかりが動いて結局ぜんぜん思考できてなかったんだなと思った。感情が思考の邪魔をするってこういう時のことを言うのか、と知った。

最近の悩みは、シンプルに考えれば済む話だった。林業とアロマのことを勉強したい、田舎に住みたい、と思って耶馬溪に来たんだから、本来の目的は達成できていた。なのに満足できずにずっと焦っていた。達成できてるということを一旦自分に知らせてあげる必要があった。がむしゃらに興味の矛先を広げ続けるのは私には合っていない。やりたいことがなかったり無欲な状態の自分はあまり好きではないけれど、あまりに強欲になりすぎてるとそれはそれで精神衛生上よろしくないということを学んだ。

成人式の日、高校の時2年間担任をしてくれていた先生から図書カードをもらった。こういう記念にもらったものに対して、特別な意味づけをする癖が私にはあって、その図書カードをどんな本を買うのに使うべきか1年以上決めきれずにいた。そして今日、仕事帰りに寄った本屋さんで、『20代で得た知見』というエッセイに出会った。少しだけ立ち読みをして、「これかも」と思った。20代というステージに上がれたあの瞬間、大人になれた気がして嬉しかったあの感覚、20代でしか味わえない何かがあるかもとワクワクした感情。思い出して楽しくなった。でも実際のところ20歳になったからといって特別すごいことは何もなかったし、むしろ現実にぶつかることが多くて悩みは増えるばかりで。なんかそんなようなプラスやマイナスをいろいろ思い出せるエッセイに出会えた。読むのが楽しみ。
最近、アロマのお仕事帰りに本屋さんに寄ってしまうのが日課になっている。新しく発売された雑誌買ったりとか、読みたい本を発掘して立ち読みしたりとか、とても好きな時間。


5月18日。48日目。

今日の朝のわたしは偉かった。いつもより少しだけ早めに起きて、お昼ご飯のお弁当を用意した。まあ昨日作ってもらった晩ご飯の残りを詰めただけなんだけど。それは置いておいて。今日のわたしは偉い。1ヶ月前のわたしは、午前中のバイトのために朝6時半に起きるだけで偉すぎると褒めちぎっていたのに、その時間に起きることには今やもう慣れてしまっていて、ついにお弁当を自分で用意して持っていけるようになった。なんという革命。いや、これを革命ではなく日常にするのが次のわたしの目標。なにも学びに焦る必要なんかなくてこういう日常の中にある小さな成長を少しずつ重ねていくだけでもいいんだよなあと、今日はそんな学びを得た日。

今日、日記をつけていたとき、なんか身体が疲れてるなあ〜と思って、座椅子に寄っかかって全身の力を抜いて目を瞑って「あ〜〜〜じぶん疲れとるわあ〜〜」って心の中で叫んでみた。これがなんとめちゃめちゃ気持ちよかった。腕とか肩とか背中とかからジワ〜って疲れが外に滲み出してる感覚になった。あくまで感じたってだけの話だけど。じわ〜〜って気持ちよくなった。決めた、明日バイト上がってからサウナに行こう。じわ〜〜ってやつもっと本気で感じにいこう。楽しみできた、おやすみなさい。


5月19日。49日目。

いちご大福が終わった。旬菜館に出してくれてるまんじゅう屋さん(まんじゅう屋さんって言い方合ってんのかな)の、いちご大福が今日で終わった。悲しい。でも季節じゃないのに食べれるいちご大福はそもそも不自然だと思うし、冬から春にしか食べられないから美味しいというのもまた良い。そして次の季節はわらび餅が出るらしいのでそれを楽しみに生きられる。いちご大福最後の日にシフトが入っていた記念に、今日もいちご大福を買って帰った。旬菜館で働き始めて1ヶ月半、3度目のいちご大福。さて、この段落でわたしは何度いちご大福と言ったでしょうか。わたしは数えるのめんどくさいので数えた人いたら教えてください。ワラ。

午後からサウナに行った。同居人にサウナーがいるおかげさまでどんどんハマってしまっている。今日も今日とて本当に気持ちよかった。しかも今日は久しぶりに天気も快晴で、外気浴しながら光合成もできた。本格的に梅雨入りしたら本気で日光足りなくなるなあ〜どうやって生きていこうかな〜。雨音で涼しさ感じながら生きていこうか。



先週は地元の友達の家にいたこともあり(言い訳)、3つの目標を言ってなかったので今週はちゃんと言います。

1、「20代で得た知見」を読破する。
2、6月のスケジュールを立てる。
3、16時間断食を続ける。


時が経つにつれて1週間が早くなっていってるなあと感じる。でも人間は(たぶん生物学的な事実として?)、一度経験したことをもう一度経験するとそれを短く感じるらしい。耶馬溪での生活に慣れてきた証拠か。ちゃんと自分の中で、ここでの暮らしを無意識の範囲で日常にできている証拠か。それならば良いとわたしは思う。慣れが生む怠惰には負けないように。


てことで来週もがんばりましょーう。
おやすみなさい。🌝

読んでくれてありがとうございました。

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